窯だより バックナンバー 2011年 9〜12月


            

先週は 信楽、大阪、京都、長野、山梨 と、ご無沙汰しっぱなしだった所への ご挨拶や、

見そびれていた展覧会、関東には回らない展覧会など、全部ひっくるめて 師走らしく走り回ってきた。

車のトリップメーターは 軽く 1千kmを超え、長野では 雪に降られ・・・、

あ、 東京も 雪が降ったと ニュースで見たっけ、大阪で・・。

そうだ、 あの日は すっごく寒くって 牡蠣鍋を食べたんだっけ・・・。

淀屋橋に浮ぶ 舟の中で・・・、  水面に映る 街の灯りが きれいだったっけなぁ。

創業90年、大正時代から 橋に繋がれたままの舟は、少し傾いてて 座りにくかったけど、  雰囲気 あったなぁ・・・。

ずーっと ずーっと まえから、 入ってみたかった 「かき広」 で、 

ついに 呑むことが叶った 今年の終り・・・、

おおきに、 ごっそさんでした。

2011.12.15


11月26・27日、紅や黄に程よく色付いた 根津美術館で 今年度の東洋陶磁学会の大会が開催された。

東洋陶磁学会は、年間 東日本と西日本に分かれての数回の研究会と、年一回 全国規模の2日間かけての大会がある。

大会は その都度テーマが定められ、関連する地方がある場合は その地で開催される。

基調講演から始まり 10名程が研究発表を行い、その質疑応答が交わされる形式。

今年のテーマは 「東洋陶磁研究の100年を振り返る」(東洋陶磁史はどのように語られてきたか)、

東京での大会は 4年ぶり。 ”東洋陶磁研究”自体が 研究の対象というのも、時代なのか おもしろい。

僕たち つくり手サイドから見る 古陶磁観と、研究者たちの そのアプローチは 若干 差異があるのだが、

それが また 新鮮な刺激でもあり、作陶のインスピレーションになったりするから 楽しい。

この時じゃないと なかなか お会い出来ない 遠方の方々との交流に、うれしい 2日間だった。

2011.11.30


松屋銀座での 「中島克童 作陶展」 が、先週11月8日に終了いたしました。

会期中は 連日盛会の個展となり、あっという間の一週間でした。

今回は、灰釉の”縞ノうつわ”、青磁による”瑠璃ノうつわ”、釉彩の”彩ノうつわ”の 3種の構成。

釉彩は初めての出展で、ろうけつ染めみたいな方法を使います。

陶芸にも 昔から 抜蝋・蝋ヌキ という伝統技法がありますが、彩ノうつわは より染織的なもの。

”遊びのギャラリー”という名のスペースにマッチしたのか 思いのほか好評、

これから どう展開できるか 楽しくも 難しい宿題も。

さてさて、なんといっても 御覧いただくのが 明日からの作陶の糧、

これからも どうぞ 宜しく御願いいたします。

2011.11.15


11月2日の水曜日から 松屋銀座での 個展が始まります。

松屋での作陶展は 今回で8回目、早いもので 初回から もう14年の年月です。

会場は 7階・美術フロアの 同じ あの場所なのですが、

始めた頃の会場名は「アート ギャラリー」でした、その後「美術サロン」と 改名、

そして 今回は なんと 「遊びのギャラリー」 です。

そのつど 会場名に 相応しい 作品と展示を求められてきましたが、

ついに 「遊びの・・・ 」 です。

さぁて、どうなることで ありましょう。

みなさま、 秋色の銀座に、遊び心 をお持ちになって、遊び半分 に、遊びにいらして下さい。

11月8日の火曜日まで。 全日程、在遊?いえ 在廊いたしております。

2011.10.31


このまえ ここに書いた 源氏物語、その後 なんやかやと忙しく

やっぱり 仕事場の片隅に 積読(つんどく)状態に陥りがちの このごろである。

長丁場になるのは 覚悟のうえだが、この分だと 源氏を味わう手がかりも掴めぬまま ちびちびと読み進み、

あとで ”あぁ、こう読むべきであったのか”などと 後悔しそうで心配になってきた。

はて、どうしたものか? 無い知恵を ムリに絞ると、

そういや 小林秀雄の講演CDに 源氏論があったっけ、 と 思い出した。

こういうことには ちゃっかり ずるがしこいのである。

どっかで見たぞと 記憶をたどり 新宿ジュンク堂書店を覗いてみると、 オー やっぱし有るじゃん。

「小林秀雄 講演[第五巻] 随想二題−本居宣長をめぐって

随想二題 とは ”宣長の『源氏』感” に ついての二題なのだ。

昭和47年の名古屋、52年の大阪の講演を 2枚のCDに収録してある。

さっそく買って帰り 中高生時分の アンチョコ・虎の巻 を開く ドキドキ感をもって 拝聴 ・・。

江戸後期の国学者 本居宣長は「古事記伝」で知られるが、処女作は”源氏論”なんだそうで

その宣長の 源氏感から見た 小林秀雄の 源氏論 といった講演内容だった。

いつものごとく 魅力あふれる語り口に ぐいぐいと引き込まれ 一気にCD2枚を聞き終えると、

ん〜、なんとなく 叱られた気分に ・・

本の読み方に 解りやすい 便利な 読み方など無いのである。 小林先生は次のように おっしゃっていました。

「意味を汲むことを急がないのです、ゆっくりと読み味わい、自らが式部と出会うこと、

式部の心ばえを知ること、もののあわれを感ずることです。」  なのだ。

そして 「式部の語りを、創作を、その努力を、 自分が 源氏を読む努力とを 重ね合わせることです。」  なのだ。

いや〜、心にしみる すばらしい講演だった・・。

もう、 何回 聞いたことか・・・、

が しかし、 源氏は いっこうに 進んでいないのである。

2011.10.19


日本橋三越本店で開催されていた「第58回 日本伝統工芸展」が、10月3日に終了。

これより 全国11会場を巡回となりますが、私の作品が陳列される 会場・日程は『予定のページ』に入れてありますので、

どうぞ そちらの方面の皆様、お時間ございましたら よろしく御高覧ください。

で、10月3日は 展覧会 終了後の片付けに行ったわけですが、

いつものごとく ひと汗かいて お疲れさんの、乾杯となりました。

まぁ しかし、毎度のこととはいえ 展覧会というものは、準備ができたといっては乾杯、

始まったといっては乾杯、研究会・懇親会で乾杯、そして 終わったといって・・・、

で、それじゃ あんまり・・、と 後ろめたく・・・、

大概 美術館めぐりなどして 一応 身を清めてから?帰宅するわけでございます。

今回は 近美工芸館の『グェッリーノ・トラモンティ展』に、  ・・・チケットを戴いたからですが。

副題に”イタリア・ファエンツァが育んだ色の魔術師”と あります。

ファエンツァという町は 日本でいえば 瀬戸とか有田、イタリアの歴史ある陶郷です。

しかし、さすが イタリア! 明るい というか ハデ というか・・・、 ん〜 世界は広ろうござんす。

国際陶芸展やら 国際交流展やらで 世界はひとつ のように いわれてますが、

人は いろいろ、 男も いろいろ、 女も いろいろ、 世界はいろいろ なんだなぁ〜!

陶芸も いろいろ、 グローバリズム は ローカリズム 有ってこそ、と 。

いや、ローカリズムこそ グローバルなのかなぁ・・、 ・・。

2011.10.6


12日の夜は ”十五夜”、 中秋の名月を 楽しんだ。

一年中で この夜の月が 最も 澄んで美しいとされている。

ここ 丹沢の 今年の お月様は、程よく流れる雲が 見事な演出をしてくれて、 いつまでも 見飽きぬ 舞台となった。

時は今、まさに秋である。 月明かりに浮ぶ 萩の花、そして 虫の声、涼やかなる 夜の空気。

夏は 終わったのだ。・・? いや、まて、

このところの 思い出したかの、残暑の日々。 熱中症に注意だぁ? んむ〜・・、

と、考えてみるとです、ハッ!!、 思い出した。

夏の初めに買った 花火、 なんだか やりそびれたままであったのである。  さっそく 庭に持ちだして、

花火・月見・花火・月見・花火・・・、と。

瞳孔の絞りぐあいに 苦労しつつも、 夏と秋を いっぺんに 楽しんじゃいました。

一句、

名月や なごり花火に 虫の声

なんちゃって。

2011.9.15


この夏は 「源氏物語」 を ちびり ちびり と、読んでいる。

杉並の生家に行った折、今は遠方で暮らす姉が蔵した 若かりし頃の書棚で見つけたのだ。

なんとなく 全十一巻の 1冊を手に取ると、装丁が すこぶる上品だ、

それもそのはず 題字・装丁が 安田靫彦なのである。

これは これは と、本を開くと 各節ごとの挿画陣が 奮っている。

奥村土牛、福田平八郎、堂本印象、山口蓬春、小倉遊亀、山本丘人、前田青邨、他々・・・、と。

思わず のけぞる面々なのだ。 スゴイッ!!  これだけで 俄然 読む気になってしまった。

昭和39年 中央公論社発行の、 谷崎潤一郎 「新々訳 源氏物語」 である。

新々訳、つまり 谷崎は 三度も 源氏物語の現代語訳をしているわけだ。

なんでも もう一回やりたいと言い残して 亡くなられそうで、そのことにも興味を覚える。

付録としてつく 8頁ほどの刷り物に、日本文学の研究者 ハーバード大学教授ハワード・ヒベッド との対談があり、

”ことば”を訳す難しさを お互い語っているのだが、それが この本  源氏物語の輪郭を伝えているように思えた。

現代語訳にしても、外国語訳にしても、翻訳ということにおいては 共通するところも多い、

元の作品と どう向き合うかにより、訳後の作が 変わってくるのは確かであろう。

谷崎は、この作品「源氏物語」を 平安期の女性が作った写実小説である、という点に

最も重きをおいて訳した、文学的翻訳としているのだそうだ。

それと もうひとつ、二人の会話のなかに出てくる 谷崎の光源氏観が また面白い。

「・・・私は光源氏という人間は、あまり好かないんです。今度 一ぺん、それを書いてみようかと思ってるんですがね・・・」

まぁ、現在、他の 読みかけの本も 幾つか抱え、まさに ちびり ちびり なので、

いつ 読み終えるか・・、読み終えることが出来るのか・・、見当は つかないのでは ある。

2011.9.2


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2011年 5〜8 月 


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