窯だより バックナンバー 2011年 5〜8月


秦野で長年 自由律俳句会を催す知人から、俳人・松尾あつゆき の存在を知ったのは ちょうど去年の今ごろだったと思う。

その日も 近くの県立公園で句会を行い、余った時間を使って 陶房まで登って来られたのだった。

やきもののことを少しお話しした帰り際に、よろしかったら 読んでください と渡されたのが

その 松尾あつゆき の句集「原爆句抄」から抜粋した30句ほどと、「爆死証明書」という手記をまとめたものであった。

それは 戦慄がはしるものだった。

昭和20年8月9日、 長崎 原爆投下。

41歳の松尾は 長崎商業学校の教諭から移った食糧営団で、勤務中にその時と出会う。

爆心地に近い自宅を心配し向かうが たどり着くのは 夜、家族を発見したのは翌朝だった。

妻と中学一年の長男は 焼けただれながらも生存していたが、4歳と1歳の二児を喪った。

しかし、長男は8月10日、妻は13日と 次々に亡くなるのだった。

「爆死証明書」 とは 自らの手で 家族を火葬する 許可証のことである。

あまりに多い 犠牲者の山、真夏の惨劇は、こうして一家の生活に幕を下ろすしかなかったのだ。

8月15日、運動場の片隅に 妻と子のなきがらを運び、集めたガレキの古材で 火葬する。

ちょうど、その時、日本が降伏したという放送が ラジオから流れていた。

 

この世の一夜を母のそばに月がさしてる顔

 

すべなき地に置けば子にむらがる蝿

 

とんぼうとまらせて三つのなきがらがきょうだい

 

かぜ子らに火をつけてたばこ一本

 

降伏のみことのり妻をやく火いまぞ熾りつ

 

あわれ七ヶ月の命の花びらのような骨

 

なにもかもなくした手に四枚の爆死証明

 

2011.8.15


前回の 「珈琲がやってきた」 展の つづきである。 

展覧会の サブタイトル ”中近東、ヨーロッパ、そして日本”。 コーヒーと日本の出会いのお話の巻〜。  

 さて、珈琲は15世紀ころ アラブコーヒー、トルココーヒーとして飲まれだしたわけだが、

その後、 トルコ・オスマン帝国の 3大陸にまたがる勢力拡大によって、

ついには ヨーロッパの人々も珈琲の味を知ることとなる。 そして魅了されていくのだ。

淹れ方、飲み方を 西欧風に 変化させながら、17世紀中頃には広い階層に流行り始める。

だが、コーヒーの木は 赤道を挟んで 南北の緯度 25度の熱帯・亜熱帯でしか栽培できなかった。

そこで 当時 香辛料の獲得のため進められていた、列強の植民地政策に相乗りすることとなる。

そうして できあがったのが、現在 ”コーヒーベルト”と呼ばれる 地球を一周する コーヒー豆の産地であった。

”よし、豆は こうして調達していこうぜぃ。” と、あいなったが、ここで もうひとつ問題が出てきた。

流行したら 淹れるための道具、飲むための器が 大量に必要なわけだ。

”ん〜、よっし、だったら これまでも取り引きのある 中国で作ってもらおうじゃん?” と、思うのが当然だ。

で、オランダの 東インド会社の 営業マンが中国に行ってみると・・、

”あっちゃ〜、やっべ〜・・・” その頃 中国は明王朝であったが、なんと滅亡の危機に瀕していた。

内戦、内乱で 一大窯業地 景徳鎮の 製産は激減、

”コーヒーだぁ? なんだぁそれ? それどころじゃねぇよ!” なのである。 

”こりゃ あかんわ〜・・” と、目を付けたのが 我が国 日本の有田焼だった。

もう みなさん お気付きでしょう?

日本とコーヒーの出会い、係わりは コーヒーの道具、器の製作だったのです。 飲むことじゃなくて。

1659年、東インド会社は 長崎・出島のオランダ商館を通して、有田に コーヒーアーン、ポット、カップ を大量発注しました。

有田の陶工たちの顔が 目に浮びます、カップは別にしても コーヒーなんぞ 見たことも飲んだこともない、

そんな道具の注文に 目を丸くしたことでしょう。

あー、そうそう、ところで 日本で最初に コーヒーを飲んだ人?

それは どうも 当時の出島に出入りしてた人だったろうと考えられていますが、そりゃ ま そうでしょうが、

文献に残るのは 1804年 大田南敏 という人の書いたものが 最初の記録だそうです。

2011.8.1


中近東文化センター付属博物館で開催中の 「珈琲がやってきた」展 に行った。

ここは 石油を商う”出光”が、中近東の歴史的文化を専門に研究する場として、

また その成果を公開する施設として、1979年に開館した博物館である。

そんな所で コーヒーの展覧会を? なんで? なのだが、

ブラジルやジャマイカなど 中南米のイメージが強いコーヒーは、

じつは 中近東が起源の飲み物なのだそうだ。

エチオピア伝説とイエメン伝説の 二つの説があるが、

どちらにしても 15世紀に アラブ珈琲 や トルコ珈琲 として飲まれだしたのが始まり。

そんなもんだから、コーヒーを淹れる道具類が 妖しいほどに エキゾチックなのである。

5年程まえから 生豆を自分で焙煎している我輩としては、興味しんしんの展覧会であった。

会期は 9月25日(日)まで。 震災の影響で 金・土・日・祝日だけの開館で開催中。

サブタイトルは ”中近東、ヨーロッパ、そして日本”。

そう、日本、コーヒーと日本の係わり。 気になりましょう?

これは 次回の お楽しみに。

2011.7.19


先月末の日曜は おとなり伊勢原市の「第16回いせはら市展」の最終日で、

前期・後期に分けて開催された 全4部門 合同の授賞式があった。

「陶・工芸部門」の審査を担当しているので 審査講評発表の役があり、

また 終了後の審査員仲間との 駅前で一杯の楽しみもあって、列席した。

式典は 午後1:30からで、少しまえに会場に入ったが・・?? なんか、例年とちがう・・?

パタパタパタパタ・・・!? ん〜? あ そうか、節電でクーラーが止まっているのだ。

みなさん 入口で渡されたパンフレットを団扇がわりに パタパタなのである。

やれやれ と 席に着くなり 汗が ドッ!と噴き出る。 で、ぼくも と ばかり パンフでパタパタパタ・・。

シャツのボタンを 一つ 二つ と外し、もう だらしないったら・・・、もう ぐにゃぐにゃ。

が、まぁ、しかし さすがに 式典開始と同時にクーラーが入って、

どうにか 僕も それ以上 見苦しい姿を晒さずにすんだ次第ではあった。

市長から次々と賞状、記念品、花束が授与され、さて 審査講評の順番がまわってきた。

「 そもそも 工芸は、近代になって 西洋から ”芸術 ”アート という観念が輸入されるまで、工芸が 美術そのもの でした。

それは すなわち 私たち日本人の暮らしに密着した美術であり、知恵と工夫のうえの美術でした。

夏に涼しく、冬を暖かく、と いう 暮らしに根ざした 美術 であったはずです。

電力に そういったものを 丸投げしてしまった 現代の美術・工芸とは、昔と どこが どのように 変化してしまったのか。

先人たちの 知恵と工夫 を、今 もう一度 検証して、そして 学び、後の世に伝えてゆくという、

そういう 美術・工芸 の制作を こころがけて まいりましょう。 」

会場に入る前に 準備していた 講評の内容を すっかり変更して、 こう お話しした。

2011.7.6


町田市立博物館にて 7月3日まで開催中の 「”美在掌中”美は掌中に在り中国の小さなやきもの」展に行った。

タイトルにあるとおり、手のひらに収まる珠玉の中国古陶磁を集めた展覧会、

180点余りの展示のほとんどが一個人のコレクションだ。

もう退職されてるが、新聞社の文化企画部で永く活動し 大きな展覧会をいくつも手懸けられてきた方の所蔵品である。

数年前に知己に預り 展覧会レセプションやシンポジウムで何度かお会いしているが、

今回は陳列された品々を前に いろいろなお話を伺うことができた。

中国における”小さなやきもの”、つまり小形製品とは 実際に使用する容器や子供の玩具もあるが、

大半は お墓の副葬用器、死者と共に葬られた品々、だから 要するに盗掘品なのである、これらは。

その盗掘の話が おもしろかった。

現役時代は 展覧会の企画準備で 中国各地の博物館へ所蔵品を借り受ける交渉に かなり通ったそうだが、

訪ねるたびに耳にしたのが 盗掘団と 日本でいう警察である 公安当局との攻防のエピソードだったらしい。

まぁ 盗掘は犯罪であるし 中国では死刑ともなる重罪だが、盗掘犯の取り締まりによって

新しく発見され 考古学調査が行われる遺跡もあるようで、功罪諸刃の行為であるのも 又おもしろい。

しかし、中には 博物館そのものを狙う輩もいるそうで、そうなると盗掘団でなく れっきとした窃盗団である。

陝西省 扶風県の博物館での話がすごかった。

そこでは 度かさなる盗みに手をやいた公安は、博物館のまわりを鉄条網で幾重にも囲い、

夜間は軍用犬ドーベルマンを何頭も放し、銃を装備した守衛まで配備した。

が、しかし、窃盗団は なんと100メートルも離れたところから穴を掘って まんまと所蔵の一部を盗み出したのだ。

すると悔しがった公安サイドは なにくそと、博物館の敷地の四辺にトンネルを掘り、その四隅にマンホール状の集音装置を作った。

外部から穴を掘る音がしないかどうか、昼夜を問わず 蓋を開け 耳を澄ます公安の姿には驚きを超えて笑ってしまったそうである。

やっぱ、中国って、・・・、すごいなぁ。

2011.6.15


あれは 一月終りの夕暮れ時、

仕事場の窓のそとに   山から下りてきた人が しばらく佇んでいる様子だった。

陽は尾根に消え、冷え込んでくる時間である。

はて? と、出てみると、若い女性が じっと 窓を見ていた。

コンニチワ、と 声をかける と、そのひとは ふっと 我に返ったように振りかえり、

「 あんまり ここに映ってる 影が可愛くて・・・」 と、微笑んだ。

それは 窓辺の棚に置いた 東南アジア陶器の小物と 自作の器に山芋のツルの枯れたのや、

拾った烏の羽やらを挿したものたちなのだが、なるほど 影が面白かった。

彼女は イラストレーター だった。

その日は 春に発行を予定している、イラストによる 山のガイドブックの取材で、

鍋割山から塔ノ岳と まわり、そして 下山してきたところであった。

 

「 山歩き イラストブック 」 羽田野由紀子 (ネコ・パブリッシング社) は 発行され、

今、 書店の ガイドブック コーナーに 並んでいます。

ここで 失礼いたしまして、羽田野さんのブログから ちょっとだけ 立ち読みしちゃいましょう。

表紙(カバー)   http://livedoor.2.blogimg.jp/hatano_techo/imgs/4/4/4402ee52.jpg

鍋割山              http://livedoor.2.blogimg.jp/hatano_techo/imgs/e/8/e87a2408.jpg

鍋割山イラストマップ には、右の方に 僕と飼いねこ・レオが 登場してますよ。

右上の記事には 先代ネコ”みゃー”の 恋物語も書かれているのですが、さすがに ブログ画像からでは 読めません。

ぜひ 書店にて お手にとって、 できれば お買い求めください。

( ところで 羽田野さ〜ん、マチガッテンヨー、克堂窯じゃないよぉ 克童窯だよ〜ん。 )

2011.6.1


上の写真を見て これが何処か すぐに分かる人は、きっと少ないことと思います。

まずは 地元のひとか、で なければ 相当の やきもの好き。

こたえ は、通称 「セト・キャニオン」

愛知県 瀬戸市、窯業地 瀬戸焼の原材料を掘っている 採土場なのであります。

すごいでしょう? まぁ 規模は比較しちゃいけませんが、グランド・キャニオンに見立てて そう呼ばれているんです。

世界的観光地、米国アリゾナ州のグランド・キャニオンが 壮大なる自然の営みが生み出したものだとしたら、

こちら セト・キャニオンは100%人為的産物。

手の中でボロボロと崩れる土くれから 美しい陶磁器を作り出してきた 錬金術師たちの夢の爪跡です。

でも、でかい! シャッターを切ったこの場所は はじっこから ちょこっと入った所、

だから、全容は まったく掴めず グーグルの航空写真をみると呆れるばかりなのです。

果て知れぬ広さ、深い谷の底には 黄色いブルトーザーが まるでキャラメルのオマケのように小さく見えています。

ここの土が いったい どれほどの陶磁器に生まれ変わったのか・・・

そう、瀬戸焼 以外の各地の陶磁器をひっくるめて 「セトモノ」という言葉ができたほどだから・・・

それは 天文学的な数、 まるで無限。 1千数百年 掘り続け、 今なお尽きぬ埋蔵量。

春風が きもちいい 青空の下、 やきもの屋の聖地 セト・キャニオン に立ってきました。

2011.5.16


 なんとなく 疲れたような、おっくうな日々が続き、ここらで リフレッシュせにゃいかん と 温泉に行ってきました。

うちからだと 箱根、湯河原、熱海は 車で約1時間、近いのである。 で、今回は 熱海をチョイス。 

ゆったり のんびり お風呂に入って 精気を養ってから、 ん〜、もう いっちょ ダメ押し的 元気策がないものか なんて。

パワースポットとか無いかねぇと フロント・ロビーの観光案内を覗くと、 おぉ、あるではないか!!

キャッチコピーは ”森の精気から元気がもらえる、伊豆半島の巨樹・巨木に会いに行こう。”

ふぅむ、 どれどれ? 見れば すぐ近くに 日本 第2位を誇る巨木があるという。 ほぉぉ。 そして コメントがイイ、

”巨木は地球上で最大かつ最長寿の生物です。 昔から 「天から神霊が巨木を伝って降りてくる」 と言われ、

巨木の多い 鎮守の森 は聖域視されてきました。 巨木に出会う旅は悠久の命に触れる旅です。”

にゃ〜るほど、ん、 まっこと そうだ。   

場所は 熱海市 西山の来宮神社、樹回り23メートル、樹齢2千年という クスノキで 国指定の天然記念物になっています。

 巨木測定には”環境省・全国調査基準”が 定められていて、地上1.3メートルでの幹回りの数値によって 順位つけられているそうです。

さて、行ってまいりました。

こんもりとした樹木に覆われた 来宮神社の鳥居をくぐると すぐ右手に、しめ縄の張られた巨木があります。

むぅぅ、と 感激し、まずは かしわ手を打って お参りを。 と、横の立札に なにやら・・・

木のまわりを 1周すると、寿命が一年延びる、と書かれています。

そりゃ ありがたいと さっそく回りはじめ、木の裏側まで行くと 又 立札が、・・・

それによると この木は 来宮神社 2番手のクスノキで、全国NO2の 大クスは 階段をのぼった本殿の裏とのこと。

ぬゎんだ これじゃないのか、と さっそく そちらへ。  

で、 いゃ〜 すごかったなぁ、ありゃ。  皆様も機会があれば ぜひ 御覧くださると よろしいかと。

なんか、とにかく すごいんです。 立派とか、堂々とか、そんなものは 超越してます。 ぐねぐね、どろどろ・・・、

ちなみに こちらの 大クス も、1周で寿命1年延長 とのことで、 どうも クスノキ1周1年システムは 太さに無関係のようです。

社務所では 大クスの葉を そのままラップした お守り 兼 しおり が 50円にて販売されていました。

2011.5.1


窯だより バックナンバー

2011年 1〜4 月


窯だより に戻る