窯だより バックナンバー 2020年 5~8月
猛烈な暑さだったお盆休みも終了、今年はコロナで国内の移動もままならぬ異例の夏休みであった。
そんな中、近隣国の博物館で対策を講じての展覧会やシンポジウム再開の話題が入ってくると、
陶磁研究新情報に飢え干乾びた心が幾分潤う感がある。
その一つ、一昨日15日に国際シンポジウムが開かれた
景徳鎮中国陶瓷博物館の『宋元米黄釉瓷特展』。
シンポには日本の研究者もオンライン参加していたが、
聴きなじみのない「米黄釉瓷」という分野に、皆さん興味津々の体。
日本での伝世、出土例は無いのではとされながら、
韓国の新安沖沈船(1323)遺物に同種の香炉がある。
沈船は日本に向けて航海中の難破だった以上、同種の貿易船は数多あるので、
渡来上陸している可能性も捨てきれない。
その引き揚げ香炉は2016年のソウル、国立中央博物館の
『発掘40周年記念特別展・新安海底船』に出展されて、
江西省中南部の「吉州窯」産となっていたが、今展ではどうであろう。
さてさて、海外展覧鑑賞は夢のまた夢というご時世、
日本の研究者からの日本語での報告が待ち遠しい。
だって語学力の無い僕には、シンポライブ配信はチンプンカンプンなんだから。
2020.8.17
明日、8月2日で終了してしまうのだが、
11年まえ惜しくも64歳で急逝した彫刻家、眞板雅文の『葉は飛ぶ』展が
「鎌倉ドゥローイングギャラリー」で開かれている。
1986~95年に制作された立体小品とコラージュ、ドローイングの未発表作品で構成された小さな展覧で、
眞板さんの振り幅多大な作風展開の、かなりレアな世界を垣間見る好展である。
そして、その制作年代は、氏が秦野の丹沢山裾にて茅葺の古農家をアトリエとしていた期間。
僕が1984年に同じ山麓に独立築窯して眞板さんと出会い、身近にお付き合いして頂いた時期である。
会場に佇むと、そのころの情景が脳裏に浮かび、少々辛く感じもしたが、
充実した初見の作品に感動を禁じ得なかった。
なんで、こんなに、美しいのだろう・・・。
ここでは展示作品を画像紹介できないが、
僕のfbに撮影許可された写真家の投稿をシェアしてあるので、ぜひそちらを。
そして、今春刊行された東京造形大学准教授・藤井 匡『眞板雅文の彫刻=写真』は
眞板雅文の制作通史を評論した好著として、美術界の話題となっている。
お薦めなのである。
2020.8.1
毎年春に箱根の芦ノ湖で釣りと温泉を楽しむのを恒としていたのに
今年はコロナでホテル休業、7月になって再開されやっと湖畔へ向うことができた。
そしてこの小旅行、箱根と我が家は同じ神奈川県西部でメッチャ近いので
チェックイン時間までの寄り道遊山がもう一つの楽しみでもある。
今回は絶対に人で密になったりしなそうな所をと、
御殿場の元秩父宮両殿下別邸「秩父宮記念公園」を訪ねた。
戦時下より一貫して戦争拡大政策に批判的であった性格温厚な秩父宮殿下らしい設えの別邸、
18000坪の檜林に囲まれて山野草をはじめ四季折々の花々を散りばめた素敵な空間だった。
のんびりと庭園を散策しながら入口で頂戴した園内図を見ると、
施設の中に「三峰窯」なるものがある、え?、窯?
驚いたことに両殿下は作陶を趣味とされたそうで、薪焼成の本格的な陶芸窯をお持ちだったのだ。
ここで、あぁなるほどそうだったのか、と
四半世紀を越えた今、合点がいったことがあった。それは27年まえのこと、
東京大丸ミュージアムで開催された「第12回 日本陶芸展」。
表彰式には展覧会総裁を務める秩父宮妃殿下が御臨席、
式後のレセプションにも御出ましくださった。
光栄にも受賞者だった僕は妃殿下とお話しする機会をいただいたのだが、
作陶するものでなければ知り得ぬようなその内容に、
とても不思議な気がしたことを、懐かしく思い出したのだった。
2020.7.16
京橋・繭山龍泉堂の『PREVIEW ・EARLY MING-明初-』へ行った。
秦野市から外へ出たのは、なんと3か月ぶりである。
山ごもりでも何の支障も無い有り難い仙人暮らしだが、
やはり外せない展覧会は上京必須なのだ。
さて、この「プレビュー 明初みんしょ」展、
そもそもは3月の東京国際フォーラム「アートフェア東京2020」に出展予定だった。
いま、世界の古美術コレクター間で人気の高い中国・明時代初期の美術工芸品、
その来歴優れ由緒正しい逸品10点だけの展覧だ。
「プレビュー」と銘打つのは、本来だったらオリンピック・イヤーの今年、
国内外から東京に集まる人たちに向け、例年秋開催の
新橋・東京美術俱楽部「東美アートフェア」を五輪直前に会期変更、
そのタイミングで「EARLY MING」の本番とするタイトルだったのである。
ところが、其れも此れも皆中止、新型コロナが容赦なく流し去ってしまった。
老舗古美術店筆頭による渾身の展覧会は、幻と消えてしまうのか?
愛好家や研究者たちは、待ち焦がれていた。
そして、やっと届いた一枚のハガキ。
京橋・繭山龍泉堂店内で3日間だけの完全予約制公開、
『EARLY MING -明初-』プレビューの案内状であった。
2020.6.30
新型コロナの緊急事態宣言が解除されてからは見かけなくなりましたが、
ひと時SNS上で『ブックカバーチャレンジ』なるものが随分と流行ってました。
7日の間、1日1冊の本の表紙画像をフェイスブックへアップしたあと誰かにバトンを渡し、
受けた人は同様に繰り返す連鎖ゲームのようなものです。
巣ごもり生活に潤いを与えつつ、読書文化の普及に貢献しようとのチャレンジらしいのですが、
どこかチェーンメールみたいな胡散臭さが感じられて、バトンが回ってきたらやだなぁと思っていました。
幸い僕のFacebook友達は皆さん大人で、他人を煩わせぬよう7冊アップしたら
さっさと自分のところで連鎖を切って終了させていましたが、
もしもという事だってあろうかと本棚を眺めながら”我が7冊”を考えるのは、ちょっと楽しくもありました。
しかしです、改めて読書幅の乱脈さを気付かされ、
統一感の無い背表紙たちの中からは、とてもベスト7は選べません。
読み返したいこの1冊、というチョイスも有りとのことですが、
それにしたって何れ読み返そうと思うから捨てられず、こうして棚がゴチャゴチャなんですから。
と、そこであることに気付きました、”やきもの”を軸に書かれた読みモノって案外少ないのです。
そっかぁ、と、やっとこさ7冊が選出されたのでした。
『ブックカバーチャレンジ』はルールに「本についての説明はナシで表紙画像をアップ」です。
イマジネーションを掻き立てる狙いもあるのでしょうし、
ネットで調べる暇つぶし効果も考慮の内かもしれませんねぇ、巣ごもりのね。
2020.6.15
考古発掘ネタが3回も続いたあとで「またぁ?」の声が聞こえてきそうですが、
四国 愛媛県の中世生活遺跡から極めて珍しい龍泉窯青磁が出てきちゃったもんで、
困ったもんですが、ん~やっぱりお伝えしたく、まぁご勘弁くださいませ。
じつは前回の”窯だより”を入力中に入った情報で、一瞬こちらへ話題を変えようかと思った程でした。
ニュース発信元が共同通信社なので地方紙を含む全国の新聞で
報道されたからご存知の方もおられるかも。
紙面見出しは少々の違いはあれど
「中国・龍泉窯の筆置きが初出土 愛媛県西条市の遺跡」でした。
場所は西条市安用(やすもち)「北竹ノ下Ⅰ遺跡」の8区。
一昨年秋に農地整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査が開始され、
昨年は1~5区で弥生時代の水田跡や奈良平安時代の集落跡など出土、
そののち8区で室町時代から江戸初頭の遺構が確認されました。
そして今回の快挙です、室町時代と想定される井戸跡から現れたのは、
なんと中国・明時代(15世紀)に焼かれた龍泉窯青磁の筆架でした。
筆架すなわち筆置きは足利将軍家の座敷飾りとして珍重された文房具類の一つで超貴重品、
これまで日本での出土例は僅か2件、龍泉窯青磁筆架は初めてなのです。
となると、単なる渡来物でなく室町幕府が派遣した貿易船に依る舶来品の可能性も。
とすれば、相当に文化的水準の高い有力者が暮らした生活遺跡となります。
果たして如何なる人物なのでしょうか?
いやいや、どっこい そうとも限りませんぞ、何んたってあの辺り一帯は
村上水軍の御三家を束ねた海賊王、伊予の河野氏が領有。
ひょっとすると、荒っぽい入手経路だったかも知れないのでございます、ん~、さて・・・。
2020.6.1
ここ2回、近隣国の古窯跡発掘の話題が続きましたが、
我が国内ではどうでしょうか、気になりますよね。
じつはあるのです、近々4月5月の新聞数紙から報道された最新ニュースが。
見出しは「京焼窯、初の全面発掘調査を実施」
”京焼”は京都産陶磁器の総称ですが、誰しも思うのは京都とくれば”清水焼”でしょう。
ズバリその清水焼発祥の地、東山区五条坂にホテル建設計画が持ち上がり、
その予定地にかつて存在した「道仙窯」の発掘が、
京都市埋蔵文化財研究所により実施されたのです。
調査の結果、7室から成る京式登り窯が良好な状態で出土し、築窯は明治時代中期を想定。
江戸初期から始まる清水焼の長い歴史からみると近現代資料となりますが、
雅な高級和食器、茶道具、飾り壺から徐々に大量生産の生活食器へ移行、
理化学実験用磁器まで生産した時期もあったそうで、
そのような経緯を知る貴重な成果が得られました。
明治から昭和初期まで需要に合わせ窯の規模を3度改築していたことも判明、
終期はガス窯、電気窯に押され、煤煙公害問題で幕を閉じるまで、
清水焼薪窯時代の苦難の窯業史が掘り出されたのです。
何時の時代も何処の国もそうでしょうが、古窯跡発掘調査は
社会という荒波に揉まれ翻弄されながらも逞しく窯を焚き続けようとした、
陶工たちの魂が土中から掘り起こされてくる、そんな気がしてなりません。
2020.5.14
前回は中国からの古窯跡発掘のニュースをお知らせしたが、
今度は韓国から高麗青磁史に関わる重大発見の朗報が舞い込んだ。
発掘場所は、全羅南道 康津郡 大口面 沙堂里。
昨秋に全羅北道 扶安郡の古窯跡を訪ねたことをお伝えしたが、
そこと双璧をなす高麗青磁最高潮期(12世紀)の生産地である。
大口面には200を超す古窯址があるとされるが、そのうちS23号窯の発掘調査で、
磚築(レンガ製)の素焼きに使った楕円形窯基部が出土したという。
素焼きは高品質陶磁製作に欠かせない工程だが、
韓国では土築(土石製)の本焼き窯一部に素焼室を設けたのが確認されているだけで、
磚築素焼き専用窯は初発見なのである。
このタイプの素焼き窯は中国の北宋時代・汝窯、南宋時代・老虎洞窯で
発掘されているが、共に皇帝のための器を焼造した官窯だ。
これまで、高麗青磁と汝窯青磁の類似性が幾度となく議論されてきたが、
この度の発見で高麗青磁と中国皇帝との関連研究に拍車が掛かるに違いない。
又、発掘調査では他に1千㎡に及ぶ韓国内最大規模の
高麗青磁選別場なども出土している。
とすると、そこでは陶芸展の審査会場のように作品が並び、選り分けられ、
選りすぐりの逸品が、高麗王朝宮廷や中国皇帝の元へ旅立って行ったのかも知れない。
などと、まぁ、夢は膨らみ、新型コロナの話題ばかりで疲れきった
僕の脳髄が少しばかり活性化するのを感じたのである。
2020.5.1
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