窯だより バックナンバー 2014年 5〜8月


 号外!! 克童窯がTVに出るぞ!!

8月20日(水) 夜9時からの2時間ドラマ、テレビ東京・伊藤四郎 主演の

”多摩南署・たたき上げ刑事 近松丙吉K『幻の男』” に我が陶房が登場します。

このドラマは 6月下旬にロケが行われたもの。

今回の克童窯は益子の山中にある、華々しい受賞を重ねる 新進陶芸家の工房「夜須窯」という設定。

登り窯の前で失敗作をたたき割るシーン、ロクロ場での札束 舞うなかの殺人、そして警察の鑑識。

と、またまた 殺人事件現場になったわけですが、それはそうとして撮影日は 初夏の日差しのもと、

出演者やスタッフたち皆んな アイスキャンデーを頬ばりながら、和気あいあいの楽しいロケでした。

水曜 夜9時 テレビ東京、たいした時間は映らないでしょうが、お暇でしたら ぜひご覧になってください。

ところで、今春早々に ロケの模様をお伝えした、TBS月曜ゴールデン・浅見光彦シリーズ『壺霊』は

どうした事情か いまだ放映されていません、また予定が入りましたら お知らせいたします。

2014.8.17


先日の四国から日本海へと抜けた 台風11号は広大なアウターバンドを作って、遠く関東にまで暴風豪雨をもたらした。

ここ秦野市にも 大雨洪水警報が発令されたものの、幸いなことに 丹沢山中のこの辺りは断続する驟雨ぐらいであった。

とはいえ 屋根を打つ雨音の凄さに驚き そとの軒先に出て、杉林を駆け抜ける雨を眺めていたら「伊豆の踊子」冒頭の文章が頭をよぎった。

『道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。』

「伊豆の踊子」は 小編ながら、宝石のような美文を散りばめて構成してあり、川端康成の小説能力が遺憾なく発揮されている。

三島由紀夫に言わせると、川端文学は 大作から小品まで その小説技術は まるで

方解石を どんなに砕いても同じ形の結晶に分かれるような、魔術的な普遍性があると・・・。

なるほど。

ところで、先月 7月上旬のこと、この「伊豆の踊子」の草稿に筆をとった一因ともされる 川端の傷心、

初恋の女性から 一方的に婚約を破棄されたという不可解なる悲劇。

その女性、伊藤初代に宛てて書かれながら 未投函のまま残された恋文が、

鎌倉の自宅で発見されたというニュースで、新聞、TV、ラジオ、雑誌、文芸誌 が 賑わった。

とんでもないモノが出てきたものである。

読む方が 顔を赤らめる言葉で綴られた そのラブレターを、こともあろうか NHKニュースはキャスターが朗読、

文芸誌は全文掲載、うちでとる新聞では部分紹介だったが、いやはや 最近のメディアは 歯止めが利かぬようで・・・。

そして 現在、7月16日から開催されている岡山県立美術館の「巨匠の眼・川端康成と東山魁夷」展で

この自筆の手紙を 展示公開中というから、こうなると、もう・・・。

川端先生も 草葉の陰で どんな顔をされていることやら・・・

しかし まぁ、こういうものを 残しておいた 自業自得、身から出た錆び とも云えるわけで、

みなさんも メールの送信ボックスのチェック、くれぐれも お忘れなきよう。に、

2014.8.14


暑中お見舞い申し上げます

中国・四川省、深い山懐に 小さくポッカリと ひらけた草原、

パンダの親子が 悠々と遊んでいます。

・・・、なんちゃって、 ウソです。 近所の乳牛の 放牧場です。

朝早く 放たれた牛たちは、まだ朝露が残る シャキシャキの新鮮雑草を、

ムシャムシャ、モグモグ、 とっても 幸せそうです。

県内に 酪農を営むところは 数多いのですが、夏は暑さで”乳が弱る”時期、

でも ここ 丹沢の牛たちの乳は そんな猛暑でも、高品質なんだとか、納得です。

とは言うものの、日が高くなれば 牛たちも さすがに暑いようで

木陰から木陰へ移りながら、寝そべったり 草を食むだり。

見上げる 空には 揚げヒバリが 声高に さえずり・・・。

あぁ こんな 牧歌的な光景に、 しばし 暑さも 忘れます。

・・・・ん?、 こういう 歌、あったなぁ・・・、??

そうそう、 西行。 山家集に こんなのが・・・

雲雀あがる 大野の茅原 夏くれば 涼む木かげを 願ひてぞ行く

おぉぅ、 この牛たちと ロケーション、似てるなぁ・・・

そういえば、熱海MOA美術館にある”西行像”、なんとなく 牛っぽいぞ!?

あ、いや、西行さん、 ごめんちゃい、そんなこと ぜったいにありませんです。

たいへん 失礼いたしやした。  牛 なんて・・・

2014.7.31


「台北 国立故宮博物院」特別展が、東京・上野の東京国立博物館で開催中だ。

この東京会場は9月15日までで、その後 九州国立博物館へと移動するが、

それぞれの会場での売りは やはり台北故宮 門外不出の”宝玉”、東京展の『白菜』 と 九州展の『肉形石』 である。

どちらも展覧開始より2週間だけの限定公開!

だから その間の入場者数は相当なもので、東京展では10日あまりで10万人を超えたそうである。

入場するのに3時間待ちの行列!

つまり 見たいものが別にある向きは、ぜったい避けたい期間でもあったわけだ。

さて、その『白菜』も 7月7日をもって御役御免、無事 帰国の途につかれたようなので、

そろそろ 僕の仲間たちも腰を上げだした。 お目当ては 北宋・汝窯の青磁 4点。

東京展に陳列されている 台北故宮・皇帝の至宝は全186件、内 陶磁器が20点、その中のたった4点だ。

しかし、北宋・汝窯は 世界に74点が伝世するのみ、台北故宮は21点所蔵し その選りすぐりを展示。

ちなみに我が国 日本には僅か2点が伝世、10年くらい前は3点ってことだったけど・・?、1点、どうしちゃったんでしょねぇ??

あぁ、そうそう、それはさておき、その日本在住の汝窯のうちの1点、それも個人蔵だから滅多にお目に掛かれぬ、

川端康成 旧蔵の小皿 『青磁盤』が、今、同時に見られるのである。

同じ敷地の同博物館”東洋館”の3階の一角で行われている特集展示 「日本人が愛した官窯青磁」展で。

小規模ながら じつに充実した内容で展覧、こちらも合わせて必見なのである。

これから足を運ぶ方は ゆめゆめ お見逃し無きよう、入場料は含まれてて 無料だし!!

2014.7.15


喜多川 歌麿の 『深川の雪』 を観に 箱根へ行ってきた。

タテ2mヨコ3.5mの この大作は、歌麿肉筆画の最高傑作とされる「雪月花」三部作の1点である。

昨秋、長らく行方不明となっていた この作品が発見されたというニュースは、

美術界だけでなく 新聞TVでも大きく報道していたので、記憶に新しい人も多いはず。

いったい 何処で誰が発見したのか? いったい 誰の手に落ちるのか? と 皆が噂し合った 『深川の雪』。

放浪の果ては 箱根・岡田美術館だったわけである。

三部作「雪月花」の 月と花、『品川の月』、『吉原の花』は現在、米国の それぞれ違う美術館に収蔵されるため、

三部作を一堂に並べてなどとは 夢のまた夢。

もし それが叶えば、明治12年以来 135年ぶりとなるのだが・・・。

その 明治12年11月23日、栃木の定願寺における三部作の展観後、雪月花はフランスのパリへと渡る。

そして 月と花 は のちにアメリカへ。雪 一点だけが昭和14年に日本へ帰国したのだった。

しかし、『深川の雪』は 昭和23年4月15日から 銀座 松坂屋で わずか3日間展示された後、

あろうことか、またもや 行方が分からなくなったのである。

したがって 今回の岡田美術館での展示は なんと 66年ぶり、実見できる 又とないチャンスだったのだ。

だが、巨大な”掛軸画”ということもあり、長期の展示は無理があるそうで、

4月4日から始った 今回の展覧は 6月30日をもって終了。しばらく休ませての再展示となるそうである。

で もって、報告が会期が終った後になって ごめんなさいです。次に会えるのは いったい何時??

2014.7.2


関東地方が梅雨入りした 先週の木曜日、夕刻に ちょうど銀座での用が済み、

前々から気に懸かっていた ”バー・ルパン” の扉を 開いた。

中に入ると いきなり レトロな細い階段が地下へと降り、ランプひとつの薄暗い先で 右に折れている。

バーで飲む時間には まだ ちょっと早いのか、降り立った店内に客の姿はなかった。

僕は あの場所を探しながら 奥へと進み、目当ての高椅子に 腰掛ける、

昭和21年の、あの 写真の、バー が、そこに あった。

古びた カウンターの内から、年配の バーテンダーが声を掛ける、

『 外は・・、雨、 だいぶん 降ってますか ?』

「 えぇ・・、かなり・・。 関東は 今日、梅雨入り したそうですよ。」

『 銀座は 雨が降ると 人が動きませんから・・、今夜はお客さんは 少なくて 、きっと 静かでしょう・・・』

「 ・・そうなんですかぁ・・・、えぇ、でも・・、お蔭で 僕は 太宰シートに 座れたんで・・・」

『 ・・確かに・・、それは そう ですね。 ・・。 何に なさいますか・・?』

昭和 21年 11月 25日 夜、写真家・林 忠彦 の撮影した

太宰 治、坂口安吾、織田作之助、無頼派3人の姿が 壁に掛かっている。

「 この晩、太宰は なにを飲んでいたんでしょうねぇ・・?」

『 あぁ、それ・・、太宰のは 下から撮っているので写ってないですけど、

となりの坂口安吾の写真、手に持っているの ショットグラスなんですよぉ・・。

ん〜、3人で呑んでいたんですから、みんな ウイスキーの はずですよ・・ 』

 「 はぁ、・・、 ウイスキー、かぁ・・」

『 あ、そうそう、 写真の グラス、まだ 店に 残ってるんですよ。

太宰たちが 飲んでいた ショット グラス。 そいつで 飲んでみますか? ・・』

タイムマシン の ような、 銀座の穴蔵、 バー・ルパン、

その夜 の酒は、 僕に 最高の 酔いを プレゼントしてくれたのである。

2014.6.14. 


ちょっとしたことに時代の変様を感じることがある。 隔世といったら大げさだが、あー 今は こうなのかぁ と。

じつは コンパスのネジ、今 製作中の作品に彫り模様を入れるカーブ定規が規格にないので、塩ビ板での自作が必要になった。

わりと大きい半径なので 延長脚付コンパスでとないと弧が描けず、40年前の製図セットを引っぱり出したのです。

ところが、あれっ?中心に打つ針を固定するネジが無いではないか。

こんな小さい部品が こんな重要な働きをしていたことに驚いたが、とにかく無いことには仕事にならないのである。

でも まぁ、ちょうど都心へ出る用事があったので、買って来りゃいいや と思ったのでした。

コンパスは KENT製で 当時の超メジャー製図用具ブランド、

どこの画材屋、文具店に行っても 高級商品用ガラスケースの中で輝いていたものだ。

だから、 今 だって ・ ・ ・

まずは 銀座・伊東屋へ。 え? 取り扱いなし? ・・

ふ〜ん 、 じゃ 新宿に移動。 東急ハンズへ 、うっ、取り扱い無しぃ・・

そういや 駅ビルに 画材・いずみや が あったっけ、よしっ。

と、行ってみたら トゥールズ という店名に変って デザイン用具店になっている。 で?取り扱いございません・・だとぉ。

おー、そうだ、紀伊國屋書店のうらに 紀伊國屋画材 が あったじゃん。 行くと、ありゃりゃ 店自体 無いじゃん!

ってぇ〜〜、こうなりゃ ちょっと歩くが、世界堂っかぁー・・。 これで もう 最後だぁー。

KENT は、無いぃ???シェーっ!!!

が しかし この時、傍で聞いていた ひとりの美しき店員さんが、KENTのメーカー 内田洋行が

旧KENTシリーズ製造終了時に最後の修理パーツを納品していたはず・・、と、探し出してくださいまして。 

あー、一件落着。 必要なカーブ定規が作れたのでした。   やれ やれ、めでたし めでたしぃ・・の 巻。

しかし、まあ、ホント 時代は変ったわけで、製図も PCで なのでしょうね。

2014.6.3


横浜・山手、港の見える丘公園内にある”神奈川近代文学館”で、『太宰 治 展』が 4月初旬より開催されている。

先日、横浜みなとみらいホールの「プリマヴェーラ コンサート」に招待いただき出掛けたとき、

駅のチラシで知ったのだが 会期は5月25日まで、はたして行けるかどうか 今、少々あせっている。

太宰作品には 大抵の読者のように、僕も 二十歳ころ すっかり のめり込んだものだった。

バイト先で知り合った ちょっと年上の小説家志望青年から しつこく薦められてのことだったが、

読後の衝撃は かなりなもので、一人の作家の作品を 網羅読みしたくなる意欲を 初めて持ったのが太宰文学だった。

静岡から上京し、安アパートで ペンの夢を糧に暮す その文学青年の自慢は

押入れの 柳行李いっぱいの原稿用紙、それは全て 太宰作品の書写だそうで

物書き の修行にも そんな方法があるのか と おどろいたものだった。

・・・ 今は どうしているで あろうか。

ところで チラシの写真は、昭和21年 太宰37歳、入水自殺 2年まえ、銀座の『バー・ルパン』でのもの。

坂口安吾 ら 無頼派が たむろしたという この ルパン は銀座に今も健在らしいが、

文壇バー とかは 僕にはどうも 敷居が高いというか 肌に合わないというか、苦手。

しかし、昨今の銀座から日本橋の再開発の波は 勢いを増すばかり、懐古を心できる建築物も消えつつある。

そろそろ 勇気を奮って、バー・ルパン に 飲みにいってみることにしよう、か。

2014.5.15.


侘茶の器として 最高の評価を得る”井戸茶碗”のなかに、重要文化財 指定の「筒井筒」(つついつつ)という銘の茶碗がある。

銘の由来は 伊勢物語からと、昔 どこかで聞くか読むかしたが、それが いかなるものかは知らぬままだった。

それが最近、そのことには関係ないきっかけで 伊勢物語を読み始め、その 筒井筒 の歌に出会った。 二十三段47番である。

『 筒井つつ 井筒に かけし まろがたけ 過ぎに けらしな 妹 見ざるまに  

現代訳すれば、「昔 まわりで遊んだ 丸井戸の、上の井戸枠の高さに欠ける背丈しかなかった僕も、

君に長らく会わぬうち 大きく 一人前の男になったと思います」  と、幼な友達の女性に交際を求めた歌。

さて・・、 茶碗の 銘と、どういう・・・ ?

調べてみると、 それには 意外な、こんな エピソードが・・。

この井戸茶碗、もとは 戦国武将・筒井順慶 の所持で、その後 秀吉に献じられ その秘蔵となった。

が、ある茶会で 使用された折り、近習の者が取り落として 五つに割ってしまったのだ。

秀吉は 激怒、本来 打ち首ものである。  茶席の一同に走る 緊迫!

しかし、その時 同席していた 細川幽斎 の機転が、すべてを救った。

それは・・、伊勢物語の 古歌を もじって 狂歌を詠んだのだ

『 筒井つつ 五つに欠けし  井戸ちゃわん 咎をば われに 負ひしけらしな 』

おみごとっ!!  これには 秀吉も すっかり機嫌を直し、茶碗も継ぎ直され、

それを機に 「筒井筒」 の銘が ついたそうである。

ちなみに、この事件の前の茶会記には 元の持ち主の名を使って 「筒井の井戸」と記されているだけで、銘は無い。

「 筒井筒 」は 秀吉 亡きあと、京都・山科の 毘沙門堂に蔵され 現在に至る。

2014.5.2. 



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2014年 1〜4 月