窯だより



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令和7年がスタートして明日は小正月を迎えるが、

昨年のようなこと無い順調な滑り出しだったと言えよう。

やはり平々凡々に正月を過ごす、過ごせる幸せ、これが何より一番なのである。

元旦は氏神様と菩提寺に詣でてから、お節お雑煮で一杯、ゴロゴロと日暮らし。

2日、3日は箱根駅伝のテレビ観戦、と頂いた年賀状にメールでご挨拶。

でも、駅伝がゴールすれば手持ち無沙汰な心持ち。

5月の大阪個展に向けて、彩磁型染の新パターンを截ったり。

4日にはロクロに座り、考えてみれば大晦日もロクロ仕事だった。

まるまる休んだのは元日だけと、なんとも貧乏性なお正月なのである。

さて、小正月といえば「どんど焼き」、左義長です。

松飾りや注連縄、達磨などを燃し、その火で炙った団子を食べる、

ことし一年の無病息災を祈る行事。

ここ大倉自治会では少し早めに12日の日曜日に行われた。

これで、やっと2年間の自治会長職としてのイベントは終了、

後は、3月末の定期総会への事務仕事に役員一同、突き進むのである。

  

2025.1.14





明けましておめでとうございます

令和7年 元旦






令和6年も残すところ明日の大晦日だけとなりました。

毎年この年末のご挨拶を入力するたび、

時が過ぎる速さを嘆いてしまいますが、

歳を重ねるごとの加速度は驚異的でして、

いつも何かに追われてる様な心持ちは、

精神衛生上いかがなものか心配にもなるのです。

しかし、そんな情緒を、そっと回復してくれる何かに出会うことも、しばしば。

上の写真は、秋の鎌倉で開催された「伝統工芸・神奈川会展」でのこと、

空いた時間に散歩がてら訪れた、鎌倉最古の寺「杉本寺」。

本堂への石段横にある小さな弁天池、ハッとする美しさ。

まるで一幅の日本画の世界でした。

この情動は、ひょっとしたら歳を重ねた故かも知れません。

ん~、どうでしょ。

では、そんなことで、皆さま良いお年をお迎えください。

  

2024.12.30





先週、家内が主宰する陶美アカデミー受講者たちによる「野焼き実習」が

ここ丹沢の陶房で行われ、及ばずながら手伝い参加した。

日頃もっぱらガス電気窯を使い、たまに登り窯も焼いているが、

一度、やきものの原点である「土器」を経験しておこうと企画。

土器は考古の分野と思われがちだが、アジア・アフリカ・南米など、

現在も世界各地で日常生活品や装飾品が焼成されている。

作られるものは民族的、時代的特徴があり、

野焼きと一口に言っても実に様々で、焼き方もまた色々なようだ。

上の冊子写真は、中国雲南省マントウ村、タイ チェンマイ県ハンケン村、

ベトナム ビントウアン省ビンドック村の野焼き風景だが、

土器作りは全て女性によって行われ、男性はノータッチだという。

40年前、タイ北方カンケオ村を訪ねたが、そこでもそうであった。

話しが逸れたが、今回の実習は中国雲南省景洪タイ族の方法をとった。

1977年の学術報文に詳しくあったので、それを参考にしたものだ。

下の写真がそれで、空気口を設けた玉石で囲った方形を窯床とし、

枯れた樹木の枝を敷詰めて上に作品を並べる。

その上に大量の稲ワラを横、たて、横と数層に亘って覆う。

そして上面を泥土で塗り固め、天頂部の煙出口を幾つか指であける。

つまり、野焼きでも簡単ながら窯の構造を持ち合わせている。

さて、実習は午前9時から始めて午後4時まえ焼成終了、

だるまストーブで暖かい工房に入りビールで乾杯、期待を膨らます。

辺りが暗くなったころ野焼きの残り火が落ちきったのを確認、

まだ所々熱いワラ灰の山を掻き分け、ドキドキしながら土器を取り出した。

焼き上がりは上々、2.3点の破損はあったものの実習は成功した。



2024.12.17





ソウルからホットニュースが舞い込んだ。

国立中央博物館で高麗青磁に関わる、メッチャ稀有な展覧会が開催されるという。

正確には、この情報が届いたのは半月まえで、

展覧会は11月26日にスタートしている。

それで、何が稀有なのか?

高麗青磁は朝鮮半島の中部南部で10~13世紀に焼造され、

素晴らしい澄んだブルーの釉色の美しさから、

自国では言うに及ばずアジア一帯で翡色青磁と呼ばれ珍重された。

高麗人の当時の最先端技術と独自の美感の産物である。

じつはその中に「象形青磁」という立体表現作品が多々存在する。

象形、つまり動植物、人体などの特定形態を真似て形作り、

ここに青い釉薬が加わり、躍動感を感じられる作品がを生み出された。

しかしながら、通常の高麗青磁展では出展作品内の極一部、

なかなか象形青磁をまとめて観る機会は無かったのである。

それが、今回の展覧会、タイトルはズバリ、

『青い世界を作る・高麗象形青磁』。

高麗が成し遂げた青磁文化の頂点である象形青磁に

単独スポットライトを当てる展覧で、その数なんと300点あまり。

象形青磁の歴史と文化的脈絡を探る、まさに稀有な展覧会だ。

これは、観に行くっきゃ無いでしょう!

会期は来年、2025年3月3日まで。

行けるかなぁ、無理かなぁ、年度末に向けて自治会の仕事立て込んでるし。

でも、どうしても行きたいよなぁ・・・。

   

2024.12.3



     

10日の日曜日に横浜・シルク博物館で”日本工芸会・神奈川研究会”の

定期総会と今年度研究会があって、県内西の外れから出席してきた。

参加会員の中で一番の遠方なので、遅れてはいけないと

早めに家を出たものだから、横浜でだいぶ暇をつぶすことと相成った。

シルク博物館は、みなとみらい線の「日本大通り」駅が最寄り。

なので、行ったことがなくて時間調整ができる所を、とスマホ検索。

”クイ―ンの塔”のニックネームで親しまれる「横浜税関 資料展示室」を訪ねた。

ちなみに”キングの塔”は「神奈川県庁」とのこと。

さておき、資料展示室のメインテーマは何と”密輸”。麻薬や偽ブランド品。

これが、けっこう勉強になって実に面白かった、映像も有ったし。

とにかく、しっかり時間調整して「象のテラス」からアプローチ。

ぴったし、集合時間にシルク博物館へ到着したのである。

博物館会議室での総会の事は省くが、今年の研究会が良かった。

ちょうど開催中の「型で彩るリズムと色彩-型絵染8人展」。

この展覧会場で研究会が行われたのであるが、

日本を代表する型染め作家8名のうち2人が今回の出席者。

技法や材料、素材と地域性など興味深い話しをダイレクトに。

するとです、陶芸にも応用できることが沢山あるではないか。

いやいや、日本工芸会・神奈川研究会は素晴らしい。

来年の個展に向かって、早速その技法を採り入れ、

現在、アレコレ奮闘しているのであります。

     

2024.11.16



     

11月1日は、根津美術館所蔵の江戸時代中期の漆芸作品が

重要文化財に指定されたことに因む特別企画展

「百草蒔絵薬箪笥と飯塚桃葉」の内覧会に招かれ東京へ出掛けた。

しかし、内覧は夕方4時からと中途半端な時間だったため

先に之も招待券を頂いている”静嘉堂@丸の内”の「眼福」展を回ることにした。

午後一番に入館すると、館内は入場者で凄い混雑をしていたが、

運良く此の展覧会を企画された学芸員さんと会え、ご挨拶していると

そこに奇遇にも大阪でいつもお世話いただいている

”大阪市立東洋陶磁美術館”の学芸員さんがバッタリ!

今回の「眼福」展に珍しく蓋を外して展示されていた

「青磁水指」を囲んで、陶磁談義に花が咲いたのであった。

さて、ついつい長居をしてしまい慌てて根津美術館へ。

内覧会に無事、出席したのである。

展覧会の主役”百草蒔絵薬箪笥”は、作者”飯塚桃葉”が

18世紀後半の医薬の元となる”薬草”百種の博物図譜を

細密に描き意匠、構成して蒔絵技法で装飾されている。

そのようなことで内覧会出席者は、人間国宝の漆芸作家をはじめ

工芸各分野の造り手たちはもちろんのこと、

ファッションデザイナー”コシノ・ジュンコ”さんの姿もあった。

とにかく、濃厚な「眼福」にあずかった一日だった。

     

2024.11.3



     

連休の中日に秋晴れの下、たまには目の保養をと都内を巡った。

朝に丹沢から下りて表参道まで、根津美術館の「夏と秋の美学」展。

この企画展をさらりと観て、展示室5の「やきものにみる白の彩り」展。

陶磁史に”白い器”が生まれてから、その後の展開と変容を俯瞰。

そして銀座線に乗り京橋へ、繭山龍泉堂の秋の展観「嘉靖」展。

中国・明時代でも、自由で華やかな嘉靖年間(1522~66)官窯の優品を

一堂に集めた展観は圧巻、そうそう出会えるものではない。

ここでオーバーヒート気味になった頭を鎮めるため銀座をそぞろ歩き、昼食。

クールダウンしたところで地下鉄に一駅、新橋で下車。

休日昼間の白けた歓楽街を徒歩10分、東京美術俱楽部「東美特別展」へ。

3年に一度のアートフェアで、1964年より開催の第22回。

東京美術商協同組合に所属する美術商から選ばれた65店が集まり、

日本・中国・韓国などのアジアの美術品を展示販売する。

今回は60周年ということで「常盤山文庫名品展」を同時開催。

国宝2点、重要文化財3点を含む書画・陶磁の出展は凄かった。

他のブースも、藤原行成、西行、良寛、芭蕉らの書が並び、さすが「東美特別展」。

さて、日も傾いて大門駅から新宿へ、雑踏の中を泳ぎ小田急線に乗った。

疲れきって丹沢・大倉の終点バス停に降り立ち、夜空を見上げると、

そこには二日後に十三夜を控えるお月様が、冴え冴えと輝いていた。

     

2024.10.16



   

今年2月の”窯だより”で個展DM作成にAdobe社の

PhotoshopとIllastratorを使っていることをお話ししたが、

じつはこのソフトは超古~いバージョンで、

Windows95~XPまでしか対応していないタイプなのだ。

つまり、2006年のVista登場で生産終了したXPモデル2台を

今も大事に大切に所有して印刷入稿データを作って来ている。

しかし内1台が、トホホ、ついに壊れてしまったのである。

もう1台の方は大丈夫なのだが、もしもの時が相当に心配だ。

さっそくネットで中古XPマシンを探すと、有るにはあるが

何ぶん旧年式の機材のため、当たりはずれが激しいとのコメント多々。

さて、どうしたものか・・、と思い巡らすうち、

我が家の押入れの奥にWindous98ノートが眠っていることを思い出した。

そのPCはかつて松屋銀座で個展を定期開催していた時分、

それまで作家が手書きの出品作品リストを提出し、

美術部の人がプライスカードを手書きで作っていたが、

効率改善にPCを導入しExcelで一括管理の方向となった。

そこで、パソコンなんて無縁だった僕にもぜひそうしてくれと、

美術部の方が中古PCといえプリンターまで付けて下さったのである。

もう20年近く使用してないPC、果たして起動するであろうか?

恐る恐る押入れから引っ張り出してコードを繋ぎ、スイッチON。

おぉ~、Windows98は永い眠りから目を覚ましてくれたのだった。

そして懸案のPhotoshopとIllastratorもインストール完了。

やれやれ、これでゆっくりと程度の良いXPモデルを探すことが出来る。

そんなことで、頂いた当時は気にもしなかった、このPCのスペックを検索。

ま、時代からして性能はそれなりで言わずもがなだったが、

驚いたのは価格だ、なんと458,000円だと~!!

まだまだ庶民には高嶺の花だった訳である。

   

2024.10.1



   

9月前半は自治会活動の繁雑期、”防災訓練””市民一斉美化清掃”

そして、”山之神式典””堀山下連合敬老会”と超過密スケジュール。

その上、今年は日本の近海で台風が湧くように発生して

天候が極めて不安定、各地で被害が出る状態が続いている。

このままモタモタしていると夏が逃げて行ってしまうと、

行事の間隙を縫って、伊豆・下田へクルマを走らせた。

そうして、賭けのような3日間のサーフトリップは幸運にも

絶好の天気に恵まれ、遥か南の海から寄せる波と戯れたのである。

宿はコロナ前によく利用した、昭和レトロなペンションにチェックイン。

すると、日本人は僕たちだけで他は外国からの旅行客。

ビーチに出ても、目立つのはインバウンドばかり。

まっ青な空と海、広がる砂浜に砕ける白波と相まって、

異国のビーチリゾートに来たような気分が嬉しかった。

   

2024.9.15



   

東洋陶磁学会の大会3「陶磁器研究のここが面白い!」が

東京大学 本郷キャンパスで開催され、

頭のワルイ僕にとっては今まで縁遠いところだったこともあり、

これは良い機会と勇んで参加してきた。

学会にしては少しばかり軽いシンポジウムタイトルだが、

25名の研究者によるポスターセッションは充実した内容だった。

さて、冒頭で申したとおり今回のメイン目的は、東大見学ツアー。

高名な「赤門」を内側から眺めたり、夏目漱石の小説のヒットで

本来の名称から「三四郎池」に変わった池の畔に立ったりと。

しかしながら、じつは一番に見たかったのは「安田講堂」であった。

1968年1月、医学部の無期限ストライキに端を発した東大紛争は

半年あまり東大総長、教授会など執行部との折衝を続けたのち、

他学部を巻き込みながら各棟でのバリケード封鎖へと進展。

6月に医学部全闘委の学生らが安田講堂を占拠するや、

他の大学からも志を同じくする学生たちが次々集結し籠城を共にした。

そして明くる69年1月18日、バリケード封鎖を解こうとしない状況に機動隊が出動。

投石や火炎瓶で激しく抵抗する学生側を放水、催涙弾で制圧し、

翌19日に東大紛争「安田講堂事件」は終結した。

この模様は35時間にわたってテレビで中継され、

視聴率が45%を超えるなど日本全国の関心を集めた。

そのとき僕はまだ15才、高校受験を目の前にした中学3年生。

「進学して学ぶ」という意味を、子供ながら考えさせられた事件だった。

   

2024.9.1



   

残暑お見舞い申し上げます。

前回に引き続き、自治会の話題で申し訳ありません。

これでは”窯だより”でなく、”自治会だより”のようですね。

でも案外みな様の生活にもお役に立つかと思いましたもので。

じつは先週末、大倉自治会館の玄関上にスズメバチが

巣を作っているのを役員の一人が発見しました。

それまで誰も気付かずにいて、もう径15センチほどになっています。

9月は初頭から自治会館を使う行事が立て込み、

このままでは支障をきたすこと必定ですし、被害者が出るやも。

しかし、スズメバチの駆除は非常に危険な行為、

専門業者に依頼するしかありませんが料金が心配です。

そこで、秦野市市民活動支援課へ相談に行くことになりました。

すると意外なことに紹介されたのは害虫駆除業者ではなく、

「シルバー人材センター」だったのです。

それって、ふつう公園の草刈りとか民家の庭木の手入れなどの?

少し不安な気持ちを抱きながら、まずは電話を掛けてみました。

で、電話に出た事務の女性に事の次第を説明すると、

「分かりました、料金は大きさに関わらず一個1万円です。

担当の者が駆除に出てるので、戻り次第そちらへ参ります」と。

で、来て下さいました、軽自動車で僕と同年配のお二人。

件のスズメバチの巣を見るなり、

「あ、これですか、駆除に2分、10分で全て終わりますから」と、

クルマから道具を出すや着替えもせず、素足に突ッカケのまま。

あっという間の出来事でした。

あとで聞いたり調べたところ、専門業者の料金は3万5千円以上。

”シルバー人材センター”恐るべし、というお話しでした。

   

2024.8.16



   

先週末、地元の堀山下連合自治会が主催する「納涼大会」が開催された。

この連合自治会は秦野市堀山下地区の8自治会の集まりで、

その各会長・副会長の16名に会計・書記4名を加えた総勢20人の役員が、

準備から納涼大会進行、撤収まで行っているが、

平均年齢65才を超えるジジイ軍団には、かなりハードだ。

納涼大会自体は陽が落ちてからの行事だが、

設営・撤収は灼熱炎天下作業であり、まさに決死隊の様。

今回も朝8時、大倉バス停がある県立秦野戸川公園広場に終結、

鉄骨製の盆踊りやぐら舞台の組み立てや、テント設営に四苦八苦、

それでも正午すぎには会場が出来上がったのであった。

ところが直後、公園背後の丹沢表尾根上に怪しい入道雲が湧き上がる。

とたん、空はにわかに掻き曇り・・・、

最近あちこちを襲っているゲリラ雷雨へ一変!、ドシャ降りとなった。

納涼大会の開会は夕方6時、なのに4時を過ぎても降りやまぬ雨。

役員一同ボーゼン!、中止已む無しと追い込まれた。

ところがである、キセキは起きた!

開始直前に見る見る雲が薄くなって流れ去るでないか。

そして、雨後の涼しい風が会場に吹き渡ったのである。

こうして、堀山下連合自治会主催「納涼大会」は盛会のうちに終了した。

   

2024.8.1



   

1年半ぶりに3日ほど上方の旅、大阪の街を楽しんで来た。

約2年間の改修工事を終えてリニューアルオープンした

中之島の”大阪市立東洋陶磁美術館”に招待頂いていたのと、

5月に克童作品をコレクションして下さった奈良の”緑ヶ丘美術館”訪問、

”髙島屋大阪店”での来年5月の個展打合せ、その三つが今回の目的。

あとの時間は、今まで気になりつつも足を運ぶチャンスが無かった所へ。

万博記念公園の”国立民族学博物館”とシンボル”太陽の塔”、

鶴橋の”大阪コリアンタウン歴史資料館”と百済門が並ぶ”御幸通”、

日本最初のケーブルカーで登る”生駒山”と途中駅にある”宝山寺”、などなど。

そして日が暮れて、一杯やってからは毎度お決まりの、道頓堀ブラブラ歩き。

とんぼりリバーウォークは、人、人、人の大混雑。

こんな賑わい、いったい何年ぶりだろう。

リバークルーズ船は隙間なくビッシリの乗船客で溢れそうだ。

あれ?見渡せば外国人ばっかりじゃないか、

今って、こうなってんのォ~~!

来年の大阪万博に会期を合わせた個展が、今から楽しみになったのである。

   

2024.7.15



   

6月27日の朝刊に、現代美術家の三島喜美代さんの訃報が載った。

お歳も91才になられるので無理もないが、つい先日5月下旬から

練馬区立美術館で「三島喜美代―未来への記憶―」という大規模な、

これまでの仕事を振り返る展覧会を開催中のことで、ちょっと驚いた。

冒頭に現代美術家と書いたが、これは三島さんが常々発言している

「私は陶芸家でなくて現代美術家」のことばを尊重してのこと。

作家歴中30代半ばまではコラージュによる絵画制作が主であったが、

1971年の「日本陶芸展」へ”薄く延ばした陶土に新聞紙面を転写し焼成”した

作品を前衛部門で発表して以後、段ボール、飲料缶、マンガ雑誌など、

身の周りにあふれる情報やゴミをテーマに半世紀にわたり作陶してきた。

1974年には、イタリアの「ファエンツァ国際陶芸展」で金賞を受賞している。

そのほとんどはリアルサイズ作品であるが、モニュメント的作品に

2005年、香川県・直島に高さ約5mのゴミ箱の巨大オブジェ

「もうひとつの再生・2005-N」を制作し話題となり、今も時折TVで目にする。

三島喜美代の作品は大英博物館や米シカゴ美術館にも収蔵されていて、

2021年度に文化庁長官表彰を受けている。

あの、スーパーお婆ちゃん作家の訃報に、なんか力が抜ける感じがした。

   

2024.7.3



     

伝統工芸神奈川研究会の委員会があって、横浜まで出かけた。

3年まえに陳列の手伝いだけだからと頼まれて

”展覧会協力委員”をお引受けしたら、おととし普通の”委員”に。

そして昨年から何時の間にか”会計監査委員”へと、

どうやらワナに嵌ったらしく、ドップリ浸からされてしまった。

でもまぁ、年に幾度も駆り出されるわけでもないし、

委員会の会議は駅近くのミーティングルームにて午前中で終了。

横浜近辺のあちらこちら散策する良い機会と思うことにしている。

さて今回は、横浜市内最古の寺院「弘明寺ぐみょうじ」を初めて参拝してきた。

弘明寺の創建は平安時代中期かそれ以前とされ、

本尊である「十一面観世音菩薩立像」は国指定重要文化財である。

像高181.7㎝、ハルニレ一木造りの平安中期作で、

関東に遺る「鉈彫仏像」の典型的な作例として名高い。

鉈彫りとは丸ノミの彫り跡を像表面に残した特殊な彫り口のあるものを言い、

この十一面観音のように細い指先までノミ跡がハッキリ残る様を、

本当に間近に、それもガラス越しでなく拝観できるのは稀だ。

京急の弘明寺駅から行って、帰りは市営地下鉄の弘明寺駅から乗ったが、

二駅を結ぶ参道商店街は、どこか浅草にも似た下町風情が漂っていた。

   

2024.6.15




   

渋谷・松濤美術館の「没後120年 エミール ガレ展」に行った。

アールヌーボーを代表するフランスのガラス作家として高名であるが、

僕は たまにTVの鑑定団に出てくるランプ作品くらいしか知らず、

一度ちゃんと見ておかねばと思っていたのである。

今回のガレ展は、初期作品から晩年の、

晩年といっても58才の若さで病死しているのだが、

その工芸作家として活動した期間を通観しての120余点による構成。

日本国内に秘蔵されていた、研究者さえ初見という

未公開作品を含むかつてない展覧会だそうだ。

そして、知らなかったが、ガレはガラスだけでなく、

陶器の食器や動物形置物、木工の飾り棚など家具まで、

素材の異なる作品も手掛けていたのであった。

ガレは、意外にもマルチプレイヤーだったのである。

言ってみればガラス作家としても、制作は職人たちと協力しての、

ディレクター&デザイナー的スタンスのスタジオ生産なのだから、

ガレにとっては生活空間すべてが創作エリアだったのであろう。

ところで、ガレの代表作はランプであり、そのイメージが万人共通と思うが、

ガレ工房があった地方に電気が引かれたのは1902年のこと。

なんと、ガレが亡くなる2年前のことなのだそうだ。

まあ、とにかく知らない事づくめで、

同じ工芸の世界に身をおく自分が恥ずかしいばかり。

でも、エミール・ガレの魅力に心底浸る展覧会だった。

神秘的な美しさが、会場内を通奏低音のごとく流れているのを感じた。

   

2024.6.1



   

”予定のページ”でお知らせしていた「第52回 伝統工芸陶芸部会展」が一昨日終了しました。

今年は個展でもサブタイトルとした系列の<灰釉きら彩茶碗「織ori」>を出品。

しかし、作品搬入が個展と重なって写真撮りできず、別の画像でお知らせしていました。

ここで改めて帯色パターンが違う、出品した茶碗作品をご紹介しておきます。

すっきりとした青と緑の2色パターンです。

ところで、この茶碗、お買い求めいただきました。

それも、所望されたのは美術館、奈良の「緑ヶ丘美術館」所蔵となったのです。

まあ、びっくりやら、うれしいやら、こんなこともあるんですね。

そしてなんと、初日に売約済なっていた作品を、どうしても欲しいという方まで。

納期は問わないとおっしゃり、追加制作することとなりました。

最近取り組んでいる「織ori」シリーズの予想を上回る反応に、

気が引き締まる思いで終了した「伝統工芸陶芸部会展」でした。

   

2024.5.15



   

毎春恒例の「プリマヴェーラ コンサート」にご招待いただき、

今年も”横浜みなとみらい小ホール”で室内楽に酔いしれた。

ピアノ、バイオリン、チェロによる三重奏にはピッタリな会場で、

440席の小ホールは可動式残響調整板を備えたシューボックス型。

ヨーロッパの貴族たちのサロンを思わせる、親密な空間である。

毎回、三つの組曲で構成されたプログラムにより演奏。

今年は1曲目「ハイドン・ピアノ三重奏曲 第1番 ホ長調 Hob.XV:28」

2曲目「シャミナード・ピアノ三重奏曲 第1番 ト短調 作品11」

3曲目「スメタナ・ピアノ三重奏曲 ト短調 作品15」であった。

ハイドン、スメタナは割と演奏される機会が多いが、

シャミナードは多分、初めてだと思う。

シャミナードは19世紀、パリに花咲いた女流作曲家とされているが、

当時はパリ音楽院作曲課に女性は入学を許されてなく、

近隣住人だった作曲家ビゼーを頼りに、

個人的にいろいろな先生の教えを仰ぎ学び、

苦しい時代を過ごしたのちの成功だったそうである。

日本の陶芸界での女流陶芸家・坪井明日香さんを彷彿させる話だ。

さて、それはさておき、今回のコンサートで一番感銘を受けたのは、

ピアノのソロが28小節間も続く、ハイドン第2楽章アレグレット。

左手が刻む低音部のスローなリズムと、右手高音部のスピーディーな流れ。

いや~、痺れました、岡部由美子さん、めっちゃカッコ良かったです。

ブラボ~ッ!最高ッ!

  

2024.5.1



   

この前の日本橋三越個展の際、とても嬉しい出会いがあった。

それは、孤高の陶芸家 岡部嶺男(1919-1990) のお嬢さまである。

岡部嶺男というと「永仁の壺事件」が世に知られるが、

僕たち青磁作品を造る者には、中国南宋官窯の二重貫入青磁を

世界で初めて再現させた、伝説の陶工と崇められている存在だ。

一度その魅力に取り憑かれると、自分の方向を見失う危険さえある、

そんな諸刃の剣のような嶺男青磁は、今も僕の心の底に眠っている。

そして、小説家の芝木好子が1972年に女流文学賞を受賞した

「青磁砧」のモデルは岡部嶺男であり、嶺男青磁なのだ。

1967年に完成させた二重貫入青磁は、無論のことマキ窯でだった。

個展終了の前日、たまたま会場に来られたお嬢さんは

そこで流していた窯焚き風景ビデオと二重貫入青磁作品に目を留め、

父・嶺男の思い出を とつとつと語りだした。

それは今まで一度も文字にされていない岡部嶺男の姿だった。

長くお話しくださり、ふと歳のことになった。

すると、お嬢さんは僕と同い年、70歳、

1990年に世を去った岡部嶺男の享年も70歳だったのである。

 

2024.4.16



   

すでに先週で終了した展覧会の話で申し訳ないが、

ちょっと面白い展示が根津美術館で行われた。

その名も「謎解き 奥高麗茶碗」。

メイン企画展「魅惑の 朝鮮陶磁」に合わせての特別企画だ。

「奥高麗茶碗おくごうらいちゃわん」とは、高麗と名の付くものの、

じつは佐賀県唐津周辺で17世紀、茶の湯のために焼かれた茶碗である。

だが、その侘びた風情をまとった一群の出自は明らかにされていない。

どこの窯で、いつ頃焼かれたのか、なぜ唐津産でいながら奥高麗と称するのか。

この展覧会では、伝世する奥高麗茶碗34点を一堂に並べ、

その謎の解明に迫る、画期的なものであった。

会期は終了してしまったが、研究論考を一冊にまとめ発行されている。

根津美術館にて購入できるので、興味ある方は、ぜひ一読を。

   

2024.4.2


   

個展を終えて久しぶりに戻った丹沢の陶房は、僅かの間にすっかり春めいて

見上げれば満開のマメ桜、足元には春蘭が微笑むように咲いています。

この度は、日本橋三越での「中島克童 陶展-IMAGE of 織 some 染-」を

ご高覧いただき心より厚く御礼申し上げます。

やっと新型コロナの影響が薄れ、海外からのお客様も交えて賑わう

明るく楽しい会場となり、お陰様で盛会のうち終了いたしました。

どうぞ これからも宜しくお願い申しあげます。

 

2024.3.19



日本橋三越「ショップニュース」にて『中島克童 陶展』の予告配信中。



    

重ねてのお知らせとなりますが、いよいよ来週の水曜日から。

3月6日(水)~12日(火)、日本橋三越本店 美術工芸サロンにて開催。

会期中は会場内で登り窯の窯焚き風景をビデオ紹介。

全日程在廊します、ご来場をお待ちしております。

2024.3.2



   

前回お伝えした個展案内DMが刷り上がりました。

予定のページにUPしたのでご覧ください。

まずはホッと一息なのですが、出展作品の方は

おととい最後の銀彩窯を焚くという、毎度のギリ・スケジュールです。

ともあれ、窯を冷ます間、本当に久しぶりの裏山散歩をしました。

4月並みの温かな霧雨の中を歩けば、そちこちに春の息吹が。

もうすぐ春ですねぇ~♪



2024.2.20



 

あぁ・・・、ついに2月に入ってしまった。

3月6日からの日本橋三越個展まで、一ヶ月ちょっと。

年末の窯だよりに書いたとおり、大わらわの日々が続いているのでございます。

まだ、作品焼成が残っているというのに、もう案内状作成にも奮闘せねばなりません。

PDF入稿が一般的な現在、うちではWinXPでフォトショ5.0にイラレ10という

今では超クラシックバージョンでの入稿システム。

三越美術の要求に、ついてゆくのに必死です。

このあと、校正でOKもらえたら印刷となりますが、

いくらプリントスーパーでの印刷でも、

皆さまへDMを発送するのは、会期まで10日かそこらのギリギリ。

テレビCM 「楽々明細」 の横澤夏子さん状態での、

DM封筒入れ作業が始まるのでございます。 あ~ぁ・・・。

 

2024.2.1



   

1月10日 午前8:30、克童窯にパトカー3台、消防車両1台で山岳救助隊が集結。

物々しい雰囲気のなか皆テキパキと装備を身に着け、山に入って行く。

アレ?、遭難者を運ぶ折りたたみ担架を背負っているのは、若い女性隊員だ!

と、ここで種明かしを。

実はこれ「110番の日」のイベントで、この女性隊員は

「かほの登山日記」で有名な”登山系YouTuberかほ”さん。

この日は朝から山岳救助訓練体験をして、そのあと秦野警察署へ移動、

一日警察署長を務めるというハードスケジュールだったのです。

ちなみに、かほさんは昨年4月の「秦野丹沢まつり」に

山開き式で「丹沢の門」を開ける役の特別ゲストでもありました。

     

2024.1.16





明けましておめでとうございます

令和6年 元旦




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