窯だより バックナンバー 2009年 9〜12月


 

今年も残すところわずか、 一年をふり返ると 僕にしては けっこう忙しく過し、陶磁関係以外の書物を読む時間が あんまりなかった。

そんな中で 今年の この一冊と考えると、井上靖の 「敦煌とんこう」 と思うのである。

「官吏任用試験に失敗した趙行徳は、開封の町で、全裸の西夏の女が売りに出されているのを救ってやった。

その時彼女は趙に一枚の小さな布切れを与えたが、そこに記された異様な形の文字は彼の運命を変えることになる・・・。」

この作品は 昭和34年に書かれ、翌年 毎日芸術大賞を受けている。

後の ”シルクロード・ブーム” 到来を はるかに遡るころ、敦煌より現れた ある史実をもとに描かれた

その 壮大なる舞台は、ロマンという ちっぽけな言葉は似合わない。   堪能した。

井上靖の作品は 以前に 「孔子」 など いくつか読んでいたが、迂闊にも 「敦煌」 は未読であった。

2009.12.25

お正月休みに いかかがでしょうか? 新潮文庫438円(税別)、お安いですよ〜。

えっ? もう お読みで? まじっすかぁ〜。  ・・・てなとこで、みなさま よいお年を お迎えくださいにゃ


年明け1月の個展の準備で慌ただしく、お誘いいただく忘年会を ことごとく諦める事態の僕ですが、

そんな中にも 先日 極上の緊張感をあじわえる 飲み会がありました。

言ってみれば 僕にとって今年唯一の忘年会となったわけです。

それは 先度の研究会の終了後、会場となった美術館の取りはからいで 居合わせた十数名が街へ繰り出したのでした。

学芸員 研究者が 半分、陶芸作家が 半分。 

学識の方々のフィールドもそれぞれで、現代の工芸 陶芸を専らとする人、韓国陶磁史専門 東洋陶磁史全般 といろいろ。

造り手の側は 伝統系は僕一人、あと造形的な作品を青磁で展開する知人も ひとりいたけど、

ほかは みなバリバリに尖った連中で、そして若い!。上のチラシの出品者なのです。で、ほとんど女性。

「 装飾の力 」展。 英語だと 「 The Power of Decoration 」。  チラシの紹介文は というと、

”過剰なまでに装飾を施し、作品という立体を飾るためというよりも、まるで装飾するという行為そのものが目的となって立体を構築し、・・”

さて、この一団 歳もバラバラ、やってることもバラバラ、 Key word は 「陶」。

こんな へんてこりんな集団が ワイワイガヤガヤ、2軒 飲み歩いたんでございます。

いや〜、楽しかった、しんどかった、きびしかった〜、 もう 最高ッ!!

2009.12.18

「装飾の力」展 は、東京国立近代美術館工芸館にて1月31日まで


29日の日曜は 東洋陶磁学会の研究会に行った。

今回は近現代系4題の発表があったが、そのなかで20世紀後半のイギリスに 独創的な作品を残しながら

どこかベールに包まれた感のある陶芸家、ハンス・コパーに関する 西 正子氏の発表が興味深かった。

題目は「ルーシー・リーとハンス・コパー」

ルーシー・リーは陶磁愛好家以外にもファンが多い作家なので、作品が思い浮かぶ方もたくさんいるはず。

そのルーシーの展覧会や作品集などで かならず目にするのが、コパーとの合作 と解説が付く器、長年にわたる共同展開催の記録。

いままでルーシーに係わる部分でしか見えなかった ハンス・コパーの全貌とは!?

と、ここまで書いて 思わせ振りなのだが、「ハンス・コパー展」の巡回展が始まっている。

 東日本では 東京・汐留の”パナソニック電工 汐留ミュージアム”で、来年6月から9月にかけて。 作品は その時まで。

では ここで ちょっと プロローグ だけ

ハンス・コパーは1920年、ドイツのザクセン州で ユダヤ人の父と ドイツ人の母の元に生まれた。

1930年代も終わろうとする頃、ナチスによるユダヤ人への迫害が激化、

父は 非ユダヤの母を迫害から守るため 自殺、コパーは19才で単身イギリスに亡命する。

しかし、世界は戦争へと歩みつづけ 敵国ドイツからの亡命者は カナダに送られてしまう。

その後 軍隊に入ることを条件に イギリスに戻されるが、大戦中さまざまな困難にみまわれるのであった。

そんな コパーに 転機が訪れるのは終戦後、仕事を求めていたとき。

オートクチュールの陶製ボタンづくりをしていた ルーシー・リーの工房で働くこととなる。 コパーの陶芸との出会いだった。

ハンス・コパー26才、ルーシー・リー44才、 1946年のことである。

2009.12.2


カスヤの森現代美術館での「中島克童 作陶展」が11月15日に終了。  ひと月半に渡る会期中、

多くの皆様に来館いただきながら ご案内するべきの僕が ほとんど在館せず、たいへん失礼いたしました。

最終日に やっと一日 美術館に。  他の美術館、博物館の学芸員さんたちを含む たくさんの方々がお越しくださり

いっしょに館内をぐるぐる、うら山の作品も見ながら ゆっくりと歓談することができました。

僕の展覧は終わりましたが、この美術館は ここならではの展示作品も 楽しみのひとつ。

ぜひ 又、機会がありましたら 散歩がてらに お運びください。

そう、ここ ならでは、の 話を。

第3展示室の 世界的 アーテイスト 李 禹煥(リー・ウーファン)、

壁に直接 ぺとり と ひと刷毛 塗られた作品 「ダイアログ」、 有名な作品なので ご存知のかたも多いと思います。

何年か前も 横浜美術館の「李 禹煥 展」でも 数点 制作されました。 制作、そうなのです。

つまり 美術館の壁に直接 描くこの作品「ダイアログ」は、展覧会終了時 塗り潰され 消滅するのです。

アメリカでも、ヨーロッパに於いても。 美術館としては 残して貰いたくともです。

「ダイアログ」を いつも観られる所は、世界中でも いくつもないのです。

それが、なぜ 此処に ・ ・?

この 第3展示室は、自身が現代美術作家である館長が 若いころからの友人である 李さんに、

「ダイアログ」を 描いてもらうために設計し 3年まえ建築したのです。

仏国パリ在住の李さんは、「ダイアログ」を描くために遠路 横須賀に来ました。 しかもです、

漆喰壁に描かれたアクリル絵の具は 壁に染み込み変化するので、1年後 再び上塗りのため来日したそうです。

すごい事ですよね。  そして もうひとつ、 この作品には ”始め”と”終わり” があります。

「ダイアログ」は絵画ではありますが 描き始め と描き終え が存在します、

”書”にも通じる 東洋思想が根底にあるようです。

2009.11.16


船の向こうに顔を出している岩礁は、和賀江島である。 鎌倉の材木座海岸の沖にあるこの島は

島という名が付くが、じつは日本最古の築港遺跡で 鎌倉時代に造られた人工の港だ。

径30〜50センチの玉石を幅40m長さ200m積み上げ 桟橋を成している。

往時はもっと高さがあったらしいが 時代とともに崩れ 、現在は潮の干満の差が大きい季節の

大潮の日に歩いて渡れるものの、普段はこのように小さな島の姿をしているのである。

鎌倉時代には幕府と中国との貿易、その後も江戸時代まで海上輸送の要衝として

付近の生活を支えてきたわけだが、海が荒れると難破する船も数多くあったようだ。

そうした海に沈んだ品々のなかで、陶磁器は たとえ割れて破損しようが 消滅はしない というその性格上

何百年も海底の砂のなかに眠りつづけ、時折り 台風の荒れた波によって 海岸に打ち上げられた。

それらは 多くの研究者たちへ 、貴重な資料としての海からのプレゼントだった。

最近では めっきり見かけなくなってしまったが。

先月8日、翌日からの展覧会の準備のため 車で海岸線を走る 僕の見た光景はというと、折りしも台風の通過中。

今まで見たこともない累々と重なる巨大な波は、砂で国道を埋め、アスファルトを陥没させ、崖を崩していた。

道沿いの飲食店の人たちは 雪掻きならぬ砂掻きに汗し、漁師は呆然と海を眺む。

が、しかし、奇跡的にも 重大な人的被害を免れたのは幸いだったと言えよう。

その時、僕は 直感した! こいつは 陶片が 上がるぞ!

そして後日 穏やかに広がる材木座海岸に 行った。

和賀江島には、泳いで渡った。

期待に熱き 僕の肌に、海水は 少しも冷たくはなかった。

       

2009.11.4.


         

10月20日、松屋銀座での「中島克童 作陶展」が 終了いたしました。

会期中は 毎朝7時半のバスで丹沢を出発、帰りは夜10時。

バス停からの10分の道のりは 夜空を見上げっぱなし、で、首が痛くなりました。

だって、オリオン座流星群の活動が ピークを迎えているそうじゃありませんか!

丹沢の夜は 電気の灯りも無く、ただただ 星の海。 だから、きっと ・ ・。

お忙しい中 ご来場いただいた 皆様、ありがとうございました。

心より 厚く 御礼申しあげます、 これからも宜しくお願いいたします。

え?流れ星? 見れませんでした、残念。 時間帯が もっと遅いんだって。

2009.10.23.


            

さて、ついに 10月と なりました、 明日 3日は お月見です。  そう お月見、 お月様 & お酒。

2会場での 作陶展を 目前としながら、 とは 思いつつ。 ま、それと これとは 別の別、なんちって。

おっと、本題。 いよいよ の僕の展示会は ”予定のページ”で お知らせしていたとおり、

9日の ”カスヤの森 現代美術館” で スタートします。 会期が長いので ”松屋銀座・美術サロン”が

途中に入る感じですが、 趣向を異にして 楽しんでいただけるよう 現在 思案中です。

銀座松屋は 今年で 7回め 隔年で12年となりますが、 カスヤの森は 2度目 前回は もう だいぶ前です。

今回 僕の作品は 第2展示室、とても雰囲気ある 小さな空間、 それと ラウンジも使わせてもらいます。

この美術館の お楽しみは ほかにも まだまだ。 おすすめは まず、うら山って感じの 竹林の庭、

羅漢像の 間をのぼると とつぜん 宮脇愛子 のステンレスワイヤーワーク ”うつろい” が、

静かで 絶妙 の 世界。 ほかの展示室には ヨーゼフ・ボイス、リー・ウーファン、・・・ まだまだ いろいろ。

”現代美術” を 堪能できる ワンダーランド なのです、 カスヤの森は。

この 機会に、ぜひっ、です。 よろしくッ!!

2009.10.2.


ムカデに咬まれた。 それも よりによって 日本最大13cmの トビズムカデにだ。

街なかに お住まいのかたには 縁遠いことと思うが、 ムカデは 小っちゃい方から

イシムカデ、アカムカデ、アオズムカデ、トビズムカデ、と 4種 生息する。

トビズ とは ”鳶色の頭”の意味で、こいつが超ヤバイのである。

ムカデの横綱、 蜂で言ったら 大スズメ蜂、クラゲだったら カツオノエボシ、蛇なら マムシ、ってな奴だ。

おととい夜半、 左手 中指と人差し指の又に痛みを感じて 眼が覚めた。 灯りを点けると みごとな 咬み跡。

ムカデは 基本的に夜行性で 被害のほとんどが就寝中、たいがいは身体を這うムカデを無意識に 手で払う時なのだそうだ。

なんだ、セオリーどおりに まんまと やられたってことか ・ ・、 くっそ〜。

まァ、明け方 襖を上る 此奴を発見し 退治してやったが。

上の写真は 今日の手、もう ほとんど腫れは退いたけど、 きのうは まるでトマトみたいだったんだよ。

え? 治りが早い? ん〜、そういえば 手が腫れてても やらなきゃならない ロクロ仕事があって、

一日中 左手は ドベ だらけ。 ひょっとすると、ムカデ治療には 泥パックが 効果的なのかもね。

2009.9.16.


          先週、昭和59年に掲げられて以来  一度も下ろすことのなかった「克童窯」の看板が外された。

          変わりに掛けられた銘板には、「頼山窯」と墨書されている。

          そして 仕事場の中で ロクロを回しているのは、作務衣すがたの うら若き女性だ。

 

          えっ? ・ ・ ・ ついに、 克童窯は ・ ・ ???

          いえ いえ、おどろかせて ごめんなさい! 実は TV の撮影、 女性とは 小雪さんでした。

          フジテレビで 10月15日スタートの、山崎豊子 原作 「不毛地帯」

          完結は来年3月という フジTV 開局50周年企画の 最後を飾る 超大作です。

          ここでの撮影は その 第1〜3話に入るそうで、第1話には 茶碗を挽くシーンが ちょこっとだけですが、

          2話では 粘土を練る”菊ねり”から壺づくりも、 3話は 登り窯の前でのシーンも あります。

 

          「不毛地帯」は 社会派小説の名作と知られ、登場人物は 皆 モデルになった人が実在するそうです。

          時代背景は 昭和30〜40年代。 窯場の所在は 京都の山のなか。

          ん? では 、 ・ ・ 、 小雪さん 演ずる ”秋津 千里” のモデルとは??  気になるでしょう?

          僕も その日 はじめて スタッフから聞かされ 超ビックリ!

          ”女流陶芸”代表、坪井明日香さん なんだって!!   へぇ〜! そうだったのかぁ!!

 

          まぁ、それは さておき、 もうひとつ ビックリなのが 小雪さん。

          今までに 作陶経験はゼロ。 この撮影のための事前練習は 過密スケジュールを縫っての数回だけ。

          当然 TV制作側は メッチャ不安。 だから、美大で陶芸専攻の女子大生を”手の代役”としてスタンバイさせ撮影開始です。

          しかし、しかし。 ついに その学生さんの出番は、なかったのでした。  スゴイぞッ 小雪さん!!

2009.9.2.


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