窯だより



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予定のページ 更新しました



   

この前の日本橋三越個展の際、とても嬉しい出会いがあった。

それは、孤高の陶芸家 岡部嶺男(1919-1990) のお嬢さまである。

岡部嶺男というと「永仁の壺事件」が世に知られるが、

僕たち青磁作品を造る者には、中国南宋官窯の二重貫入青磁を

世界で初めて再現させた、伝説の陶工と崇められている存在だ。

一度その魅力に取り憑かれると、自分の方向を見失う危険さえある、

そんな諸刃の剣のような嶺男青磁は、今も僕の心の底に眠っている。

そして、小説家の芝木好子が1972年に女流文学賞を受賞した

「青磁砧」のモデルは岡部嶺男であり、嶺男青磁なのだ。

1967年に完成させた二重貫入青磁は、無論のことマキ窯でだった。

個展終了の前日、たまたま会場に来られたお嬢さんは

そこで流していた窯焚き風景ビデオと二重貫入青磁作品に目を留め、

父・嶺男の思い出を とつとつと語りだした。

それは今まで一度も文字にされていない岡部嶺男の姿だった。

長くお話しくださり、ふと歳のことになった。

すると、お嬢さんは僕と同い年、70歳、

1990年に世を去った岡部嶺男の享年も70歳だったのである。

 

2024.4.16



   

すでに先週で終了した展覧会の話で申し訳ないが、

ちょっと面白い展示が根津美術館で行われた。

その名も「謎解き 奥高麗茶碗」。

メイン企画展「魅惑の 朝鮮陶磁」に合わせての特別企画だ。

「奥高麗茶碗おくごうらいちゃわん」とは、高麗と名の付くものの、

じつは佐賀県唐津周辺で17世紀、茶の湯のために焼かれた茶碗である。

だが、その侘びた風情をまとった一群の出自は明らかにされていない。

どこの窯で、いつ頃焼かれたのか、なぜ唐津産でいながら奥高麗と称するのか。

この展覧会では、伝世する奥高麗茶碗34点を一堂に並べ、

その謎の解明に迫る、画期的なものであった。

会期は終了してしまったが、研究論考を一冊にまとめ発行されている。

根津美術館にて購入できるので、興味ある方は、ぜひ一読を。

   

2024.4.2


   

個展を終えて久しぶりに戻った丹沢の陶房は、僅かの間にすっかり春めいて

見上げれば満開のマメ桜、足元には春蘭が微笑むように咲いています。

この度は、日本橋三越での「中島克童 陶展-IMAGE of 織 some 染-」を

ご高覧いただき心より厚く御礼申し上げます。

やっと新型コロナの影響が薄れ、海外からのお客様も交えて賑わう

明るく楽しい会場となり、お陰様で盛会のうち終了いたしました。

どうぞ これからも宜しくお願い申しあげます。

 

2024.3.19



日本橋三越「ショップニュース」にて『中島克童 陶展』の予告配信中。



    

重ねてのお知らせとなりますが、いよいよ来週の水曜日から。

3月6日(水)~12日(火)、日本橋三越本店 美術工芸サロンにて開催。

会期中は会場内で登り窯の窯焚き風景をビデオ紹介。

全日程在廊します、ご来場をお待ちしております。

2024.3.2



   

前回お伝えした個展案内DMが刷り上がりました。

予定のページにUPしたのでご覧ください。

まずはホッと一息なのですが、出展作品の方は

おととい最後の銀彩窯を焚くという、毎度のギリ・スケジュールです。

ともあれ、窯を冷ます間、本当に久しぶりの裏山散歩をしました。

4月並みの温かな霧雨の中を歩けば、そちこちに春の息吹が。

もうすぐ春ですねぇ~♪



2024.2.20



 

あぁ・・・、ついに2月に入ってしまった。

3月6日からの日本橋三越個展まで、一ヶ月ちょっと。

年末の窯だよりに書いたとおり、大わらわの日々が続いているのでございます。

まだ、作品焼成が残っているというのに、もう案内状作成にも奮闘せねばなりません。

PDF入稿が一般的な現在、うちではWinXPでフォトショ5.0にイラレ10という

今では超クラシックバージョンでの入稿システム。

三越美術の要求に、ついてゆくのに必死です。

このあと、校正でOKもらえたら印刷となりますが、

いくらプリントスーパーでの印刷でも、

皆さまへDMを発送するのは、会期まで10日かそこらのギリギリ。

テレビCM 「楽々明細」 の横澤夏子さん状態での、

DM封筒入れ作業が始まるのでございます。 あ~ぁ・・・。

 

2024.2.1



   

1月10日 午前8:30、克童窯にパトカー3台、消防車両1台で山岳救助隊が集結。

物々しい雰囲気のなか皆テキパキと装備を身に着け、山に入って行く。

アレ?、遭難者を運ぶ折りたたみ担架を背負っているのは、若い女性隊員だ!

と、ここで種明かしを。

実はこれ「110番の日」のイベントで、この女性隊員は

「かほの登山日記」で有名な”登山系YouTuberかほ”さん。

この日は朝から山岳救助訓練体験をして、そのあと秦野警察署へ移動、

一日警察署長を務めるというハードスケジュールだったのです。

ちなみに、かほさんは昨年4月の「秦野丹沢まつり」に

山開き式で「丹沢の門」を開ける役の特別ゲストでもありました。

     

2024.1.16





明けましておめでとうございます

令和6年 元旦






さて、令和5年も幕を閉じます。

年を渡ると3月初旬に控える日本橋三越での個展準備に大わらわとなること必定です。

というのは、令和3.4年度に副会長を務めていた

大倉自治会の自治会長の番が回ってきたのです。

コロナ禍で何の経験も無いまま就任。

大倉は所帯数50戸余りの小さな村ですが、

上部に堀山下連合自治会、西地区自治会連合、秦野市自治会連合会が有って、

まぁ、出番の多いこと、計算外でした。

しかし、窯を築いて40年、お世話になって頂いている地元に、

少しでも恩返し出来ればと奮闘努力しております。

そんな訳で皆さま今年1年、大変お世話になりました。

どうぞ良いお年をお迎えください。

    

2023.12.30



     

今年もアレヨという間に師走なかば、年内の美術館訪問もそろそろ終わりかと先週、

旧知の唐津焼作家・藤ノ木土平さんの柿傳ギャラリーでの個展に合わせ、

戸栗美術館「伊万里・鍋島の凹凸模様」展を観てきた。

伊万里・鍋島というと絵柄文様が目に浮かぶけれど、

やきものの表面に凹凸文様が施された作品も多く伝世、

戸栗美術館には名品が揃っている。

削ったり、くりぬいたり、盛り上げたり、貼り付けたりと技法は多種多様。

その制作手順を推理すると、じつに難解だ。

しかし、今展は技法ごとに作品陳列して、制作過程をパネル展示、

とても親切で参考になる展覧会だった。

現在の自作に応用できるのもあったりして、

帰りに新宿の画材店・世界堂へ回り、

あれこれ使えそうな道具類を物色したのも、また楽しかったのである。

   

2023.12.15



   

横浜での知人の個展へ出たついで、ちょっと足を伸ばして

”天王洲アイル”の「TENNOZ ART AREA」を散策した。

ここは毎春、東京国際フォーラムで開催される”ART FAIR TOKYO"を

運営する会社「寺田倉庫」の拠点で、

アートに関する施設が10数ヶ所も点在するワンダーランドだ。

この日は大きなイベントこそ無かったが、

現代美術の最前線を張るアートディレクターたちのギャラリーが入る

「TERRADA ART COMPLEX」では、今年3月の”ART FAIR 東京 2023”の

入口を巨大作品で飾ったアーティスト田島タカオキの新作も観れた。

まさに眼福、満たされた気分で退出したのである。

夕暮れせまる天王洲アイル駅への道、

ふと見上げると驚くほど近く、ビルを掠めるように

旅客機が羽田空港の方に降りて行った。

   

2023.12.1



     

文化芸術の秋、まっ只中。

あちこちから届く案内状、招待状に、アレも観たいコレも行きたいと

悩ましい日々が続いている。

現在、来年3月の個展に向け、全力で制作に打ち込まねばならぬ時期なのである。

とは言っても、こればっかりは外せないと出掛けた所を幾つかご報告。

静嘉堂@丸の内「二つの頂き・宋磁と清朝官窯」。

国立科学博物館「和食・日本の自然、人々の知恵」。

根津美術館「北宋書画精華」内覧会。

鶴見大学・秋季シンポジウム「朱印船時代の陶磁文化」。

出光美術館「青磁・世界を魅了したやきもの」。

繭山龍泉堂「青瓷昇華・唐宋と高麗の青瓷展」。

やっぱりスケジュールやり繰りして足を運んで大正解、

いやいや、どれもこれも素晴らしい内容で十二分に刺激を受け、

明日への活力となった次第である。

     

2023.11.15



   

先日、日本工芸会神奈川研究会の令和5年度研究会・総会が行われた。

研究会は鎌倉の老舗美術専門店「瀧屋美術」が営む『Takiya Art Museum』で、

開催中の「JAPONISM・ジャポニズム展」を鑑賞考察する有意義な内容であった。

しかし、開会は午後2時、せっかく鎌倉まで足を運ぶのだからと

朝早く家を出て、たっぷり秋の古都を楽しむことにした。

ちょうど限定公開が始まったばかりの「まんだら堂やぐら群」は、

13世紀後半から16世紀頃までの150穴以上が確認される奇怪な山上遺構だ。

探訪のあとは鎌倉七口のひとつ「名越切通」を抜けて

山から海に下り、真っ青な空にキラキラ光る由比ヶ浜をぶらりぶらり。

じつは、その日一番の楽しみにしていたのが、ランチ。

「横浜ホンキートンク・ブルース」で知られる『オリヂナル・ジョーズ』で。

横浜から移転しての鎌倉なのだが。

作詞が俳優の藤竜也、作曲がカップスのエディ藩、40年まえ1982年リリースの名曲。

松田優作、原田芳雄、宇崎竜童、萩原健一など、

硬派な俳優、ミュージシャンたちに歌い継がれた曲で、

歌詞に「飯を喰うならオリヂナル・ジョーズで・・・」と出てくるのである。

あぁ、ついに来れた、オリヂナル・ジョーズ。

飯を喰いながら店内から見る、扉ガラスの裏返ったロゴは、哀愁が漂っていた。

   

2023.11.1



  

神奈川県全域と多摩地区で新聞折込みタウン誌を発行している「タウンニュース」の

秦野版にて、この前の神奈川会展会長賞受賞を紹介していただいた。

「人物風土記」という、大きい顔写真が付くかなり恥ずかしい紙面である。

しかも、狭い市内で週一毎に載せるわけだから取材対象者は老若男女じつに様々。

音楽コンクールで入賞の幼女から、農産物品評会で表彰された超高齢者さんまでと、

思わず微笑んでしまう、そんなコーナーなのだ。

で、発行から今日で5日、新聞を取っているのが当たり前のこの辺り、

会う人ごとに先生、先生とからかわれているのである。



2023.10.17



   

暑かった今年の夏もやっと幕を下ろし、十五夜を境に急に秋めいてきた丹沢である。

山の散歩道にある案内板に、牡鹿が牝に向けて鳴く求愛の声に

耳を澄ましてみてくださいと促しているが、

その遠い馬の嘶きにも似た声は山に物悲しく木霊して、

一層秋の気配を際立たせるのである。

牡鹿の鳴き声を聞く時、脳裏を去来する百人一首の歌、2首。

猿丸大夫と藤原俊成が山の奥で鳴く鹿の声を詠んでいて、

秋の悲しさに人生の哀れみを重ねている。

悲しからずや秋は、と。

     

2023.10.2



   

様々な行事が4年ぶりに通常開催となった今年の夏、

わが家でも久しぶりに余り綺麗でない湘南から離れ、

真っ青な海で波乗りを楽しもうと南伊豆サーフトリップに出掛けた。

夏休みの狂乱が終わった連休前の静かなビーチは

心身ともにリフレッシュできる貴重な場所であり時間である。

それに、下田にはもう一つの楽しみがあって、

アジアン・アンティーク&雑貨の店「えん en」に立ち寄ること。

なかなか目利きのオーナー浜ちゃんが年2回のアジア買い付け旅で

仕入れた成果を見せてもらうのが、とにかく面白いのだ。

さてさて、そして今回の買い求めた逸品はというと、

ミャンマー漆器「馬毛胎キンマ椀」。

ビルマ漆工芸の中心地パガンで制作されたもので、

馬の尻尾の毛を編んだ馬毛胎を漆で塗り固め、

精緻な模様を彫り、色漆を施した大変珍しい技法の椀だ。

現在、その技術伝承が絶えようとしており、

世界中の博物館・美術館が収蔵に努めている。

下右の画像は「ビルマ漆工芸美術」誌に紹介された頁で、

「馬毛胎」の構造が良く見て分かる。

ま、そんなことで、波と器に恵まれた小旅行を満喫したのであった。

   

2023.9.19



   

今年の夏もオマゴちゃん一家がソウルからやってきた。

昨年はコロナ禍での初来日、どこへも連れてってあげられず、
 
今年こそ喜びそうな所へと相成った。

オマゴちゃんは3歳の男子、何よりもクルマが大好きなのである。

ということで、わが家から1時間足らずのサーキット「富士スピードウェイ」へ向かった。

ここに昨秋オープンしたレーシングカー博物館「富士モータースポーツミュージアム」があり、

カーレース歴史上の国内外の名車40台が展示されている。

130年前に世界初のカーレースで優勝した車から始まり、

現在までの華やかなウイニングカーが一堂に並ぶ様は圧巻だった。

オマゴちゃんは最新のF1カーに乗っての記念撮影など御満悦の体であったが、

じつは少年時代に憧れた往年の名車を目前にして、

連れていった僕が一番喜んでいたような気がするのだった。



2023.9.1



   

予定のページでお知らせ中の「伝統工芸・神奈川会展」が

横浜髙島屋7階 美術画廊にて9日より開催されていますが、

なんと、出品した『灰釉銀彩大鉢・縞Shima』が最高賞の「会長賞」を受賞しました。

最近取り組んでいる、染織的イメージの作品です。

帯状彩色と雲母銀吹付を横糸・縦糸になぞらえて

織物を思わせる陶の世界を試み、まだ実験段階ですが

授賞という形で評価いただけたことは、本当に励みになります。

会期は8月21日(月)まで。お時間ございましたら、ぜひ御高覧ください。

13日(日)、18日(金)は在廊いたします。

   

2023.8.11



   

先日、7月24日付の新聞にトイレ作り職人の技を競う「衛陶技能選手権」の記事があった。

こんな大会があるとは全く知らなかったが、主催は便器製造トップブランド「TOTO」。

現在、同社の製造工場は日本国内数カ所の他、

米国、インド、中国、ベトナム、タイ、台湾、など9ヵ国にあるそうで、

その技術向上が目的なのだという。

さて、実を言うと、この記事に興味を持ったのは、ある思い出があるからだ。

TOTOは20年ほど前まで、神奈川の茅ケ崎にも大規模な便器製造ラインを持っていた。

当時、僕は茅ケ崎市中海岸のギャラリーで定期的に個展をしていたが、

毎回の来場者の中にTOTOの幹部の方がいた。

そして、茅ケ崎工場の便器生産ライン終了が決定した今から20年まえのこと、

僕の作風をよく知るその人が、直径60センチの大皿を焼くのに適した

耐火棚板・カーボランダムを下さると言ってきた。

男性用小便器焼成用カーボランダムが処分予定と。

嬉しかった、この手の特注サイズはとにかく高価で、

そもそも個人作陶家が必要とする枚数では作ってもらえないのである。

個展終了後、頂戴しに訪問の際、重量物を車に積むため家族で参上すると、

せっかくだから、と工場内を生産工程順に案内して下さった。

てっきり、大工場での大量生産ならば、オートメーションによる

ハイテク工場とばかり思っていた僕が目の当たりにした驚愕の光景。

なんと、我々と何ら変わらぬ、手造り感満載の作陶風景だったのである。

 

2023.8.1



   

鹿児島県も南端に位置する、南九州市川辺町宮の飯倉神社に伝わる馬上杯2点が

14世紀の中国・元時代に景徳鎮で焼かれた青白磁で、

日本初確認の装飾が施されているものと分かった。

高さ10センチの杯には透し彫りや、ビーズ紐状装飾があって、

このタイプは中国でも出土例がわずかという極めて珍しい作。

このように完全な形で日本に残っていたとは奇跡といえよう。

このたび飯倉神社から宝物の寄託を受けた

南九州市「知覧ミュージアム」が調査して分かったのである。

だが神社は奈良時代の創建で、馬上杯が伝わった

時期や経緯を示す資料は残ってないそうだ。

ただ、他の宝物と並ぶポスターを見ると後ろ奥の水注が

元時代末期から明時代初期の龍泉窯青磁のようだから、

ひょっとすると一緒に鎌倉時代後期の渡来かもしれない。

神社がある一帯は日本の外れながら、鎌倉時代には

幕府の実権を握る、北条得宗家の領地だったことからも。

ともあれレパートリー何でも有りの景徳鎮とはいえ、これは珍品中の珍品。

見てみたくとも九州最南端では、あまりに遠いのである。

   

2023.7.16



   

今年2月から根津美術館で3回に分けて開催された『西田コレクション受贈記念展』の

最終回、「阿蘭陀・安南etc」(オランダ・ベトナム他)へ行った。

寒風凍てる真冬から、カキツバタ咲く陽春、そして緑陰恋しい夏へと、

根津美術館の庭園歩きと共に楽しんだ、西田先生らしい

蒐集品の鑑賞も、これで終わりかと思うとちょっと寂しくもあった。

美術館自体が収集保管する美術品と一線を画す個人コレクションは、

その人なりのスパイスが効いていて、そこがとにかく面白い。

この「阿蘭陀・安南etc」展、会場に入るや対峙する独立ケース内に

鎮座した「塩釉人物文水注」などは、その最たるもの。

箱書きからすると江戸中期の享保18年(1733)に

山形藩主から家臣か誰かに下賜された品のようだ。

研究によると、この手の陶磁器はドイツ・ライン川沿いのヴェスターヴァルト窯で

16世紀末から17世紀に焼かれたワイン注器だという。

瓶の首に長く垂れた髭のある顔の浮き彫りがあるところから、

日本では通称「ひげ徳利」の名で知られる異国情緒たっぷりの瓶。

なるほど、そうなると1700年ころドイツで製造され、

はるばる日本に渡り来て東北地方で酒宴を取り持ったわけだ。

そして300年、ワイン好きの西田先生は、この瓶で美酒を注いだであろうか。

と、まぁ、ところで会期中のメイン会場は

「救いの みほとけ-お地蔵様の美術-」

日本人にとって親しみ深い、地蔵信仰の歴史とその広がりを概観する、

すばらしい見応えある企画展であった。

     

2023.7.1



   

その時、僕の頭の中をシューマンのピアノ曲「子どもの情景・トロイメライ」が流れた。

最近、地元の自治会長職務や工芸会の役員、近隣市の展覧会審査と、

滞りがちな作陶を憂いながらの裏山散歩がずっと続いていたのだ。

そんな中、この窯だよりに何度か登場している、

散歩コース半ばの通称「雑事場」にある登山案内看板を見て、

スッと心がほぐれていったのである。

「視線を変えると?」というタイトルで自然を楽しむ、小さなアドバイス。

そこに描かれているイラストの仕草、格好から観えるもの、

それは、すっかり忘れていた懐かしい世界。

子ども時代の情景だった。

股の間から見る逆さまの景色、しゃがんで見る小さな生命、

耳を澄ますと聞こえる自然の気配。

見上げると、少し恐い巨大な息吹、ざわめき。

あぁ、遠い昔。子ども時代の、あの時、あの空間。

頭の中を流れるトロイメライは、どこまでも優しかった。

   

2023.6.16



   

13年ぶりに虎ノ門にあるホテルオークラの大倉集古館を訪ねた。

大倉集古館は大正6年創設の日本で最初の私立美術館である。

ホテルオークラの開業は東京五輪2年前の昭和37年だから、

ホテルの付属施設のように思われがちだが、じつは集古館が歴史は古いのだ。

大倉財閥を築いた大倉喜八郎が収集した、日本を中心に

アジア諸地域の美術コレクションを基盤としながら、

ゴージャスな西洋アンティークなどの企画展も開催している。

13年前は「開窯300年・マイセン西洋磁器の誕生」展の内覧会に訪館、

レセプションで振る舞われた高級ワインに、

これがステータスシンボル「ホテルオークラ」が提供しているワインかと、

無遠慮にグビグビ何杯も飲んだのを恥ずかしく思い出す。

今回は特別展「愛のヴィクトリアン・ジュエリー」、

大英帝国がもっとも繁栄したヴィクトリア女王(在位1837‐1901)時代の

イギリス上流階級のライフスタイルをテーマにした展覧に。

ジュエリーも工芸の一端、たまにはこの方面の勉強も必要だしね。

しかし、それにしても久しぶりに行ってビックリしたのはホテルの様変わり。

かつてのシンプルながら日本的威風オーラを発していた「ホテルオークラ」が、

今風のどこにでもあるようなタワービル・ホテル「The Okura Tokyo」に。

なんだか、拍子抜けした気分であった。

   

2023.6.2




   

先週金曜の12日、根津美術館の「西田コレクション受贈記念展Ⅱ・唐物」へ行った。

3月に窯だよりでお伝えした展覧会のPartⅡである。

西田先生らしい珍しい唐物収集品をゆっくり楽しんだあとは、

特別展「国宝・燕子花図屏風・光琳の生きた時代」にも。

何と言っても、根津美術館を代表する尾形光琳のこの作品。

中庭の池に群生するカキツバタの開花時期に合わせての展覧会は、

年間企画の中でも、言わずと知れた一大イベントなのだ。

これは、屏風と花をセットで観るのがマナー。

会期終了2日前のタイミングだったので盛りは過ぎていたが、

それも自然の妙味、日本らしい風情に心安らぐ思いだった。

さて、今回は早めに丹沢を出てきたので時間はたっぷり。

銀座へ移動して、ご案内いただいていた並木通り7丁目の

ノエビア銀座ギャラリー「藤森 武 写真展・熊谷守一」を拝見。

そして久しぶりの銀座をブラブラ。中央通りに出て、日本楽器ヤマハに。

ストックを切らしていたE線とG線を求め、ふと8丁目方向を見いやると・・・。

あそこは?、4日前に起きた花の銀座を震撼させた白昼の凶行、

「高級時計店ロレックス覆面強盗事件」の現場なのであった。

おぉ、僕の野次馬的感情は、もう止められない。

行ってみると、皆さん同じなんですねぇ、スマホでバチバチ撮影中!

中には、一心不乱で現場の店をバックに自撮りしてる人もいたのだった。

   

2023.5.16



   

毎春の楽しみ、『プリマヴェーラ コンサート』が「みなとみらいホール」に戻ってきた。

約2年の大改装工事が昨秋に完成、その間は戸塚「さくらプラザホール」で

開催され、そこも中々良い会場だったが、

やはり「みなとみらいホール」の開演時間を告げる”ジャーン”という銅鑼の響きは、

中華街を控えるエキゾチックな横浜風情を醸し、何とも心地良いのである。

そんなわけで、入場前の軽い夕食は中華料理でと

ホール隣接のクイーンズスクエア内「陳麻婆豆腐」に入った。

この店の本店は四川省成都市で創業は清朝末期、1862年。

麻婆豆腐発祥の本家本元で、他の四川料理店で提供されているのは、

みな陳麻婆豆腐のアレンジなのだ。

日本の「陳麻婆豆腐」は、世界で唯一の暖簾分け店だそうである。

本物のマーボー食べて、美しい室内楽の調べに酔い、

横浜みなとみらいの夜景と潮の香り。

プリマヴェーラはイタリア語の「春」。

『プリマヴェーラ コンサート』が、みなとみらいホールに帰ってきた春の宵だった。

   

2023.5.1



   

東京都国分寺市の「武蔵国分寺跡資料館」を訪ねた。

それは、この”窯だより”の1月17日にお伝えした

小田原市「千代廃寺」出土瓦に関わってのこと。

どうしても見たいものが其処にある筈なのであった。

1月に奈良時代初頭創建とされる千代廃寺の遺物展示する「小田原市郷土文化館」で見た、

千三百年まえに焼かれた「鬼瓦」には実に興味深い説明があった。

その鬼瓦成形に用いた型は後に武蔵国分寺建設用に移され、

その型で制作したと考えられる全く同形の鬼瓦が

国分寺金堂跡から出土しているというのだ。

その時すぐにでも実見したい衝動にかられながらも機会は無かった。

一昨日たまたま調布までクルマで行く用ができ、武蔵国分寺跡を訪ねたわけである。

館内にの有無を確かめずの訪館だったが、

果たして胎土だけ異なる兄弟鬼瓦は展示されていた。

鬼瓦は寺院跡からの出土だが、焼成したのは

千代廃寺が神奈川県松田町の「からさわ古窯跡群」、

武蔵国分寺が東京都八王子市の「南多摩窯跡群」と判明している。

50km遠隔する両窯の陶工たちの営みを、

千三百年後の僕が目の当たりにしている面白さ、

なんとも愉快な気分で閉館時間の資料館を退出、

黄砂に霞む夕陽が包む美しい国分寺跡を逍遥した。

   

2023.4.15



   

初めて翁草の一番の見頃を味わうことができた。

何が一番なのか、それはオキナグサには2度の盛りがあるから。

タンポポのように花の時期と綿毛の時だ。

翁草の名の由来はこの二つの姿からのもので、

花は老齢を思わせる暗赤紫色の六弁花を腰を曲げ首を垂れるように開き、

花が終わったのち多数の長く延びた種子の集まりを、白髪のように風になびかせる。

この美しい二通りの姿を一度に観賞できることは極めて稀なのだ。

あぁ、こんなラッキーなことがあるなんて、

どうやら今年の春の花世界は、怒涛の勢いで一気に来たらしく、

吊り橋を渡った直ぐ近くでは満開の桜の下で、

チューリップ祭りが開かれていたのである。

 

2023.4.1



   

今年も東京国際フォーラムの「ART FAIR TOKYO」に行ってきた。

古美術から現代美術まで幅広い出展のある日本最大級のアートフェアだ。

見て回るだけでも一日がかり、どのブースも自慢の

最高のモノをご覧あれと熱気で溢れていた。

さて、いつも逸品中の逸品に驚かされる東洋古美術「繭山龍泉堂」、

今年のテーマは「萬暦」だった。

萬暦は中国・明時代末の万暦年間に焼造された景徳鎮官窯だ。

日本では桃山末にあたるが、昔から現代まで日本人に愛され続け

特に近代文化人にその傾向が強い。

志賀直哉の小説「万暦赤絵」もその例だ。

今回の出品は僅か5点で、DMの「五彩三龍山水筆架」は

実見すると小品ながらこちらに迫るものがある。

聞くと洋画家・梅原龍三郎の旧蔵品と言う。

と、ここで横に立つ龍泉堂さんと、あの日の思い出話しとなった。

それは今から17年まえ2006年の夏、

僕は東京目黒の真言宗寺院の御住職から制作を依頼されていた

青磁大花瓶をやっとのことで焼き上げ、作品を納めにお寺を訪ねたのだが、

たまたま龍泉堂さんがその秋に泉屋博古館分館で開催する

「中国陶磁 美を鑑るこころ」展に出品するための所蔵品を拝借に居らした。

それが、「万暦五彩龍鳳文六角瓶」、梅原龍三郎旧蔵の花瓶であった。

御住職は真言宗本山の高野山にて永く要職に就かれた高僧でいながら、

素晴らしい中国古陶磁のコレクターとしても知られる方だった。

当然のことながら2本の花瓶を間に場は盛り上がって話しは尽きず、

3人で近くの中華料理店へ行き食事まで御馳走になったことを懐かしんだ。

その御住職は惜しいことに昨年夏、お亡くなりになられた。

まだお元気であったなら、きっとこの筆架は目黒のお寺に納まったことだろうと、

龍泉堂さんとしみじみ話して、ブースを後にした。

   

2023.3.16



   

根津美術館の企画展「仏具の世界」会期中、2階〈展示室5〉で開催される

『西田コレクション受贈記念Ⅰ・IMARI』の特別内覧会に招かれた。

「西田コレクション」とは根津美術館・顧問を務める西田宏子さんが

蒐集された、東洋・西洋の陶磁器など工芸品。

一昨年、その169件の寄贈を受け、整理・研究を進め、

このたび優品を選りすぐり、テーマごとに3回に分けて紹介することと。

第1回は「IMARI」、九州有田の伊万里焼である。

西田先生は慶応義塾大学 文学部 史学科出身で、卒業後オランダに留学、

その後イギリス・オックスフォード大学で博士号を取得する。

そして次には韓国へも留学した。

1、2回目の留学は日本から17、8世紀に海外に流出した伊万里焼を追って、

3回目の韓国は伊万里焼の根源探索と筋金入りの研究者なのだ。

そう云えば、僕が40年まえ初めて海外の古窯跡を訪ねたのが

韓国 忠清南道 鶏龍山 だったが、その道標としたのが

西田先生の「韓国やきもの案内」であったことを懐かしく思い出した。

   

2023.3.1



   

昨年10月から平日の朝に楽しんでいた韓流時代劇ドラマが2月8日に完結した。

全72話という長編だったが、最近の窯だよりでお話ししていることに

通ずる時代背景だもので、結構ハマっていたのである。

朝鮮三国時代の百済、第25代「武寧王(在位462‐523)」が王となるところから、

子のミョンノン太子が王位を継ぐまでのドラマだ。

上左の番組広告の右端男性がそのミョンノンで、

第26代「聖王(聖明王)在位523-554」となるわけだ。

ここでもう気付かれた方もおられるだろう、

538年に日本の「欽明天皇」に仏典・仏像を献じ、仏教を伝えた聖明王である。

そして、ドラマのラストで番組広告の左から2人目の女性スベクヒャンと結ばれる。

ドラマはここまでだが、じつはこの二人の間に生まれる子が

第27代「威徳王(在位554‐598)」となり、日本へ造寺技術者を送るのである。

派遣された、僧・寺工・瓦工らにより596年に

日本最初の本格的瓦葺き寺院「飛鳥寺(法興寺)」が落慶したのだ。

飛鳥寺は718年、平城京に移されて「元興寺」と称し「ならまち」エリアに現存する。

その日本初の瓦は元興寺本堂の西流れに今も残されている。

下の写真右の不均一な色合いの瓦面がそれで、

昨秋の奈良行で、1400年まえに焼かれた瓦が今、

役割を担いつつ在る姿をしっかり目に収め、感動に浸ったのである。

   

2023.2.15



   

先日、招待券を頂いた熱海MOA美術館へ行き

割と早く観終わったので、前々から気になっていた「起雲閣」を見学した。

かつては名立たる文豪たちに愛され、寛ぎと執筆の場となった名旅館だったが

平成11年に暖簾を下ろし、今は熱海市が熱海を代表する別荘建築として

管理公開、文化イベントなどにも利用されている。

起雲閣は大正期に活躍した海運王・内田信也の別荘として大正8年に建築、

その後、鉄道王・根津嘉一郎が所有し増改築、

日本、中国、欧州の様式が融合する独特な建物となった。

そして、大戦後の昭和22年から旅館として生まれ変わるや

様々な文化人を迎えることとなる。

広大な敷地の緑豊かな庭園を囲む幾棟もの客室は回廊で繋がり、

見学に40分を要したのには驚いたが、

作家たちが逗留した部屋のそれぞれが興味深いものだった。

太宰治が「人間失格」を執筆した別館は失われていたけれど、

その間に当時の愛人の山崎富栄と宿泊した「大鳳の間」は今も残る。

起雲閣で昭和23年3月7日から31日まで執筆した「人間失格」は5月10日に完成。

しかし、間もない6月13日、件の山崎富栄とともに玉川上水に入水、他界した。

起雲閣の滞在から、たった二月半のことである。

   

2023.2.1



   

小田原市東部の千代で7世紀末葉に造営された「千代寺院跡(千代廃寺)」と、

その地で採取された屋根瓦を保存している「小田原市郷土文化館」を訪ねた。

千代廃寺は創建年代の古さと規模の大きさから、

かつては東大寺の伽藍配置を持つ初期国分寺とする説があった遺跡である。

千代寺のことは6年まえ神奈川西部と静岡東部の古代須恵器窯を調べた折、

家から7㎞と近い松田町の酒匂川畔高台に位置する「からさわ古窯跡群」を知り、

幾度も足を運んだがその窯跡は須恵器窯でなく古代瓦を焼成した「瓦窯」で、

酒匂川下流に建設する千代寺院のための窯だったことで、関心が薄れたままとなっていた。

ところが昨秋、奈良・藤原京跡を旅した時に藤原宮が日本初の瓦葺き宮殿であったこと、

建設時に近辺に「瓦窯」を築いてから建築に着手したこと、

完成が694年と7世紀末葉であることに驚いたのだった。

と、すると・・・、妄想は渦を巻く。

藤原宮の瓦工人と、からさわ古窯跡の瓦工人たちは

同族の仲間だった可能性も無きにしも非ずというわけだ。

郷土文化館に展示された千三百年前に焼成された瓦を見ていると、

古代工人たちの活力と生気がそこに漂うのを感じた。

   

2023.1.17





明けましておめでとうございます


令和5年 元旦




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