窯だより バックナンバー 2011年 9〜12月


今年も 残すところ あと1日となりました。  みなさまの この一年はいかがでしたでしょうか。

新聞各紙は、2010年の10大ニュースで紙面を賑わせています。

”日本の10大ニュース”、”海外の10大ニュース”、”スポーツ界の10大ニュース” などなど、

ふむふむ、してみると吾が身の 10大ニュース は、いかようになるのかな? なんて考えてしまいます。

”中国の青磁古窯址に行った”とか、”大阪のシンポジウムが良かった”とか、・・・

思い浮かぶのは 陶磁関係ばっかり、つまり仕事関係。

いや〜、そういうんじゃなくって、・・・もっと こう 個人的ってぇか、ひとりの人間としてですね・・・、

むぅ・・、目をつぶり 胸に手をあて・・・。

思い出そうとすると 出てこないものです、 良いこと悪いこと、有ったような 無かったような。

飼い猫のレオ君が 近所のドラネコと屋根の上で決闘して突き落とされ ひどい捻挫をして 心配した、とか、

夏の終りに 立ち呑みの焼き鳥屋で 夕陽を浴びながら 友と飲んだビールが最高だった、とか。

・・・そんな具合で、どうも”10大”などと呼べるような事は無さそうです。

まぁ、今年は ゆったり過せた、ということになりますでしょうか。

ってなことで、 さては みなさま 一年 本当に お世話になりました、ありがとうございます。

来年も なにとぞ宜しくお願いいたします。

では、どうぞ 良いお年をお迎えください。

2010.12.30


今回も 又、本の話で恐縮ですが、ちょっと珍しい 江戸時代の陶芸技法書 「陶器指南」の解説本を入手しちゃいました。

日本の製陶技術は 明治の開国と共に 西洋の近代産業的ノウハウが導入され 大きく変化します。

その合理性の洗礼を受けた後は、科学的な陶磁器製法文献が わんさか出現することになりますが、

なんだか 原材料も技術も 今風のハイカラ技法。 どうも根っこの違う 接木みたいな感じです。

そうなる前の文献って、ないのかなぁ・・、 でも、その頃の製陶法は 言わば秘伝でしょ、

巻物かなんかに なっちゃって 陶家の蔵の奥深く 仕舞われちゃってるに決まってますよねぇ。

・・・なんて思ってました。 が、有ったんです。

京の名工、欽古堂亀祐が 文政13年(1830)、66歳の秋に発刊した陶法書 「陶器指南」。

江戸期のその頃は 識字陶工も少ないため ていねいに図示解説され、項目は なんと50にも細分、

土の採集から ロクロ、釉薬の材料と調合、窯の構造、薪の乾燥法、窯積み、窯焚き、

色絵ぐすりの合わせ、色絵窯、・・云々、 と フルコースです。

江戸時代に こんな陶工が居たなんて、ホント おどろきです。

気になりますでしょ? 欽古堂亀祐 という オッサン、ね?  では、ここで ちょっとだけ、

亀祐(かめすけ)は、京都の伏見稲荷の門前で 参拝みやげの伏見人形を作る 陶家に生れます。

幼少の頃から土をひねり うでを磨き、成人するや 本筋の陶法に励むため

当時 陶芸界の大家で 中国陶磁の研究家であった 奥田頴川(えいせん)に弟子入りします、

そして 陶法と博学を伝授されることとなるのです。

う〜む、納得・・。  頴川門下の 木米(もくべい)や道八(どうはち)らが兄弟弟子とは、おそれいりました。

でも よくぞやってくれましたよね。 この「陶器指南」の出版は 江戸日本橋、尾州名古屋、大阪心斎橋、

そして 京四条烏丸、同室町 所在の書林から 同時発刊というから、やること なかなか派手ですねぇ。

ま、今回 入手したのは、昭和59年に千部限定で出された解説本。

それでも ネットで探して、やっとこ2冊 古書が有ったほどの稀少本、 安い方のを いただきました。

2010.12.15


遠方で清貧に暮らす 年長の友と 久々の長電話、最後は話題が 本の価格のことに及んだ。

じつは 彼は もの書き である。 が、本を売るより 買う方が もっぱらだ。

まぁ 愚痴なのだが、近頃 散歩がてらに書店をのぞいても このデフレの ご時世に本だけは安くならん、

文庫本でも けっこうするし 文芸文庫系だと 千円を越すのもザラだ、と 歎いている。

だが そんな中 うれしい本を見付けたという。 新潮文庫 「人間の建設」 362円(税別)、小林秀雄と数学者・岡 潔の対談である。

昭和40年8月16日に 京都でおこなわれたもので、小林秀雄の全集にも収録されているそうだが、僕は知らなかった。

岡 潔という数学者さえも。 

小林秀雄は 対談・座談の名手でもあったが、そのなかでも 最も世に知れた大対談であり、

当時 単行本に なるやいなや ベストセラーになったらしい。

文庫本になったのは 多分 初めてで、発行が今年の3月1日、7月に もう五刷め、

新潮文庫さんも なかなか やるじゃないですか、と 声を弾ませた。

・・・ふ〜ん、そりゃ 僕も読んでみたいものだ、と 探しに出てみた。

すると こんな田舎町の本屋にも ちゃんと置いてあるじゃないか、やはり 今春 出版されたばかりだからだろう。

すぐに 手に取り 本を開き、パラパラ・・・。 ん?・・・これは、 おもしろそうだぞ・・・

 まず のっけから、吹き出した。 思わず 笑う。

出だしの二人の あいさつながらの ひとこと 2行づつが、もう 小さな火花を散らすようではないか。

わくわく させるのだ。  数学者と文学者、畑違いの ふたりの対談。

カバー裏の紹介文には、”有り体にいえば 雑談である。しかし 並の雑談ではない。・・・日本史上 最も知的な雑談であろう”、と。

いやいや、これは もっと・・・、ん、そう 、真剣勝負の 雑談だ。 まさに。

そして 会話のなかに、小林秀雄が ひとつのことを理解しようとするときの 思考パターンが見えるところもあって、

他の 小林秀雄作品を読み解く ヒントにも なりそうであるのだ。

まあ とにかく、すごいです、深いです、おもしろいです。

知の巨人どうしの対話とは、美しさもあるんだなぁ。 ぜひ、御一読を。

2010.12.1


先日、求龍堂から刊行された 「丹波の名陶」の出版記念パーティーが 東京・ 青山であり 同席させていただいた。

兵庫県 丹波篠山にある”丹波古陶館”の 中西 薫さんが、祖父の代から三代に渡って蒐集、蔵品された古丹波コレコション。

その中から 鑑賞、研究の資料として 後世に残すべき名品を 徹底して選りすぐり、

写真家・藤森 武さんが撮り下ろした 昨今の出版界では 珍しい豪華本である。

美術、工芸史、陶磁関係は勿論のこと、丹波古陶館は能楽資料館も併設されていることもあって、

狂言師の人間国宝 野村万作 氏も あいさつに立たれたりと、たいへん華やかで楽しい会であった。

藤森さんの写真は いまさら言うまでもなく、冴え返る 渾身の撮影で 見るものを圧倒するが、

古丹波を撮るには 特別の想いがあったそうだ。 と いうのは、

誰もが知る 写真の巨匠 土門 拳が それまで被写体としなかった”やきもの”を初めて撮り、

後に 名著 「古陶遍歴」を纏める きっかけとなったのが、じつは この 丹波だった。

それは 今から48年前、昭和37年から38年にかけて 中西家で行われた写真取材であり、

その時の 助手を務めたのが、若干二十歳 写真学校の学生だった 藤森 武さんであった。

縁あって 師と同じ道を歩んだ 藤森さんが、

縁あって 依頼された この度の 古丹波の撮影。

本の あとがき 「撮影記・陶郷 丹波に思う」の中に、このように記している

「撮影は午後から始まった。・・・中略・・・ 土門先生にあやかってカメラは4×5判のジナーを使い、

写真電球でのライティングである。何としても師・土門を超える写真集にしたいからだ。

デジタルカメラやストロボ撮影では古丹波は写させてくれないのである。」

”4×5判”とは”シノゴバン”と読み フィルムの大きさが 4×5インチ、つまり 102×127ミリのことで、

一般的なフィルムは 1コマ 24×35ミリであるから 面積比が なんと15倍。

被写体を 舐めまわすような描写力を持つ このフィルムを使用するカメラを 大型カメラと云い、

スイスのカメラメーカー ”ジナー”は 土門 拳が 愛用した名機であった。

この本は、中世古窯の鑑賞・研究資料としての内容だけでなく、デジタルへの急変ばかりが目に付く

現代社会において、鑑賞の眼と心を 改めて考えさせられる 写真集でもあるようだ。

2010.11.15


今 開催中の、根津美術館創立70周年記念特別展 「南宋の青磁・宙をうつすうつわ」展に、2度ほど伺った。

1回は陶磁協会の研究会、もう1回は鼎談講演会聴講を絡めてだが、会の前後に たっぷり鑑賞することができた。

2度も行って 随分と美術館運営に協力しているようであるが、じつは いただいた券なので あまり えらそうには言えない。

まあ それはさておき、宙(そら)色の青磁を堪能できる すばらしい展覧だった。

青磁の展覧会といえば ふつう 青磁の歴史を追うがごとくの陳列で、

茶色っぽいのから始まって、グレー掛かったの、緑っぽいの、そして青色になって、また緑がかり・・・。

ところが 今回は 「南宋の青磁」、中国・南宋という時代的くくり があり、一部に元時代も含まれるが

いわゆる 砧(きぬた)と呼ばれ 愛され 伝世した 龍泉窯青磁の あの花瓶を あの碗を、

同形器種を数点づつ ずらりと並べての陳列は 圧巻であり、比較できる 又とないチャンスでもある。

その上 併せて、南宋官窯作品と陶片が展示されている。

昭和初期に杭州領事であった 米内山庸夫氏が、郊壇下官窯址を発見し採集した陶片の公開は初めて。必見である。

根津美術館は 新築オープンから早一年、僕は なかなか行くチャンスが無くて館の前を通ることは あったのに、入館したのはこの度が初。

すごいスタイリッシュな美術館に生まれ変わってて ビックリ!カッコイイ!!

でも、茶室が点在する 庭は昔のまま。 池のまわりを歩くと、木の葉は色付きはじめている。

都会の真ん中とは思えぬ、静かな季節が流れているようだった。

2010.11.1


前々回の 薪のこと、その つづきをお話しいたしましょう。

25年間 使い続けてきた松薪が 手に入らなくなり、遠路 岩手県から300束 運んでもらったのでした。

上の写真の左がそれ、右の2列が ずっと使ってきた葉山の薪の残りです。

ここで 皆様が思うのは たぶん、葉山って あの湘南の?  ですよね、

そうです あの 皇室御用邸と石原裕次郎で名高い 葉山です。

たいした話ではありませんが、なぜゆえ葉山に松薪が存在したのか、そんなことを ちょっとお伝えしたく思ったのです。

薪は製材所からいただいていましたが、葉山に松薪を存在させたのは 漁師さんたちだったといえるでしょう。

漁業は一網打尽の狩猟手段のほかに、魚貝養殖という 地道な計画生産も行います、

海面上に浮べた木枠の八角筏から海底に網を下げ 稚魚を育てるらしいのですが、

その木枠の素材には 永く水中にあって腐りにくい 松が一番だそうです。

原木は葉山産ではありませんが その木枠筏の製材したあとの残りの耳の部分が、松薪の正体でした。

漁師さんたちは 春まだ冷たい海に潜り サザエなどを獲ります、

ひと仕事して 陸に上がったとき なにが一番かといえば、暖、焚き火にあたることだそうです。

でも 着装している ダッコちゃん と呼ばれる 黒のウェットスーツは とても火に弱く、

焚き火の はぜる火の粉で すぐに穴が開いちゃうのですが、松薪なら はぜることなく安心らしいのです。

そういえば、夜間に野外で演じる 薪能、あのとき燃やす薪も 能装束を焦がさぬように松薪を使うと聞きました。

そんな 漁師さんたちの貴重な薪を分けていだだきながらの25年でした、

永い間 本当に お世話になりました。

時代が変わり、 なにが どう変わったのかは僕には よく分かりません、が、

葉山の製材所で 松材を刻むことは 無くなったそうです。

2010.10.15


影が それをつくる実体よりも 美しいことは珍しくない。

とは、分かっていても 足元に唐突に現れた 秋草の影に 息を呑んだ。

朝、仕事場に上がろうと 家を出た道に、浅い角度の木洩れ日が描いた 一枚の秋の絵。

その美しさの中には、言い知れぬ 慕わしさがあった。

影。 遠い昔 遊んだ 影踏み鬼、縁日の回り灯籠、障子ごしの影絵あそび、キツネ、イヌ、チョウ。

それらは 楽しく 面白いだけではない、光の裏の世界を覗くような 怖さも潜んでいるようだった。

人形影絵芝居、インドネシアのワヤン 中国の影戯 も そうだ、

使う人形 それ自体も美しく彩色された芸術作品であるが、影絵となり 命を吹き込まれるや否や

布幕のスクリーンの中で 形や大きさを変幻させ、神がかり、見るものに迫る。

そう、 影が その主人に けっして従順ではないことを、私たちは どこかで 知っている。

2010.10.1

前回のマキのつづきは 別の機会にします。 秋草の影が あまりに綺麗だったから。 


おとといの月曜日、克童窯に 新しい薪が330束 運び込まれた。

遠路500キロ、岩手県からの長旅だ。

スーパーパワーの薪屋さんは 前日の日曜日、朝から薪をトラックに積み込み 正午に岩手を出発、

夜を徹して 一路 国道4号線を突っ走る。

高速道を使わず 薪満載のトラックに 鞭を打ちつつ15時間、 克童窯に着いたのは 月曜午前3時だった。

真っ暗の窯場で 荷台のロープを解き、 うっすらと夜が明ける中 荷おろしが始まった。

6月に伐った赤松は まだ水分が残り かなりの重さである。  朝7時に終了。

ロクロ場で お茶を一杯お出しして しばし雑談すると、 「 さぁて、岩手さ、けぇるかぁ 」 と トラックに乗り、走り去った。

スゴイッ!! スーパーパワー薪屋さん!!  ・ ・ ・ 何 食ってんだろ!?

::: つづく :::

と、いうのは じつは 初窯以来25年間使用してきた薪が入手不能となり、岩手の薪は今回が初めてなのだ。そのことは 次回の おはなしに。

2010.9.15


8月最後の土日に上洛し 三条大橋のそばに 宿をとった。

夜になって、川床で 鴨川の風に涼みながら 鱧をあてに一杯やるか、と 先斗町に出てみると・・

うっ!暑っ!!  なんじゃ〜? この暑さー! ここは タイか? メコン川か?

・・・ 床は やめて クーラーの効いた お座敷に決めた。

と、こう書くと なんとも 贅沢しているように思われそうだが、じつは

大阪市立東洋陶磁美術館で開催中の「幻の名窯・南宋修内司官窯」展 が お目当て。

中国・杭州市文物考古所により発掘され、2001年に中国の十大考古発見の一つに選ばれた

杭州市 老虎洞窯址の発掘成果を日本で初めて紹介する展覧会である。

現在、杭州歴史博物館に収蔵展示されている出土資料で、

過去に2度 今年も3月に中国に行った際 見てはいるのだが、

薄暗い展示に細部がみえず フラストレーションがつのる中、なんと 停電!

まだ開館時間中なのに 「本日はこれにて 閉館します」 と 追い出される始末。

やっぱ 明るいところで もう一度よく見たいよなぁ・・、と ずっと思っていた。

しかし 一応は前に見ている品々、大阪往復の新幹線料金は ちと 懐が痛い。 ん〜。

てなことで、「ETC休日特別割引・上限1000円」を 思いついたのであった。

浮いた旅費が、鱧 に化けた、 という おはなしでした。

車だから 帰りは瀬戸に寄り道して 平安・鎌倉時代の猿投古窯址も見てきちゃったし、

めでたし、 めでたし。

2010.9.1


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                                    2010年 5〜8 月  


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