窯だより バックナンバー 2022年 9~12月





令和4年も間もなく幕を下ろします。

年齢と共に速くなるばかりの時の流れは言うまでもありません。

なのに、あっという間に感じながら、

さて、今年有ったことを思い返そうとすると、

つい最近のことばかりで、まったく呆れてしまいます。

振り返ればこの一年もいろいろ行き詰まったり悩んだり。

でも、その都度に乗り越える助けになったのが

散歩途中の大倉高原にあるモミジの大きな切株でした。

標高600mの切株にて坐禅を組み、

遠く伊豆七島を望んで、心を無に陽光を浴びる。

ともあれ皆さま、今年一年大変お世話になりました。

ありがとうございます、来年もよろしくお願い致します。

どうぞ良いお年をお迎えください。



2022.12.30



   

このところ仏像話しが続いているが、もう一つ仏教ネタにお付合いを。

それは、10月に書いた関西行での奈良「山の辺の道」を歩いた時のこと。

古代の道へは南端の桜井から入ったが、その初っぱな起点で現れたのは

思いもよらず「仏教伝来之地」なる大きい石碑であった。

日本公伝といえば、かつて学校で「仏教伝来ご参拝(538年)」と

語呂合わせで習ったアレである、ご記憶の方も多かろう。

だが、あの公伝の場所がピンポイントで存在しているとは、驚いた。

しかし、なんで此処なの?、だって石碑が立っていたのはさ、

小魚くらいしか棲めぬような里川の土手の上だったのである。

どういうことなの?と説明板を読むと、こうであった。

538年、百済の聖明王の使節が遥々大海を渡り今の大阪へ、

難波からは大和川を遡って内陸のこの地を訪れた。

そして、時の権力者である欽明天皇に仏典・仏像を献上、

これが仏教が日本に伝わった起源である、と。

むぅ、そうすると、当時はかなりの大河だったのか・・?

さっき対岸でボロけたヒビ割れの地名案内があったのを思い出し、バック。

そこには、7世紀代、この周辺は「海石榴市つばいち」と呼ばれ、

日本一大規模な「市」が立つ水運の港であった。

遣隋使として有名な「小野妹子おののいもこ」が隋から帰国上陸したのも

この場所であると書かれていた。

「港」?、河の上流域に「港」?・・・?

ま、確かに飛鳥・藤原京は南に近く、北へ山の辺の道で平城京だけど。

家に帰ってから地図帳をめくったり、ネット検索したり。

2か月した今も、モヤモヤしているのである。

千五百年の時の流れがあるにしても・・・。

   

2022.12.15



   

鎌倉の旧和辻邸での神奈川会展以後、毎晩床に入ると和辻哲郎の「古寺巡礼」を

タブレットの青空文庫で少し読んで眠りにつくのが習慣になっている。

和辻哲郎はニーチェ、キルケゴールの実存主義を日本に紹介した

倫理学・哲学者として著名で、京大教授、東大教授を務め文化勲章を受章している。

しかし他方で日本古代の美術や文化に造詣が深く、その著述も多い。

「古寺巡礼」(大正8年刊)は飛鳥・奈良の古寺を巡り、その印象を紀行風に記したもの。

哲学者の眼を通しての洞察は鋭く、そして深遠だ。

広隆寺「弥勒菩薩半跏像」、法隆寺「百済観音像」、聖林寺「十一面観音立像」などを、

ガンダーラから中国大陸、朝鮮半島を経て古代日本に至る形象の変化を、

仏教の教義の典拠である経典より辿り、

彫刻としての仏像制作者の仏教観に思いを馳せている。

ところで、「古寺巡礼」というと僕ら世代は土門拳の写真集を思うのだが、

土門は少年時代に和辻の本を精読していたそうで、ひょっとして

自身の仏像取材をまとめる際、タイトルにオマージュが働いたのでは、なんて気も。

因みに、下の画像は上記仏像ですが、土門作品ではありませんので、一応。

       

2022.11.30



   

鎌倉市川喜多映画記念館での「伝統工芸・神奈川会展」も11月6日に盛会のうち終了、

なんと800人近い来場者がありました。

コロナ規制緩和で賑わう鎌倉を訪れた皆さま、

深まる秋の古都を満喫してくださったようです。

そして僕も同様、陳列日と撤収日の空いた時間にお寺巡りを。

会場から徒歩で行ける「浄光明寺」「宝戒寺」「覚園寺」「来迎寺」を訪ねました。

じつは13年間、思いを募らせていた仏像に会いに行ったのです。

それは、中国・宋様式の「土紋装飾」が施された仏様。

「土紋」とは粘土を型にはめ、菓子の落雁のように成型した装飾体を

木像の衣部分に漆で貼文接着する特殊技法で、

こうした仏像が有るのは全国でも鎌倉だけ。

京都にも奈良にも存在しません。

13年まえ、雑誌「サライ」の特集「続・仏像の見方」で知り、

いつか拝観をと思いながら機会に恵まれず、

今になってやっと願いが叶いました。

残念にも宝戒寺の歓喜天像は非公開でしたが、

鎌倉には見たいもの、行きたい所がまだまだ盛り沢山。

来年の「伝統工芸・神奈川会展」会場は横浜髙島屋が決まってますが、

又いつか、古都・鎌倉で開催できることを心から思う展覧会でした。

 

2022.11.15





”予定のページ”でお知らせ中の鎌倉市川喜多映画記念館に於ける、

伝統工芸神奈川会展「古民家で出会う日本の伝統工芸」が始まりました。

そこできっと、タイトルの「古民家で・・・」が気になっている方も多いのでは、

そう思いここで少しばかり説明をしておきましょう。

川喜多映画記念館は、日本に初めて本格的にヨーロッパ映画を、

輸入・配給した映画事業家の「川喜多長政 1903-1981」夫妻が暮らした旧宅地跡、

鎌倉市が映画文化の発展を期して2010年に開館しました。

記念館自体は現代建築ですが、うらの一段上がった

眺望の開けたところに、古民家の旧宅が残されています。

その素敵な風格ある和風建物が、今回の展示会場なのです。

この家は元々、倫理学者で哲学者であった「和辻哲郎 1889-1960」の住居で、

東京都練馬区にあったものを川喜多夫妻が昭和36年に移築しました。

江戸時代後期の民家を改築したもので、鎌倉の谷戸の高台に建ち、

背後の山並みに調和した和風建築の中で、

私たちの制作した工芸作品は如何ように見えるのでしょう。

ぜひとも、「古民家で出会う日本の伝統工芸」をお楽しみ下さい。

   

2022.11.1



   

今月上旬、大阪髙島屋での次回個展の打ち合せに行ってきた。

毎度のことだが小一時間で済む、その用事にかこつけ

数日間を上方で楽しむのを常としている。

今回も5日間ほど京都・奈良・大阪の寺社旧跡・美術館を巡ったが、

その各地でのトピックスを紹介します。

まず、京都では運よく日程が合って北野天満宮の「ずいき祭り」を見物。

里芋の茎で屋根を葺き、柱など各部を野菜や穀物で飾り付けた

「瑞饋神輿」が巡行する、無形民俗文化財の奇祭なのだ。

で、つぎは奈良、「万葉の歌枕」を訪ねた。

心に残る、柿本人麻呂の、持統天皇の詠んだあの歌の光景、

1300年経た今もきっと姿を変えていまい、変わり様のない筈だ、と。

藤原宮跡から大和三山、「耳成山みみなしやま」「香久山かぐやま」「畝傍山うねびやま」を。

山の辺の道から「三輪山みわやま」をと思う存分歩き回りタイムスリップ。

そして大阪では、ちょっと面白い趣向を。

”日本一低い山”の登山をしたのだ。

じつは大阪港の観光施設が立ち並ぶ「天保山」は、れっきとした山なのである。

標高 4.53メートル、山頂に二等三角点が標記される

国土地理院が認定する”日本一低い山”だ。

令和4年10月7日午後0時、僕は天保山山頂に登頂を果たした。

そして、地元商店会より「登頂証明書」まで頂戴したのだった。

   

2022.10.15





根津美術館の「蔵出し・蒔絵コレクション」展に行ってきた。

でも又々お目当ては”展示室5”で同時開催中の「陶片から学ぶ」展だ。

昨年もこの窯だよりでお伝えしたが、根津美では3年連続で

館所蔵の研究資料である”陶片”を公開。

一昨年は「中国陶磁編」、昨年10月に「韓国陶磁編」を、

そして今年が「日本陶磁編」と相成った。

展示品は江戸時代から近代後期で、そのラストを飾っていたのが

文化勲章受章の巨匠「板谷波山」だ。

そう、これこそがお目当て。

現在、僕の作品制作に使う「彩磁技法」は波山が切り開いた世界なのだ。

作品素地に液体顔料を染み込ませ彩色するのだが、

調子がとにかくデリケートで失敗ばかりしている。

しかし、名工波山でさえそうであったようで、

打ち割られた失敗作の陶片たちがそれを物語る。

欠片断面の情報量は計り知れないものがある。

昨年、波山のふるさと茨城県の記念館で

陶片を主体とした展覧会が催されていたが、

仕事の段取りがつかず泣く泣く諦めたこともあって、

この度の根津美術館での展示は絶対に見逃せぬものだったのである。

  

2022.10.1



 

ソウルから7月末に来日し、丹沢でひと夏を過ごしたオマゴちゃん母子を成田空港に送った。

まだ2歳になったばかりでクルマで行くにせよ、昼の便搭乗に

秦野を早朝発ちは大変と、空港近くで前泊することにした。

そうだ、ならば三代揃って成田詣と洒落込もうではないか、

成田山・新勝寺の表参道入口にあるホテルにチェックイン、

風情ある参道と境内の散策を楽しんだ次第である。

夕食は無論のこと、名物「うな重弁当」に地酒「長命泉」。

いや~、美味しかったなぁ。

昔より江戸庶民に親しまれた成田詣、江戸から16里を2日かけて歩き、

旅の疲れを癒したのは栄養価の高い鰻だったそうだ。

ひと夏のオマゴちゃん相手に疲れきった身体に

滋養強壮成分が染み渡ったのは言う迄も無いのである。

   

2022.9.15



 

なにやら各地で火焔茸(カエンタケ)なる毒キノコが目撃され、メディアを騒がせている。

大きさは3センチほどで、赤い色と火炎のような形状からの名だそうだ。

小さくて可愛いキノコだが、その毒性は毒茸界最強、

誤って食べてしまうと死に至る可能性が高く、

触れるだけでも皮膚の炎症をひき起こすという。

それはそれは恐ろしいカエンタケ、

ナラ、ブナなどの広葉樹の根方地面に出るらしい。

まさか丹沢にも?、と、いつもの山散歩で樹々の根元をチェックして・・・、

ウオッ!有った!、

大倉高原テントサイト横のクヌギ2本の下に!

丹沢登山の皆さん、くれぐれもご注意を。

「きゃわいぃ~」なんて触ったらエライことになりまっせぇ。

   

2022.9.1




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