窯だより バックナンバー 2019年 9~12



  

オソロシイもので、もう年末である。1年なんてアッという間ですな、まったく。

ま、日頃の懶惰に散らかった家の中を少々片付けねばとゴソゴソやっていたら、

僕がまだ若者時代に読んだ文庫『陰翳礼讃いんえいらいさん』が出てきました。

谷崎潤一郎が日本家屋の内にひっそりと潜む

仄暗い空間を通して日本的美しさを思う随筆である。

懐かしいなぁ、とパラパラとめくると、文庫本中の「陰翳礼讃」は3分の1弱、

他に5つばかりの随筆集が収まっていたのです。

そしてそれが未読であったと気付くや

片付けの手はそこですっかり止まってしまったのでした。

上記2行目に使った「懶惰らんだ」なる用語もその中からの拝借で、

”なまけること”の意味は同じでも文豪が使う言葉には重みがあるなと、

さっそく受け売りした次第であります。

それはそうと最後の「厠のいろいろ」は断然おもしろかったなぁ。

言うまでもなく「厠」はトイレ、便所ですが、

谷崎先生、排泄のこだわりが半端じゃありませんねぇ。

理想の排便を真剣に思考し、作品にするとは流石です。

さてさて、年を締めくくる”窯だより”がトイレの話になってしまいましたが、

”ウン”が付くネタで新年の「開運」を祈願しまして、

令和元年の幕をおろすことといたします。

それでは皆さまどうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

  

2019.12.28





久しぶりにヨーヨー・マのチェロが聴きたくなってCDを取り出したら、

ジャケット写真の龍安寺石庭の方が気になってしまった。

というのは先日、志賀直哉の「龍安寺の庭」を読んだばかりだったからだ。

龍安寺石庭はあらゆる分野の人たちの制作心を刺激するようで、

ヨーヨー・マのこのCDも石庭の印象から生まれたアルバムである。

しかし、そういった中でも面白いのは、やはり小説家たち。

文章、つまり言葉による表現は直接的で、

その時点での石庭に対する心眼の証言であり、思考の痕跡ともいえる。

書かずにはいられない心境の成せるところだろう。

何年か前にもこの”窯だより”に、井上靖『美しきものとの出会い』内の

「東寺の講堂と龍安寺の石庭」について書いたが、

他にも室生犀星『京洛日記』、坂口安吾『日本文化私論』、立原正秋『日本の庭』等々。

同じ石庭を見るにも、視点・観点の違いが強烈で実に興味深い。

だが、その心象は不変では当然無いわけで、後に心苦しいこともあるのだろう。

井上靖は『美しきものとの出会い』をまとめる際に若き頃の文章を載せたうえ、

「現在、龍安寺の石庭をどう思うかと訊かれると、幾らか違った答え方をするだろうと思う」と添えている。

又、アイロニー旺盛な坂口安吾は石庭を相手に少々力み過ぎたか、

後に出した『風流』の中で、照れ隠しのような文章で龍安寺の庭を評していたりする。

さて、僕もしばらく龍安寺に御無沙汰で、今度訪ねた時はどんな庭景に出会うのだろう。

石庭は室町末期に造られてから、何も変わらぬはずなのだが・・・。

 

2019.12.14



 

根津美術館で開催中の特別展『江戸の茶の湯・川上不白 生誕三百年』の内覧会が会期前日あり、おじゃましてきた。

川上不白は江戸中期に関西先行の茶道文化を江戸で広めた表千家系流派の家祖となる人物である。

表千家7代如心斎に1流の許しを得て「江戸千家」を称し、不白以後は4家の「不白流」に分家し、

それぞれの茶道を展開して現在まで至る長い歴史がある。

川上不白 生誕から300年経った今、江戸そして東京の茶道「江戸の茶の湯」を顧みる、

意欲あふれる展覧会といえるのではなかろうか。

私事ではあるが、築窯独立した時分より不白流一家元に縁を得て随分と茶道具の基本を学ばせて頂いてきた。

今ではお世話になった先生方もご高齢となり、また他界されたりと疎遠になってしまっているが、

かつて、2000年初春に東京美術俱楽部で行われた初釜茶会では、

立礼席会場を僕の作品「陶竹」で飾らせてくださった思い出はひとしおで、

内覧会会場を歩きながら、その時の光景が脳裏をかすめたのだった。

 

2019.12.1



   

今秋も又、大阪での少しばかりの仕事を口実に5日間ほど関西に遊んだ。

京都に2日、奈良を1日、そして大阪2日間の配分だったが、

大阪の堺で入った一風変わった蕎麦屋が何といっても秀逸であった。

その日は夕方まえから今回唯一の仕事だったので朝早くから行動開始。

遠くまでは行けないわけで、堺の千利休が参禅修行を積んだ「南宗寺」を訪ね、

そのあと憧れのチンチン電車「阪堺電気軌道」に2駅ばかり乗って、千利休屋敷跡を見学しよう。

そして昼食には、すぐ近くにある創業元禄8年の300年以上続く老舗蕎麦屋「ちく満」でと。

こんなプランで、ぬけるような青空の下ホテルを出た。

さて、なぜ故「ちく満」(ちくま)なのか。

それは、司馬遼太郎が『街道をゆく』シリーズを連載時、「堺・紀州街道」執筆の取材に、

歴史ある老舗そば屋「ちくま」をスタート地点と選び、スタッフと共に出向いた。

ところが、あろうことか、なんとその日は定休日(月曜)だったのである。

司馬遼太郎は自分の準備不足を嘆き、その悔しさを「街道をゆく」の文中に語っている。

と来れば、行ってみたくなるじゃありませんか。

しかし「ちくま」は凄かったのです、何もかにもが想定外で異次元的だったのです。

荒っぽい造りの工場に呑み込まれたような店構え、注文は1斤単位、

出てきた箱セイロの上には生卵と薬味のネギとワサビ、

蓋を開けると湯気モウモウの熱々麺、

そのまま持つとヤケドすると冷たいおしぼりが巻かれた汁入れ。

お店の人に食べ方をレクチャーしていただきながら味わう初めての蕎麦の味。

最後に出される煮えたぎるソバ湯を残り汁に注いだ時の驚き。

全てが生卵に絡んで変化する味と香りの演出、あぁ、これが蕎麦か?

複雑怪奇なる味の宇宙・・・、美味、美味、美味・・・

大阪・堺の「ちく満」、これはもう絶対お薦めなのであります。

   

2019.11.15



   

もう10月20日に終了した展覧会の話で申し訳ないのであるが、

東京・京橋の老舗古美術店が開催する例年の”秋の展観”が本年で6回目を数えた。

中国古美術の「来歴(所蔵者歴)」、「出展(展覧会歴)」、「所載(書籍掲載歴)」が華々しい名品を各時代ごとに展覧。

今年度は『魏晋南北朝の美術』と題し、3世紀初から6世紀末の約400年間の作品が集められた。

中国では長期政権下の歴代皇帝嗜好による発展・展開が多いのだが、

この400年間は様々な民族が栄枯盛衰を繰り返したため、独自で創造性に富む作品が現れた時代でもあった。

「三国志」もこの時代に入る。ただ、そのような戦乱の400年を乗り越えた遺品は極めて少ない。

今展は陶磁器61点と金石18点の構成だったが、「金石」に珍貴な作品が幾多あり愛好家たちを驚かせていた。

「金石・きんせき」とは青銅器や金銅仏などの金属造形作品と、玉器や石仏などのを合わせた呼び名で、

30数年前までは古美術商の看板によく「書画金石」とか「古陶金石」とか書かれていたものである。

さて、その金石作品の『青銅鍍金如来坐像』8.5㎝は台座に「北魏和平5年」(464)製造と彫られ、

研究者たちが指針とする作品で、前回お目見えしたのは27年前の奈良・大和文華館にて。

『加彩影塑如来坐像・敦煌』40㎝は来歴・所載は明らかなれど初出展という珍品、

「影塑・えいそ」とは泥に繊維と膠を混ぜてレリーフ状に製作したもの。

敦煌の”莫高窟”に入ると一面ビッシリと貼られているなか、所々剥がされれいるそうで、

いつの時代の所業とも知れぬが、敦煌での人間の罪深さを思いつつ、

「素晴らしい・・、美しい・・、あぁ、欲しい・・」と唸ってしまう自分にも呆れるのであった。

だって、この会場に陳列されてるのは、つまり”売り物”なのだ。 ま、買える価格ではないけどね。

 

2019.11.1



   

先月末、韓国・ソウルから200キロ南の全羅北道・扶安郡へ高麗青磁古窯跡を訪ねた。

高麗青磁は10世紀末に半島中北部で焼造が始まり、

のち南部に生産地を移して12、13世紀に現在の全羅南道・康津、全羅北道・扶安で最盛期を迎えた。

康津窯址群には12年前の冬、極寒のなかを彷徨い歩いている。

今回行った扶安柳川里では近年2015~18年の3回にわたっての発掘調査が行われ、

王室用最高級青磁をはじめ、此処でのみ制作された貴重な遺物などが、

高麗青磁生産の全工程を見られる窯、作業室、廃棄場跡と共に発見された。

その調査報告『扶安柳川里12号高麗青磁窯跡の発掘成果展』を、

今年4月~10月「扶安青磁博物館」で開催。

少々不便な所だが、この機会を逃すわけにはいかぬと発奮、渡航した次第である。

そして、博物館近辺の柳川里、鎮西里一帯には13区域の青磁窯址が確認されており、

せっかく行くならばと全13区域を2日かけて巡ってきたが、

なにせ地方ゆえにホテルが1軒も無く、モーテルに泊まって、

食事はこの地方の名物「塩辛定食」でという、ローカルな旅情に浸ったのであった。

   

2019.10.12



   

ややっ!!克童窯工房前に怪しげなるトランクと夥しい金塊、金貨やらが!?

ん~、数億円分はありそうです・・・。

え?なに?マキ小屋前には いつの間に穴も??

さぁ、皆様 もうお分かりでしょう、先日またまたTVドラマロケがありました。

今回は殺人事件が絡むサスペンスドラマ。

テレビ東京、寺島 進 主演の人気刑事ドラマシリーズ『駐在刑事』です。

放送は来春2020年1月期連続ドラマで、毎週金曜日よる8時から1時間の

全7話・初回2時間SP予定、その第2話だそうです。

コワモテの寺島さんですが素顔はじつに礼儀正しいフレンドリーなお人柄。

出演者が10名を越え、撮影スタッフ数十人の現場を明るくまとめていたのは流石です。

ここ克童窯では4年まえ2015年2月の日本テレビ木曜ドラマ「五つ星ツーリスト」以来2度目で、

その時は僕もちょこっと出演しちゃったりしたのを憶えていてくださり、懐かしい話しもできました。

ま、そんなことで、TVロケのご報告なのでしたが、放送までは3か月以上も。

近くなりましたら又この”窯だより”と”fb”でお知らせいたしますので、どうぞよろしくなのであります。

あ、それと今回は、なんと『克童窯』の名称のままでの登場ですよん♡

 

2019.9.25



    

野暮用で調布まで出張ることになったのだが、

それだけ済ませて直ぐ丹沢へ戻ってくるのに所要2時間は勿体ない時間感だなと、

そこからバスで15分ほどの深大寺に足を延ばした。

深大寺には一昨年に国宝指定された飛鳥時代の白鳳仏「釈迦如来像」が寺宝として安置される。

テレビで東日本最古の国宝仏を指定する報道番組を見てからというもの、

ずっと拝む機会を待っていたのだから、あながち野暮用ではなかったと言えるわけで、

そのうえ2年経つことにより加わった付加価値のプレゼント付きだったのは超ラッキーだった。

それは、1300年前に造られたこの白鳳仏には、酷似する仏像が他に2体存在し、

奈良・法隆寺の「夢違観音像」、新薬師寺の「香薬師像」と共に白鳳期の傑作、

世に『白鳳三仏』と称され、畿内地域の同一工房での制作と考えられているのだ。

さすがに自像は両寺から不出だが、精巧極致複製”お身代り”を

深大寺釈迦如来と並べての展示を試みて、

白鳳仏の面貌表現、肉体表現を篤とご確認くださいと。

ん~、はからいが粋ではござんせんか、有り難いことです。

そうして、収穫多大なる1日と相成りましたのでごじゃりました。

  

2019.9.15



   

遅ればせながら、やっと東京国立博物館の特別展『三国志』に行ってきた。

小説や漫画、ゲームなどで多くの人々を魅了する「三国志」を

考古学的遺物によってリアルな史実に迫ろうという展覧会である。

そのため、世代を超えたファン層の厚さと、会期が子供たちの夏休みに重なり

会場の混雑ぶりは相当なものだったわけで、ここに来てやっとじっくり鑑賞できる状況になったからである。

お目当ては只一つ、「曹操」の墓から出たという”壺”。

それは、この展覧会の準備段階だった今年2月20日の新聞第1面に、

陶磁研究界をアッと驚かすスクープ記事が載ったのだった。

上右の写真がその時の新聞で、見出しは「曹操の墓 世界最古の白磁」。

つまり現在、白磁の誕生は6~7世紀の隋の時代と考えられており、

それが3世紀初頭の墓に白磁の壺が副葬されていたとすれば、

白磁誕生の歴史が300年以上さかのぼることになる。

新聞記事はこう締めくくる、

「見つかった白磁が展示される特別展『三国志』は7月9日から9月16日まで、

東京・上野の東京国立博物館平成館で。」

おぉ~、果たして本当に白磁で有るや否や!!じつに上手ではありませんか。

巧みな宣伝効果に、陶磁研究者、作陶家、陶磁愛好者たちの首は、

『三国志』開幕まで伸びに伸び切っていたのである。

   

2019.9.3



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