窯だより バックナンバー 2010年 1〜4月


 

なんとも 不思議な この植物、 お分かりでしょうか。    正体は、ブナ です。

山地に自生する大木で、自然保護の象徴的キャラともなっている あの ブナの幼木なのであります。

そんな大役など 知らんぷりで 小さな苔玉を住家にし、腰をちょいと捻ってポーズをとっているところなんか かわいいじゃありませんか。

これね、作者も おもしろい人なんです。 ウェブデザイナーのノリちゃんといって、初めてお会いしたのは3年前。

ウェブの「湘南スタイル」の取材を受けた時、ライターの人と一緒に 丹沢の陶房にいらしたときです。

やきもの の原材料の土と石の話になり、ずいぶん前に 工芸会のひとたちと東北地方に研修旅行に行った話をして、

ある深い山の上に 急に明るく開けた土地があって  すっごくいい温泉が湧いていて、

立派な 村営の温泉宿泊施設に泊まって、そこの支配人さんが とっても とっても親切で、今でも お付き合いを・・・

なんてことを言っていると、ノリちゃんの表情が だんだんに変化してくるじゃありませんか。

そして、ついに 僕が その支配人さんのお名前を口に出したとき・・・

「その人、私の家の となりの おじさんだぁ〜」 、 ・・ ん? えッ? うそッ! あそこ 出身なの〜?

オドロキです。 奇遇 とは まさにこのこと!

その後、ノリちゃんは 仕事のほかに 苔玉制作にも熱中、”苔玉アート”を各地で発表し、

”苔玉ワークショップ”を 開催するなど別の才能も発揮。 

現在は NPOで ウェブの 「ぼんさい手帖」 を 展開させています。 これが またまた 大ブレイクしちゃっているのでありまして。

今、「盆栽」は 若い人たちの間にも愛好者がいたり、盆栽と現代美術とのコラボ展があったりの世界。

周知の如く 盆栽は日本特有の園芸技法で、大自然の風情を表す園芸の芸術。 世界中 「ボンサイ」の名で 通用するのです。

しかし その歴史と姿を よく見ると、大自然を手本としながらも 都文化であるし、

たとえ昔の遠隔地方においてさえ やはり身分・階級の高い人たちの 町的文化趣味だったといえるようです。

でも です、 そんな盆栽と ちょっと違って、あの美しい山育ちの天然娘が生み出す苔玉は どこか 清らかなのであります。

ブナとかモミジとか いろいろあるけれど、どれも 自分で山に分け入って 実生を採取してくるというのも ノリちゃんらしさ。

・・・と、話が長くなってしまいましたが、この苔玉は 友人の丹羽健一郎氏が開催中の陶芸展の会場に

コラボ出品していたものを求めました。 受皿がその ニワさんの作品であります。

最近 めきめきと腕を上げ、ぼくらプロをおびやかす イヤな存在になりつつあります。

本業 しっかりやれよ、本業〜っ!!

2010.4.16.


3月終わりの1週間 中国を旅行した。

宋、元、明の時代に 美しい青磁を焼造した龍泉窯だ。

地理的には 上海から600km南西の 浙江省と福建省の省境にある山深いところ。

そこで焼かれた青磁は舟で川を下り 海を渡り、遠くは中東 アフリカまで運ばれた。

日本にも鎌倉時代から江戸時代にかけて招来、国宝指定されている器もある。

日本から龍泉を訪れる研究者や作陶家は少なくないが、なにぶん不便なため古窯址まで行くのは1,2ヶ所が普通だ。

しかし、安くはない旅費を せっかくひねり出すのだから、行き先を龍泉一本に絞り 古窯址9ヶ所を廻ることにした。

大窯、楓洞岩窯、渓口窯、金村窯、源口源窯、源口窯、安仁口窯、安福窯、大白岸窯 と フルコースだ。

1ヶ所に半日かけて峠越えするところ、舟を借り切り渡船して際どい斜面に上陸する所有りと、もう とにかく最高の旅だった。

道案内は 龍泉青瓷博物館の副館長にお願いしたので、それぞれの窯の稼動時期や

技術的特徴なども教授いただけ、実に充実した内容となったわけである。

古窯址の他にも、清時代から現在も薪で焚く 龍窯で 昔のままの製法で焼き続ける上洋鎮窯を見学したり、

骨董店を ひやかしたりするのも 御一緒していただいたのだが、ちょっとビックリなものを手に入れた。

それが、これ  「青花雲竜文水盂」

水盂(すいう)とは水入れのこと、径は20cm 高さ15cmほど。

形は いびつで なんてったって 絵が チャーミング! なんとも稚拙な その造りに 思わず手に取った。

景徳鎮の民窯かなぁ と店の主に問うと、近くで焼かれたものと。

「近く?ウソだぁ〜」、 すぐさま副館長に振り返り 「どこ?」

「龍泉窯だよ」、 ・・・、 「う、うっそー!、ホント〜?、えっ〜〜?」

先程の古窯址の中の金村窯の清時代のものだと言う、

「えーッ、!! 龍泉窯って青磁だけじゃ無かったのォ〜っ!!」

副館長いわく、金村窯では明時代後期から清、そして民国時代になっても暫く青花磁器を焼いていたそうだ。

龍泉窯は青磁だけじゃ無かったのだ、 青花の他にも安仁窯では 南宋から元時代に褐釉も焼いていたんだって。

ム〜ッ、知らんかった。 値は150元、2千円くらいと安いのも嬉しかった。 

日本に戻り、 さて 何に使おうか と考え、塗り蓋を作って 抹茶の水指し とも思ったが、

金村で焼かれたのだったら 金魚鉢が一番と、きのうホームセンターで金魚を3匹買ってきて入れた。

そもそも 金魚は 上見(うわみ)と言って、上から鑑賞するのが正しい。

ガラスの水槽に入れ 横からの姿を見るようになったのは最近のこと、

江戸時代の日本人は 金魚の背を見て 悦に入っていたのであるぞよ。

2010.4.3.


3月13.14日、2日間かけて 国際シンポジウム「北宋汝窯青磁のにせまる」が 大阪歴史博物館で行われた。

これは 大阪市立東洋陶磁美術館で開催中の「北宋汝窯青磁考古発掘成果展」にあわせた 中国、台湾、韓国、日本の研究者10名の、

現時点での” アツアツ最新 超ホット研究発表&討論”といった スリリングなもの。

つまり、未だ汝窯の謎は深まるばかりで、新たな発見は 新たな謎を生む スパイラル状態。 研究者たちの見解も さまざまだ。

こりゃ〜、行くっきゃないぜよ!と ばかり 前日に先づは じっくり展覧をみてから 3日間どっぷり汝窯漬けの大阪を楽しんだ。

汝窯(じょよう)とは 中国の北宋時代(960〜1127)の末期、宮廷の命により青磁を製作した窯で、 現在 私たちが

青磁といって思い浮かべる”青い青磁”、美しい空色の青磁を焼くことに初めて成功した窯である。

そして 汝窯製とされる伝世品は極めて少なく、世界中で74点 日本には たったの3点だ。

昔の文献に 「汝窯宮中禁焼、内有瑪瑙末為釉」 と あり、 意味は と いうと

「汝窯は皇帝の御用器を焼く工房で、うわぐすりは宝石であるメノウを砕き粉にして使う」 、 お〜・・!瑪瑙・・!

なんという めっちゃ高貴な窯、やはり「汝窯」=「北宋官窯」 なのであろうか? そして それは何処に??

中国で考古学的調査や発掘が盛んになるのは1970年以降、1977年 ついに 汝窯らしき 青磁の欠けらが 1点 採集される。  

その後 2002年までに 8度にわたる発掘、 今回は その出土資料のうち80点が海を渡り、中国 国外での初の展示。

「汝窯」とは何か? 「官窯」とは何か? 北宋汝窯青磁の 謎と魅力に迫る 超必見・垂涎展である。

2010.3.16 


このまえ ぼや〜っとTV をみていたら、大分・別府温泉の血ノ池地獄が映っていました。

凄まじき名まえですが 別府観光の目玉 ”地獄めぐり” 8地獄のひとつ、ブクブクと煮えたぎる温泉が湧く 池の色が 真っ赤ゆえ。

なかなか 圧倒されるものがあります。 僕も かつて行ったことがありますです。

TV では 出演タレントの人が スコップで池底の赤い泥を掘っているところで、そのあと その泥をどうしたのか

 とにかく僕は ぼや〜っとしていて 憶えてないのですが、 地獄の案内人だか 説明係りだかが

「えー この赤い泥は 傷や皮膚の病に効きまして、昔は戦のあとの兵たちが けがの薬として・・・・」

ふ〜ん そうなんだー、 と 思い・・・・、

「えー この泥が赤いのは 非常〜に 非常〜に 細かい粒子の硫化鉄で ございまして・・・・」

へぇ〜 なんか やきもの の材料に 使えそうじゃんかぁー、 などと ぼや〜っと 思っとったわけで ございます。

そして その晩おそく、不思議なもので めったに連絡のない 大分の友人から電話があって、

まあ 長電話のなかで ほんの ちょこっと 血ノ池地獄の話も でたわけです。

それから 何日かして ・ ・   我が家のポストに 大きめの封筒が入ってました。

開けたら これです、  「血ノ池軟膏」!?

傷を 治すっていうか なんか 傷口が 血だらけに なっちゃいそうじゃん!?

すごいでしょ〜〜、 なんか 九州って すごいよなぁ〜〜

2010.3.1.


お便りが遅れましたが、2月7日 茅ヶ崎”俊”での「中島克童 陶の世界」展が終了致しました。

会期中は天候にも恵まれ たくさんの皆様に来場いただき、盛会でありましたこと 誠に有難うございます。

今回展の核でありました「M .マイタ氏との約束」。 眞板氏ゆかりの方、ファンの方々も多数お越しくださりました。

会期半ばには 松籟庵において 茅ヶ崎市美術館により 眞板氏をしのぶ茶会も催され、冬の静かなひとときを過せました。

皆様の応援により、この展覧のための一年が どうにか形になりましたこと、心より御礼申し上げます。

克童 拝

2010.2.15.


1月23日から始まった 茅ヶ崎展は、後半へ入ろうとしています。

今年は 梅の開花が早いと 謂われていますが、

ギャラリーの斜向かいの 高砂緑地の梅は、木によって アワテモノやノンビリヤがいるようで、

松籟庵の白梅は昨年並み、でも美術館へ登る小道の紅梅は いつになく咲きそろっています。

そうそう、美術館といえば、 M..マイタ氏が開催するはずであった 今の会期は、

30代前半の女性作家ふたりによる展覧会が開かれています。

墨による平面 と 鉄の立体、 共に現代的表現で たいへん すばらしい作品に驚かされます。

克童展と 梅と 美術館、三ッつセットの とっても お徳な 冬の一日を、 お楽しみください。

2010.1.29.


今週末 23日から 茅ヶ崎の”クラフトショップ俊”で、「中島克童 陶の世界」展を開催いたします。

ここでは 隔年で行ってきて 本来なら今年は ありません。

それは、副題 「M .マイタ氏との約束」。 

M .マイタ氏とは 彫刻家・故 眞板雅文 氏、この 窯だより で 昨年3月30日に お話しした方です。

”俊”の斜向かいと言える 茅ヶ崎市美術館で企画された眞板展に合わせるため、

この スケジュールが決まったのが 一年前の ちょうど今ごろでした。

そして その直後の他界。 すべては一陣の風に さらわれるように消えたのです。

さて どうしたものか、と 途方にくれたままの一年でしたが、ここに至り

 ギャラリーのご好意に依り、僕なりに ひとくぎりするべき機会を いただくこととなりました。

冬の陽に キラキラと まぶしい茅ヶ崎の街へ、お散歩ながら お運び下さること、

心より お待ちしております。

2010.1.17.


明けまして おめでとう ございます

本年も どうぞ よろしく御願い申し上げます

平成22年 元旦


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