窯だより バックナンバー 2013年 1〜4月


  

13日に 茅ヶ崎・俊 の個展がスタート、月火が休廊なので まだ二日だけですが

たくさんの方に お出でいただき 楽しい会話に花が咲きました。

やきものの話が ひと通り済むと 話題は やっぱり食べること、前回 書いた”生しらす丼”です。

シラスは1月から3月が禁漁なので、これまでの僕の個展会期では食べることができなかったからです。

カタクチイワシの稚魚であるシラスは、四国や紀伊の沖で生まれて黒潮に乗り 遠路はるばる相模湾にやってきます、

そして 温かな湘南の海に しばしとどまり成長するのです。

解禁になったばかりの シラス漁、 生しらすは ”いつ、食べるか・・”、 「 今 でしょう!」 なのであります。

どこのお店がいい?と 聞かれるので、ここで ワンポイント・アドバイスを。

どのお店でも美味しいものは美味しいんですが、店が漁船を持つ”網元系”は3軒、

「網元料理あさまる」、「網元 萬蔵丸」、「しらすと地魚・快飛かっとび」です。

皆、駅からちょっと離れた柳島海岸にあるので アクセスは車の人向き。

電車の人にお勧めは、なんと言っても 駅ビル”茅ヶ崎ラスカ”6Fの 「快飛かっとびラスカ店」。

早朝漁に出た 網元北村水産の「快飛丸」から、その日水揚げされた獲れたてのシラスを そのままお店に直送。

だから、不漁時は すぐ売り切れになっちゃうそうですが、いま現在は豊漁、

めっちゃ 海が荒れてる日は別として、美味しい”生しらす丼”が 頂けるのでございますぅ。

じつは、僕も 個展初日の昼食にて。

うへへへ・・、 うまかったぁ〜、 ぷちぷちだよん。

2013.4.16.


早いもので もう4月、茅ヶ崎・クラフトショップ俊の個展まで あと僅かです。

これまで ずっと1月か2月に開催してきましたが、今回は昨年秋に大阪島屋がありました関係で、

登り窯の窯焚きが遅れ 4月にしてもらいました。

まぁ そんなことで、いつもながらの会期寸前の窯焚き。

”失敗は無しよぉ”の ヒヤヒヤドキドキの窯出しは なれっこ とはいえ、

窯の封を切るまでの数日間は 夢見の悪いこと マックスなんでありました。

さて、個展のタイトルは 「窯変」 。

様々な化粧泥を掛け合せ、登り窯の炎に委ねた”スリップ・ワールド”です。

しらす漁が解禁になった 春の湘南に、生シラス丼 なんぞをついでに

足を お運びいただけたら 幸いなのでございます。

会期は、4月13日(土)から28日(日)。月・火が休廊で、私めは 土・日に在廊です。 

予定のページに詳細あります、 よろしッくです。

2013.4.2.


きのう、東京での桜の開花が告げられた。 今年は ずいぶんと早いそうだ。

そういえば、うちでも 登り窯の うしろにある豆桜が 先週に咲き始めたが、去年より半月も早かった。

ここは 標高が海抜333mと 東京タワーの てっぺん程あるので 染井吉野は まだ先のことで、

豆桜が終わってからが染井吉野、そして枝垂桜、そのあと八重桜と、

我家の7本の桜は 次々と五月の声を聞くまで楽しませてくれる。

だから 僕は よそへ花見に行くことも無いし、人ゴミにストレスを感じることも無くすむわけだ。

ところで、それぞれ どの桜も 満開を迎えるとき 不思議な現象を起こすことを ご存知だろうか。

それは、無音・・。

まわりの全ての音を 吸収してしまったかのような、静寂の世界を つくりだすのだ。

でも、 これは ”満開” が 必須条件。

そして、この楽しみを奪う、最大の敵は 風、強風 なのである。

しかし、今年の春は なんと大風の日が多いことか・・・。 明日の予報も ”春の嵐” とか、・・心配なのである。

平安の歌聖、西行の ”桜狂い”は皆の知ることだが、風に散る 桜を夢にみて詠んだ歌が 残されている。

春風の 花を散らすと 見る夢は  さめても胸の さわぐなりけり 」

さすが、願わくは 花のしたにて 春死なん・・・・と歌った 西行さん、”そうとう” ですねぇ。

2013.3.17.


京橋にある 繭山龍泉堂での 六田知弘 写真展 『 石の時 宇宙との対話、祈りのトポス 』 に行った。

トポスとは ギリシャ語で ”場所”。 時空を跨ぎ、世界各地の石を礎材とした祈りの対象を、

モノクロームのフォトグラフで切り取った写真展だ。

そういえば フォト Photo も、ギリシャ語で 光の意のPhosから生まれた言葉なのである。 石 と 祈り ・・・、

案内状の挨拶文に、 ” 石。 原始、 それは人が宇宙と対話するために欠かすことができない道具であった。

〜中略〜 石は永遠に限りなく近い存在として祈りの空間を形作った。

石。 宇宙の中では限りなく無に近い存在でしかない人間は、それを通じて祈りの行為を知った。” と、ある。

たしかに、人は いにしえより 世界の至る所で 石と係わり、石に 神を見、仏を思い、祈りを捧げてきた。

各地の古代遺跡、西欧のロマネスク美術、アジアの石窟、仏教遺跡、等など数限りない。

濃密に彫り込んだものもあれば、一本の石柱を立てただけのもの、自然にある只 丸い石。

六田さんは、今までに 国立西洋美術館での写真展をはじめ 精力的に活動され、龍泉堂では4回目。

きのう初日の夕刻、オープニング・パーティーに誘われ 同席させて頂いた。

ファンの皆さん、古美術愛好家に加え、美術館 博物館の研究者が多数 集まって、楽しい ひとときであった。

会期は、3月9日(土)まで。 会期中無休、入場無料。

繭山龍泉堂は、日本、いや世界屈指の老舗古美術店。

展覧会作品とともに、古美術品の陳列もしてありますので、あわせて この機会に 敷居の高い古美術店に、ぜひ。

2013.3.1.


山里は 冬ぞ寂しさ まさりける

人目も草も かれぬと思へば

百人一首の歌のひとつですが、今 ここは まさに この世界。 丹沢の冬は とても静かです。

平日だと我が陶房から500米圏内に僕以外の人が居るのは、朝夕 登山者の靴音が通り過ぎる時だけ。

その時間を全て足しても一日をとおして1時間に満たないでしょう。

「 山里は都と違って、とりわけ冬が寂しさの、まさって感じられることだなぁ。

訪れる人もなくなり 草も、 すっかり枯れはててしまったと思うとねぇ 」

と、歌う作者は、源 宗干(むねゆき)朝臣。 光孝天皇の孫で、それも第一皇子・是忠親王の子なのですが、

なぜか皇族から臣籍へ下ろされ、官位も低く 不遇の生涯を送ったそうです。

我が身の境涯と冬の閑寂を合わせ詠んだ歌だ、という人もあります。

又、いや そうではない、むしろ そのような山里の 閑寂な楽しみを歌っているのだ、と解する人もいます。

むぅぅ・・・、 さて どうでしょう。

位は低くとも、世事にわずらわされず、悠々閑々たる時を過ごすことを楽しむ、かぁ。

・・・ なんか 分る気もするなぁ。

2013.2.13


今年の僕の年回りは 前厄なんだそうで、知らずに通り過ぎれば どうということはないのだけど、

制作の最終段階を火に委ねるという 不確かな職業上、やっぱ 知ってしまうとねぇ・・、てなわけで 厄払いをしてきた。

東京・杉並の大宮八幡宮。 近ごろ パワースポットなどとされ テレビに出たりしているが、じつは 僕が生れ育った地元だ。

オギャーと産まれて、ここの神主さんに名前を付けてもらい、その老宮司が園長を務める幼稚園に通ったのである。

ここ丹沢からだと ちょっと遠いが、できれば所縁のある神社で と思うし、

たまたま 三越で 有田の今右衛門さんと 笠間の福ちゃんが 個展中だったから、

久しぶりに お話しでもと 重い腰が持ち上がった。

その日の大宮八幡は 先日の雪が 参道の脇に残り、冷たい空気に 身は引き締まる。

ずいぶんと立派になっていた 本殿へと上がると、 ドォッーン と 身を揺るがす 太鼓の音が響いた。

現れた 宮司さんは まだ若い。 僕の名付け親からだと 何代 下がったのだろうか・・・。

集団生活の苦手な 僕は、幼稚園に行くのが とても 嫌だったことを ふと 思い出した。

2013.1.31.


先週のこと、ラジオを点けたまま ロクロをしていると、ラフマニロフが流れてきた。

僕の好きな 「ピアノ協奏曲 第2番ハ短調・作品18」 だ。

こう書くと なんのこっちゃ?となるが、副題「秋雨に煙る抒情」。 だいぶ前になるが、

イギリス映画「逢びき」に使用された曲 といえば 映画音楽として知る方も多いはず、

僕は アシュケナージ1972年のレコードで いつも聴いている。

が、ラジオからのピアノは それとは趣を異にして、ダイナミックなスケール感があった。

ふぅん、誰だろぉ・・・。??   そして、番組最後の曲紹介を聞いて おどろいた、

「ピアノ演奏は ラフマニロフ・・・」、 えッ? 自演録音レコードが、有んのぉ〜!?!

長年 聴いていながら、迂闊にも この曲の背景というものを 何も知らずにいたわけだ、

作曲されたのは 100年以上 昔だけど、ラフマニロフが まだ若い頃で、彼は ピアノ演奏者としても高名だったのである。

あぁ〜、そうかぁ〜、もっと前の サラ・サーテだって 自演盤の チゴイネルワイゼン が 有るんだから、ん。

アシュケナージの 侘び寂び感 も良いけど、作曲者本人のスケール感も いいなぁ〜。

と、家に帰ってから PCで調べてみて、ちょっと面白いことを知った。

ラフマニロフさん、とんでもない大男で 身長 なんと 2メートル。 一方、アシュケナージさんは 日本人サイズの168センチと小柄。

ただ、やっぱし ピアニストだから 身長のわりに手は大きいほうで、一応 10度。

この場合の”度”は 片手をひろげてカバーできる 鍵盤の範囲を表し、10度は ドからオクターブ上のミまでの白鍵の間隔。

ちなみに、ショパンは11度、リストは12度だったそうだ。 さて、大男 ラフマニロフの手は というと・・・

スゴイッ! まるで 天狗の羽団扇! シ♭の黒鍵まで届く ” 短14度”! おぉぉ〜〜!!

ま、手の大きさは 重厚で変則的な和音を可能にするとしても、演奏全体の姿には関係のないことだろうけどね。

あ、それと もうひとつ、 身体は大きいけど かなり繊細な心の持ち主だったらしく、

この協奏曲を完成させる1901年の 前の2年間は、強度の神経衰弱に襲われ 作曲も演奏活動も不可能だったそうだ。

全曲を覆う メランコリーとペシミズムは ラフマニロフの精神病の結果であろう、と されているんだって。

ふぅん、 そうなんだぁ・・・

2013.1.15


 

2013年 元旦 


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