窯だより バックナンバー 2011年 1〜4月


震災から ひと月以上が過ぎたが、このところ余震の数、大きさが増したようで

どうも外出をする気持ちになれず、特に首都圏への足がにぶってしまう。

仕事がひとくぎりついても、いただいている展覧会や個展のDMの束を尻目に 読みかけの本に手が行ってしまうのだ。

僕はいま、ドストエフスキーの”白痴”を読んでいて、それが一番の楽しみになっている。

なにを今さら と お思いになられるかも知れないが、この本は ちょっと違うのである。

この本、じつは図書館のリユース箱で、つまり書架から外れ 地下の書庫で永く眠っていた本を処分するため

希望者は どうぞお持ち帰り下さい、という あのダンボール箱の中でみつけた本なのだ。 が、とにかく古い。

河出書房 米川正夫 訳 「ドストエーフスキィ全集 新装普及版 第七巻・白痴」、昭和29年発行の初版本だ。

昭和29年といったら 僕の生れた年で、これも何かの縁か と ありがたく頂戴してきた。

ちょいと不思議なのが この本、中は経年焼けして 古文書のように まっ茶いろに変色しているが

それ以外の傷みがまったく無い、表紙の角、背、中の頁も ピシッとして 擦れさえ無い、

しおりの紐が挟まっているページも その しおりの痕が くっきりと残る。

まるで57年後 ぼくに開いてもらうために存在したような 奇妙な感覚だった。

まぁ そんな風体の”白痴”だが、本をひらくと 漢字は旧漢字、仮名も旧態、訳も今では使われない表現も多い。

そして 印刷がレトロ!、活版刷りの文字は 濃かったり薄かったり、微妙な掠れがあったり。

今だったら製版ミスの扱いだろうが、なんだか とても人間的というか 血が通っているっていうか、

印刷機の油とインキの匂いがするような、とにかく気持ちが安らぐのである。

”白痴”の舞台、19世紀半ばの ロシア・ペテルブルクの暗鬱とした空気は、こういう本にこそ宿れるような気がした。

ところで、まだ三分の一くらいのところを読んでいるのだが、

”白痴” の主人公 青年ムイシュキン公爵は かぎりなく善良で 純粋無垢、真実美しい人間として描かれているが、

小林秀雄に言わせれば ムイシュキンは 悪者なのだそうだ。

はたして いかなるものであろうか・・・、  あ〜 わくわくしちゃう・・・、

つづき 読もっと

2011.4.17


工房と窯の間に通る登山道を下りてきた 若い二人の声が聞こえた。

「あ、登り窯だ・・、陶芸やってるんだ・・、 ねぇ 益子焼って 知ってる?、有名なやきものの・・」

「うん、知ってる・・」

「益子焼さぁ、全滅したらしいよ・・」

「ほんとに? ・・ ふ〜ん・・」

そして 山靴の音が 通り過ぎていった。

今回の震災のことだ、たぶんテレビのニュースで見たのだろう、

人的被災ではないから あまり報道されないが、僕も たまたま何日か前の朝、 ニュースで知った。

映っていたいたのは 無惨に壊れ、ガレキの山と化した登り窯、

登り窯だったという説明がなかったら レンガ捨て場にしか見えない映像である。

凄いことだ。 ただ、全滅と聞いたらビックリされるだろうが それは栃木県益子町に有った40基の登り窯のこと、

300基あるという ガス窯や灯油窯、電気窯は その約半数150基が壊れたらしい。

しかし まぁ、命さえ有らばなどと言っていても、やはりこれは大変なことで、これからの苦労が思われる。

うちでも 10数年まえに 震度5の地震で 登り窯が半壊、築き直す難しさを体験した。

焼いてこそ やきもの、窯の無いときの心情を 近代陶芸の巨匠・富本憲吉が次のように語っている、

「 窯なき陶工は  翼なき鳥のかなしみ

築窯なかば雨ふる日、

なすこともなき  さびしき我かな 」

( 富本憲吉 製陶余禄より )

2011.3.31


緊急 昨夜UPした安否不明だった一家5人が全員無事であるとの一報が16日朝ありました。

ご心配おかけしてしまいましたこと お詫びもうしあげます。ありがとうございました。

2011.3.16


11日に発生した震災での こちらの状況を問う電話やメールを たくさんいただきました、 ありがとうございます。

揺れが広範囲だったこともありますが 神奈川県西部の当方を心配してくださるのも 僕がワレモノ稼業だから。

この辺でも不気味な大きい揺れでしたが、お蔭様で棚からモノが少し落ちた程度で 作品や窯に被害はありませんでした。

しかし とてつもない大地震、そして津波、悪夢としか言いようの無い惨状。 被災された皆様には 心よりお見舞い申し上げます。

うちの 近親の一家も 最悪の地域で この地震に。  5人の安否は未だ不明なのです。

”無事”という たった一言の連絡を心待ちし電話を見つめ、”無事”と分かる ちょっとした情報をとTVに目をやるもどかしさ。

地球という 未知の惑星の薄皮の上に暮らす危うさ、それを実感するとき、地球という ひとつの星の出生の秘密を思います。

”自然”という言葉では とても括れないもの、 カオス?ビッグバン?・・・? それは あんまり大袈裟ですが、

現代の私たちは いつの頃からか 根本である 大きな存在を忘れていたのかも知れません。

2011.3.15


御礼が遅くなってしまいましたが、2月20日 茅ヶ崎・俊での「中島克童・陶の世界」展が 無事終了いたしました。

会期中は雪の舞う日もあり、斜向いの松籟庵の梅まつりが中止になったり、

そんな大層お寒いなかを たくさんの皆さまにご来場いただき、本当にありがとうございました。

茅ヶ崎での個展の恒例となっている、開高 健 ゆかりの”ジンギスカン”での宴も 今回は2度ほど。

作陶家、写真家、美術館学芸員のみなさんと ワイワイガヤガヤ、

以前は 席が空く間が無かった店内が ここ2年ほど すんなり入れて拍子抜けしていたのですが、

今年の2度目は 昔の賑わいが戻っていて、足りないイスに無理やり割り込み、

オバチャンに叱られながら 呑むホッピー、羊を焼く もうもうの煙、・・・、茅ヶ崎は こうじゃなくっちゃね。

おっとっと、 話しが へんな方向に・・。

きのう 萩から桐箱が届きました、現在 仕度中です。

箱書きしながら、あー この子は あの方のところに ゆくんだなぁ・・・、

オマエは 初めてのひとだなぁ、可愛がって貰えよ・・・、 なんてね。

これから ウコン布を切り、和紙を掛けて・・・、  みなさま もう少し お待ちください。

2011.2.28

   個展風景とインタビューが YouTube から御覧になれます。

YouTube の検索窓に”中島克童”を入力するか、ここ をクリックください。


         

茅ヶ崎”クラフトショップ・俊” での個展も、会期後半となりました。

俊では、入り口 左サイドの広いガラスウィンドウを飾る 花を楽しみしていらっしゃる方も 多いと思います。

季節をちょっと先取りする その花、今回は前半が「白蓮」でした。 そして後半はというと なんと「桜」です。

斜向いの高砂緑地内、松籟庵の梅が まだ咲き揃ってもいない 今年の冬の寒さ、

そんな中 待ち遠しい春の気分を少し早めに味わっていただけそうです。

この桜は「おかめ桜」という早咲きの品種だそうですが、ほかにも茅ヶ崎駅ビル入り口に「啓翁桜」が、

そして駅から会場に来る道筋の呑み屋さん前に「東海桜」が、と 心が ポッと温まるようです。

残す会期は16日(水)から20日(日)までの5日間、在廊は19,20日の土日だけとなってしまいますが、

ぜひ 湘南 茅ヶ崎で 冬と春の織りなす綾模様を見付けに おいでください。

2011.2.15


クラフトショップ俊(茅ヶ崎)での「中島克童・陶の世界」展が 2月5日(土)から始まります。

上の写真がDMに使ったもので、作品名は「瑠璃ノ雫」という 手のひらに収まるほどの小さな器です。

今回の会場には このオチビさんたちの他にも 大小さまざまの いろんな雫、

「火ノ穂ノ雫」、「窯ノ雫」、「玻璃ノ雫」、「黒ノ雫」 などが並びます。

え? 何の雫?・・、はい、じつは 登り窯も二十数年焚きつづけていると 窯の内壁には

焼成のたびに付着する薪の燃えた灰が 高熱により熔けてガラス状になり、しまいには 雫となって下がります。

窯出しも終えて作品を整理して  しばらくすると 窯内の灰出し掃除となりますが、

登り窯の一番前の室、作品は入れない マキを燃すだけの燃焼室を”胴木間”とか”大口”といいまして、

その 口の小さく 仄暗い炉中に潜り込んで 作業をしていると、

灰埃の中で 微かに光る かわいらしい この豆つぶくらいの雫を見つけるのです。

触れると ポキッと もろくも折れる、窯の妖精。  ・・・それが モチーフです。 一応。

DM を見た人たちからは いろいろと面白い感想が届きます。

”数珠玉みたい”とも。 ん〜、言えてます、イネ科の多年草の あの実、 郷愁をさそう 懐かしく可愛いらしい魅力、いいですねぇ・・。

”言霊を思わせる”とか、”オーブ(玉響たまゆら、宝玉)のイメージだ” なんてのも。

いや〜、これは ちょっとカッコ良すぎますよ、作品が負けちゃいます。 ・・やっぱし、”雫”ということで、・・はい。

あぁ、ところで 「オーブ現象」というのを ご存知ですか? 心霊写真とか言われる。

このまえの窯焚きで 不思議な体験をしたのです、 こんなこと、初めてなんですが・・・・、

おっと、 ついつい長くなってしまいました。  この話しは また会場でお会いした時にでもいたしましょう。

ではでは 皆さま、 海と空の 真っ青な 冬の茅ヶ崎で お待ちしております。

2011.2.2


今年は登り窯で 始まりました。

三が日だけは一応 コタツでゴロリとして 駅伝などを楽しみましたが、年末は窯焚きの準備で 大晦日まで大わらわ。

年明け 4日から作品の窯積みを始めて、そりゃもう昼夜を舎かず 必死コイテ積み上げ、封。

やっとこさ 17、18日に 窯焚き。 2月5日からの 茅ヶ崎・俊 での個展の作品の焼成です。

つまり、個展の会期スタート日程から逆算し、もう これ以上 遅らせることができない、崖っぷちスケジュールなんです。

まぁ、僕は もう  いつも いつも こうで、”失敗は無しよォ”の緊張感には なんだか もう すっかり馴れっこになってしまってますが、

なんで もっと ゆとりを持って制作できぬものかと、自分で呆れるばかりであります。

良い個展になるかは 窯しだい、窯まかせ。   窯出しまでの数日は、悶々の日々。

あー、まったく  危なっかしい 作陶人生であるわけです。

2011.1.18


平成二十三年 元旦


窯だより バックナンバー

                              2010年 9〜12月 


窯だより に戻る