窯だより バックナンバー 2016年 1~4


ひと月まえの”窯だより”、つまり前々回、韮山反射炉の話の続きを少し。

あの日は朝早くに家を出発して、反射炉の見学を終えたのが昼までにも まだ早い時間だった。

箱根へは夕食に間に合えばいいので、炉見学ついでに もう一つの炉、

以前から気になっていた同じ伊豆の国市、旧伊豆長岡町にある古代須恵器の窯址「花坂古窯群」を訪ねることにした。

だが 予備知識なしで行って空振りしてはと、まずは反射炉からほど近い「韮山郷土史料館」へ資料集めに行った。

展示された発掘品を見て、親切な学芸員さんから”伊豆の国市遺跡地図”まで頂戴し、さて 準備万端と意気込んで現地へ向かった。

が、じつは誤算があったのである。

それは、昨今の市町村合併と地名変更という悪魔がいることを忘れていたこと。

以前は、地方の住所に必ず付いていた”字(あざ)”、大字・小字、ほとんどの遺跡名には その”あざ”が使われている。

だが その表示は現在、数字へ置き換えられて地図上に表記が無いのだ、最新カーナビも 宝の持ち腐れなのである。

結局、だいたいの場所までは行けたものの、車であちこち行ったり来たり。

あげくは歩いて山に分け入り山中彷徨、窯址を見付けることは叶わなかった。 事前の取材不足という結末である。

そこで リベンジを謀る私めは今、都心に出るついでには いつも国会図書館に寄って資料集めに執心。

発掘調査報告書が出されてから20数年が経過し現状定かではないが、須恵器の窯址は神奈川県内には発見されておらず、

近辺では、この静岡県伊豆の国市の「花坂古窯群」と、東京都町田市と八王子市を跨がる「南多摩窯址群」だけ。

次に行く機会があれば 一千数百年の昔を語る 欠けらに出会いたい、と思っているわけである。

2016.4.14


                            

先週土曜日、歳が ずいぶん離れた若い横浜の友人が 愛車”ホンダ・スーパーカブ”でフラリと現れた。

近距離移動運搬用の小排気量実用オートバイに跨り、横浜から数十キロメートルなんて 想像しただけで お尻が痛くなりそうだが、

彼は 飄々として マイノリティー・ライフスタイル、いつも こんな調子なのである。

何でも その日は、丹沢に”ミツマタ”の群生を見に来たので寄らせてもらいました、と言う。 今が花の見頃なのだそうだ。

”ミツマタ・三椏” は ”コウゾ・楮”、”ガンピ・雁皮” と共に 和紙の原料、というくらいの知識しか持たない僕は、

それが どんな花で、ましては丹沢に群生地があることなど まったく知らなかった。

しかし 彼が話す 幻想的な その情景に驚かされ、そして、群生する場所の地名が”地獄沢の極楽橋”と聞いて 俄然 興味が湧いたのであった。

ならば 見頃を逃してなるものか、と、翌日 そこへ向かったのは 言うまでもない。

同じ 丹沢だが、ここからは 標高761mの ヤビツ峠を越え、宮ケ瀬へ流れる藤熊川に沿って下る 曲がりくねった峠道を 車で1時間弱の距離がある。

だが、着いた先は 想像以上の景色だった。 それにしても 良いところを 教えてもらったものだ。

丹沢に このような世界が存在していたとは・・・。

ミツマタ・三椏 は ジンチョウゲ科の落葉低木だそうで、高さ約2メートル。

名のとおり 枝は三つに分かれ、それが又三つに分かれることを繰り返し放射状に広がり、

枝先ごとに 沢山の黄色い小花を ピンポン大に集めた一団の花を付ける。

1本の木に 数十の団花を付けた ミツマタが、杉林の中で 辺り一面に咲き誇って、繋がり、軽やかな 薄衣のベールのように広がっていた。

そして 花たちは ジンチョウゲ科 特有の 甘い香りを放つのだから、地獄沢に足を踏み入れたとたんから 山全体が甘く匂っていたのである。

日曜というのに 人ひとり居ない・・・、  聞こえるのは 沢を流れる 水音だけだ・・・。

地獄沢・・、極楽橋・・、え? あの世・・?  凄い・・・・。

しかし、 なんで こんな山奥に・・、  この ミツマタは 自生なのか? 人為なのか・・?

帰り道、気になって仕方ない僕は、その一帯の主である「丹沢ホーム」の中村道也さんを久しぶりに訪ねると、こうであった。

昔、地獄沢に「極楽寺」という寺があって、そこの僧侶がミツマタを植え、紙を漉いていたと伝わっている、江戸時代のことであろうと思う、と。

そうだったのか・・・、今は人煙の幽かな土地だが、古くは戦国時代から、江戸、明治、大正、昭和の大戦前後にと、

その 時代々々の社会情勢の煽りの中 人口の増減があったようで、武田信玄に因む地名も多々残されている。

そうした 長い歴史の内には この美しい沢に ”地獄沢”という おぞましい名が付く出来事も あったのだろうか。

2016.3.31


3月からの湖・渓流釣り解禁を 箱根芦ノ湖で温泉に浸かりながら楽しむ、我が家の春の恒例行事に今年も出掛けた。

今回は めずらしく仕事の予定にゆとりがあって 2泊の旅程となり、

それならば 世界文化遺産に登録された 伊豆の国市『韮山反射炉』に 足をのばしてみるか、ということになった。

”反射炉”は鉄を溶かして大砲を鋳造する溶解炉で、

江戸 幕末に列強諸国に対抗するための軍事強化を目的に築かれたものだ。

名称、姿かたちはガイドブックなどで それこそ若いころから知りながら、なんか詰まらなそう、と

同じ炉を扱う職業なのに、数知れぬ 伊豆通いにも スルー しっぱなしだったのである。

ところが、行ってビックリ、見てビックリ、知って またビックリという、意外な代物だった。

まず、写真右部 パンフレットの有名かつ特徴的な、鉄枠で組まれたキューブの積み重ねに見える構造物は

 炉本体でなく、 高さ16メートルの巨大な 煙突! え? じゃ、炉の本体は何処? 地下?・・・

と 思ったら、なんと エントツ足元の左右にある石小屋のような箱状部分! ウソッ! ・・・小っちゃ!、

しかし 近づいて 炉内を覗いてみると・・・、 二つの石小屋の中は それぞれ また二つに分かれ 計4基の炉があり、

 耐火レンガで積まれた その炉内形状は、タテヨコ 1.5メートル、奥行3.5メートル程の鯨形で、写真の左部が その断面図。

それは、石炭を燃料とする窯としては じつにスタンダード・タイプであることに驚いた。

ただ、陶磁器窯では 炉内に製品を一杯に積むのに対し、鉄溶解では炉床に鉄材を寝かすように置くだけ。

へぇ~・・・、 でも、 ここがポイント!

溶かすのに必要な 千数百度の高温は、空のドーム状の天井が パラボラ・アンテナのように反射、

炉内の炎と熱を 炉床に置かれた鉄材に 集中する仕組みなのであった。

あ、 なるほどぉ、 それで、”反射炉”かぁ・・・、 やっと わかったぁ~~

と、そのとき 感激の炎と熱が 僕の胸に 反射 集中したのであった。

2016.3.16


ちょっと前のことであるが、2月の前半にパソコンのOSをWindows10にアップグレードした。

昨年7月から 7や8.1搭載PCに対しマイクロソフト社による無償アップグレード期間が始まっていたが、

使い慣れた環境を変える煩わしさもあるし、ネットを見ると一部に10に更新したらPCの動作が不安定になったとか

アプリや周辺機器が使えなくなったとか、不安を掻き立てる書き込みも。

まぁ、だがしかし、最新のウェブブラウザ Edge の新機能は やはり魅力だし、10に更新すれば当然サポート期間も延長されるわけだし・・・、

ん~、もう、どうしよ、どうしよ、と 数ヶ月の月日が流れていったのである。

さてさて、アップグレード決断のきっかけは、娘のソルラル休みの帰国だった。

彼女の暮らす韓国の正月は旧暦、今年の旧元日、つまりソルラルは2月8日で

そのお正月の連休に久しぶりに帰省するとの便りがあった時、ハタと思ったのである。

ん、そうだ、あの子は動作がメッチャ遅くなったと嘆く win7 を持っている、その 7をリカバリーしてから 10に更新して持ってきてもらおう、

んで、試させてもらって、具合が良かったら・・・、と ちゃっかりオヤジのもくろみ。 そうして、いよいよ、旧正月を迎えました。 

チャンス到来!サポート到来!、この期を逃したら きっと8.1のままに無償アップグレード期間が過ぎ去るであろう、と。

てなわけで、まずは10を試行させてもらうと。 

・・・ほほぅ、・・これは なかなか、・・ん、いい感じやないのぉ。

よっしゃぁ、アップグレード実行だッ!、という流れになったのでございます。

とはいうものの、我が家の 低速通信システム”ADSL8M”での Windows10更新にかかった時間は、

なんと ダウンロードに6時間、そして インストールに2時間、計8時間!!

普通ならとても耐えられぬ長時間に及ぶ、尋常ならざらむ超不安心理状態も、

強力な助っ人、アップグレード経験済みアドバイザーが居るおかげで、笑顔でクリアしたのでした。

えかった、えかった。  Windows10、とっても ええよぉ~~~

2016.2.29


いままで老骨ムチ打って頑張ってくれていた、”日産セレナ・ワゴン4WD”が ついに引退と相成った。

平成7年式だから20年、人間でいったら百歳クラス?であろうし、とにかく善く走ってくれた。

クルマは まっすぐ走って、ちゃんと曲がって、しっかり止まってくれれば十分って考えの我が家だが、それさえ覚束なくなってのことなのである。

昨年末から候補車選びにカタログと睨めっこ。 

必須条件は、①山の生活だから4WD車、②個展作品を積める広い荷室、③趣味の長尺な遊び道具が車内に入ること。

これらを満たしたうえで、なるべくコンパクトで安全性の高いクルマ、と絞り込んだ結果、”HONDAフリード・スパイク4WD”が選出された。

そして 年が明けて、「新春お年玉・大商談会」にて 特典てんこ盛りの契約。 先日いよいよ納車された。

しかし、なにせ20年前の車からの乗り換え、現在 浦島太郎状態である。

「十年ひと昔」というから ”二昔”を飛び越す新型車。 もう、同じ自動車とは思えないメカニズムだ。

だいいち 「十年ひと昔」という言葉からして、今よりも ずっと ずっと ゆっくりと時が流れていた時代のもの。

昨今の カー・テクノロジーの進歩は 目を見張る 超高速の流れ、「一年ひと昔」も 大袈裟ではないのだ。

まぁ、そんなこんなで、現在、老眼鏡ごしに マニュアルと 睨めっこなのであります。 たはッ・・・

2016.2.15


昨年の終わり近くに友達から貰った文庫『モーツァルトの手紙』を、手が空いた時にポツポツと読んでいる。

14歳の少年時代から35歳で没するまでの手紙を編訳した、ほとんどが家族に宛てたものだが、これがなかなか面白いのである。

昔から伝わる、天才音楽家 ウルフガング・アマデウス・モーツァルトの摩訶奇ッ怪な人間像が、その書簡の中に姿を現すのだ。

そう、あれ、30年前のモーツァルト・ファンが眉をひそめる描き方で話題になった映画『アマデウス』の、あのイメージ・・・。

懐かしくなって映画のサントラ盤を引っ張り出し、プレーヤーに掛けると、一曲目が「交響曲第25番 ト短調 K183・第1楽章」だった。

と なると、今度は 小林秀雄の評論『モーツァルト』が蘇る。 ・・あぁ、僕の頭は いつも こうして 蛇行、氾濫して、あらぬ方向へ・・・・。

と、まあ ごかんべんいただいて、なぜ 小林秀雄か?、それは 作品『モーツァルト』の中の、論全体からは外れた私的な部分ながら 印象に残る一節、

「・・・僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。・・・・」

えぇ、実を言うと 僕は今まで ずっと、このテエマとは第25番・第1楽章とばかり思ってきたのだ。

だって、この時の小林秀雄は中原中也と、一人の女性をめぐるドロドロの三角関係に苦しんだ後に、

その女性、長谷川泰子との 密室的、退廃的な 最悪の同棲生活に疲れ果て、東京・中野の家を飛び出して、大阪に辿り着いたばかり。

モーツァルトの交響曲ト短調は もう一つ第40番があるけど、それは優雅すぎて 小林秀雄の「ぶっ壊れた心」に似合わない、と そう思ってきた、ずっと。

ところがである、先年、小林秀雄 講演集第六巻『音楽について』CD2を聞いたら、冒頭で その道頓堀の逸話が肉声で語られたあと、

新潮社編集部によって 小林が聴いた同時代のレコードとして、第40番・第1楽章が収録されていたのだ???

え~、そんな、アホなぁ!! と思いつつも、この懸案はそのままに、・・・月日は流れた・・。

でも ”ひょんなことから” とは このこと、貰った本のおかげで久々に浮かび上がった疑問。

「では いったい、その冬の夜、小林秀雄の頭の中で鳴った ト短調とは?」、 よし、捜索開始だ。

そして、よくよく考えて 思い出したのが、作品『モーツァルト』には 「このト短調」と断るとおり、挿絵のように一筋の楽譜があったことを。

あれなら 自身での挿入だからと、今度は本棚を漁り、見つけだすと そのページを捲った。

さあ、楽譜からメロディーをイメージ・・・、・・・。 えッ ? どっちでも ない!! なぜ・・・・。

しかし、ヒントは その楽譜にあった、よく見ると左上に 小さく Allegro assai の文字、その楽章のテンポである。

あー、うっかりしていた、”有名なテエマ”というから第1楽章とばっかり思っていたんだ、手掛かりは こんなにハッキリとしてたのに。

さっそく手持ちのレコードのライナーノーツをチェック・・・、

うおぉ~~、あった あった、「交響曲第40番 ト短調 K550・第4楽章、アレグロ・アッサイ」、 これだッ!

レコードをターンテーブルに乗せ、ちょっと緊張して そこに そっと針を落とす、と、まさに楽譜どおりの”テエマ”が鳴り響いた。

文章を裏付けし、心情を彷彿させる、激情的なメロディ、・・・第4楽章だったとは、・・・・。

そうして、ここに 僕の積年の謎が解けたのであった。 めでたし めでたし。

ちなみに、これも この本で知ったのだが、今日1月27日はモーツァルトの誕生日、計算するに、生誕260年の ちょうどその日なのである。

2016.1.27


僕は山を散歩するのを日課としているが、丹沢の正月は何故か やたらと登山客が多く 静かな山歩きが叶わない。

と いうわけで、お正月休みの間は いつものコースを変えて、村の東を流れる 水無川の対岸にしてみたら、

それが功を奏して 素敵な石仏と出会ったのである。

なんとも いい具合に時代の付いた 高さ30センチちょっとの可愛らしいカップルの野仏。

こういうタイプを 「双体像」とか 「一石二地蔵」というらしいが、かなり風化して 性別は定かでなく 男女ではないかも知れない。

近寄って よく見ると、かすかな微笑みを浮かべていた。

石の仏様は 自然の崖面に彫刻された 磨崖仏などの礼拝仏が 奈良時代からと 歴史に古いが、

路傍に佇む 石仏、道祖神は 江戸時代に 古来の民間信仰と相まり広まった 石像物だから、

仏様とは限らず 、神様、天神様、地神様、などなど 実に多種多様。

さて、では この お二人は ?

そんなことを考えつつ、楽しい お正月の散歩で 今年はスタートしたのであった。

2016.1.15


 

明けまして おめでとうございます

平成28年 元旦



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2015年  9~12月