窯だより バックナンバー 2016年 5~8


夏休みでソウルから帰省した娘が サプライズニュースをもたらした。

僕の頭の中にある数多の謎のひとつに一条の光が射すような。

それは上のチラシ写真、韓国ソウルの「国立中央博物館」で開催中の 『 新安沖海底沈没船から発見された遺物 』 特別展だ。

この沈没船は40年前 韓国南部の沖合で発見されたが、各国の陶磁学者が重要視したのは、

この船の積み荷には2万点を超す中国陶磁器が残され、荷主、商品名、数量、日付などが書かれた荷札が付いていたのだ。

そう、まさにタイムカプセル!、制作年代を割り出す貴重な資料である。

それによると、この船は至治3年(1323)6月3日に中国の浙江省・寧波を出港し、日本の博多へ向かっていた。

注文主は京都「東福寺」など 京都、博多の寺院、商人たち。 しかし 途中、インドシナ海で遭難し流され 新安沖で沈没した。

1323年は日本では鎌倉時代末期の元亨3年、中国の至治3年は元時代中期となる。

皆が全容の公開を心待ちにしながら、膨大な遺物の研究調査に 途中で部分的展覧はあったものの、40年の年月が経過していた。

さてさて、ところで何がサプライズなのか?、それはこの”窯だより”6回前の5月17日付、「青磁鳳凰耳瓶」の話。

中国の発掘調査報告書にあったミニサイズの鳳凰耳瓶の謎です。

じつは あの後、知り合いの研究者から 新安沖遺物に有ったはずと教示いただき、実見の機会を願っていたのである。

夢は思ったより早くやってきた。 この特別展の情報を持ち帰った娘に、ソウル中央博へ直接 確認の電話をかけてもらった。

返答は・・・、うおぉ!出展されていると。鳳凰耳瓶は2本存在し 両方ともミニサイズ、と。

あぁ、これは もう、 行くっきゃありません。

すぐさま、9月4日までの会期に ギリギリ駆け込む 航空券をネットでゲットしたのだった。

2016.8.15


ひと月まえの6月末、大切な そして一番の知友を失った。

かつて 僕がこの地に築窯した頃、近所に間借りしてペンを片手に暮らす氏と知り合った、

それからだから かれこれ30年を超す交流だった。

もっとも 近所に居したのは数年間で、そのころは毎夜のように飲み 語り合ったが、

その後 街中に移り、そして郷里の九州へ帰っていった。

想えば 1千キロの距離をおいての付き合いの方が長かったのである。

当初は手紙だったが、文字にすると どうしても自分を造ってしまう、

それよりは 電話の方が本音も出るし、語気による鋭さも又 楽しと、

月に一回の長電話による 定例2時間談議となった。

物書きである彼が語る 人文的世界観、人生論は 時に広く 時に深く、

人間とは、生きるとは、自分とは、を根本に 真理と虚偽を彷徨う 不思議な魅力を持っていた。

そうして、いろんなことを教えてもらった、文学の道案内をしてもらった、思考のきっかけをもらった。

作陶の壁へ しょっちゅうぶつかる僕を 幾度 この電話が乗り越えさせてくれたことか。

今、彼の自慢だった姪御さんが 形見にと送ってくれた 蔵書中の段ボール2箱の本を開き、

過去の語り合いに想いを馳せ、再び 脳裏に焼き直さんと 頁をめくるばかりである。

享年69歳、早すぎた旅立ちは脳内出血。

ついその1週間前に 電話談議をしたところへの訃報に、

これは、夢であれ、と 何度も 何度も、思った。

2016.7.29


『 コピルワック 』 という珈琲を ご存知だろうか。

「 コピ Kopi 」は コーヒーを示す インドネシア語、「 ルワック Luwak 」は ジャコウネコの現地での呼び名である。

つまり、コピルワックは インドネシアで作られている。

先日、京橋の古美術店での用を終えたあと、そろそろ珈琲生豆のストックが少なくなっているのを思い出し、

宝町から地下鉄に乗って 武蔵小山にある友人の珈琲焙煎専門店 『コーヒーロースト・ブラン』 へ回った。

店に入って カウンターに座り、豆選びを始めると。

「あぁ、克童さん、あの豆、入りましたよぉ」 と、

「ぇ?、 あの豆?」

「ほらぁ、あの ジャコウネコのぉ」

「・・・、ぇ、・・、ホント?・・」

もう、ずいぶん前に お願いしていたのだが、とにかく生産量の少ないことと、それに信頼できるルートからの入荷でないと。

と、何れ機会有らばの保留状態となり、すっかり忘れていたのであった。

コピルワックは希少価値が極めて高いことから、「幻のコーヒー」、「世界一高価なコーヒー」とも言われている。

なぜ 産出量が少ないのか、それは他のコーヒーとは異なる なんとも変わった収穫方法によるから。

インドネシアのコーヒー農園では、その熟した果実が しばしば 野生ジャコウネコの餌として狙われる、そう ジャコウネコの大好物なのだ。

しかし、果肉は栄養源となるが、種子にあたるコーヒー豆は消化されずに そのまま排泄される。

現地の農民は その糞を拾い集め、その中からコーヒー豆を取り出し、洗浄、乾燥。

ジャコウネコ腸内の消化酵素の働きや、腸内細菌による発酵によって、

独特の複雑な香味を持った豆、コピルワックは こうして誕生し出荷される。 が、とにかく少ない、だから高い。

香り高く、濃厚で滑らかな味わいが舌に絡み付く”幻の珈琲”は、世界中のコーヒー党の憧れ。

しかし販売相場は時価となり、100グラム60~100米ドルもすることとなるのである。

さてさて、今回 コーヒーロースト・ブランには たった1㎏の入荷、貴重です。

僕が200g頂きましたが、でも、まだ 残りはあるようなので、お求めは お早めに。

ただ、販売は200g単位なので、ちょっと手が出ないけど、味香りはテイストしたいという人のために

ドリップで淹れての 一杯売りも検討中とのこと、興味のある方は ぜひこの機会に。

 珈琲の宝石 ” ウンチコーヒー/Poo Coffee ” を お試しあれ。

2016.7.14


おとといの新聞コラムに「ビートルズ」が来日して明日で50年になる、という記事があった。

1966年、昭和41年6月29日から3日間の公演で6500人の少年少女が補導されたという当時の熱狂ぶりを振り返りながら、

その子たちも今は還暦を過ぎ 古希に向かう年齢である、と後を続けていた。

そう、50年前、僕はまだ小学6年生だったけど、羽田空港に着いた日航機から法被姿のビートルズがタラップを下りるところに始まり、

武道館公演の長蛇の列、そして夥しい日の丸の小旗に送られての出国まで、

新聞テレビの派手な報道が世間を騒がせていたのを よく覚えている。

5才年上の姉は当時17歳で まさに補導年代、進学校で”勉強の虫”みたいな真面目タイプの彼女でさえ、

母を伴い商店街のレコード店に走ったくらいなのだから。

手にして帰ったのが 『MEET THE BEATLES !』 だった。

もうちょっとで売り切れるとこだったと、2人が顔を紅潮させていたのが目に浮かぶ。

その後しばらく経って、熱の冷めた姉から このレコードを貰い受けたのだが、果たしてまだ押入れのどこかに・・・、と 探すと、有った有りました。

日に焼けて古びたジャケットには往時の若かりし4人のポートレート。

破れかけた紙のインナーからLP盤を引き出すと、あぁ レトロな 赤い半透明のプラスチック製だ。

プレーヤーに乗せ、そっと針を落とした。

50年の時を駆け抜けて 『 I Want To Hold Your Hand /抱きしめたい 』 が スピーカーから溢れるように流れだす。

ポール21歳、ジョン23歳、ジョージ22歳、リンゴ23歳 の歌声は、涙が滲むほど懐かしかった。

2016.6.30 


6月11日の夜遅く、23時からNHK‐Eテレで 『国宝・曜変天目▽陶芸史上最大の謎に迫る!魔性の輝きは現代によみがえるのか』 が放送された。

この1時間番組を制作監修したのは、「大阪市立東洋陶磁美術館」の主任学芸員 小林仁さん、

先日 大阪に行った際、このアグレッシブな番組タイトルに因む制作過程を伺っていたので、この日の放映を心待ちしていたのだった。

今さら説明するまでもないと思うが、”曜変天目”とは 中国で南宋時代に作られた黒釉陶器の一種、

漆黒の釉面に大小の星紋が浮かび、そのまわりが玉虫色の光沢を放つ 珍品中の珍品である。

当時の日本から渡った禅宗の留学僧が持ち帰ったとされ、室町時代の足利将軍家に伝わる「君台観左右帳記」にも茶碗の王者と扱われている。

しかし、数伝来する天目茶碗の中に虹彩の星紋を持つ”曜変天目”は世界中にたったの3個、その3つが皆 日本に在って、

東京の「静嘉堂文庫」、大阪の「藤田美術館」、京都の「大徳寺 龍光院」が所蔵、全てが国宝なのである。

昔より 神品とされる美しさに魅せられ、再現を試みる陶工は あまた現れたが成し遂げたものは未だかつていない。

せめて器に割れ綻びでもあれば、断面から内部の状態を知ることも出来ようし、

ほんの少しの試料でも得られれば、科学分析という現代の太刀を振るうことも叶うのだが、相手が国宝となると それは夢のまた夢。

それが常識となっていた中、2010年、小林仁さんは中国・杭州の古美術商で偶然、とんでもないものに出会った。

杭州出土の”曜変天目茶碗片”である。

欠片、かけらと云えど欠損部は四分の一程度で高台はほぼ残存、星紋の発色もトップクラスの輝き、

そして出土場所が南宋皇城の迎賓館跡という生まれの良さ。

衝撃を受けた小林さんは翌年、日中の研究者らと再調査。

翌々2012年には中国側が国際シンポジウムで紹介。日本でも「陶説」誌上に発表し、上の写真がそれ。

そう、断面の観察、試料の獲得も夢ではなくなったのだ。

その時、この今回の番組制作のプロジェクトがスタートしたのだった。

そうして、選りすぐりの科学分析スタッフを整え、再現は亡くなった父の代から 親子二代にわたり曜変天目を追求する瀬戸の陶工が担当。

ついに、いざ中国へと渡り 撮影は開始されたのだった、が・・・、 予期せぬ事態が待ち受けていた。

2016.6.15


まだ5月だというのに その日は真夏のような陽射しで、三条大橋から眺める先斗町の納涼床は夕刻からの賑わいを思わせていた。

ひと月前に東京の旅行社で予約しておいた 先斗町歌舞練場の”鴨川をどり”の公演に急ぎながら、

僕は 陽が落ちたら あすこの川べりの床の隅で、などと頬を緩ませたのだった。

なんて、まあ、随筆っぽい書き出しで気取ってみたが、今年も大阪高島屋に個展打ち合わせに上洛、

大阪へは たった半日の往復だけで 京都に5連泊して寺社めぐりを楽しんだ。

この時期は 春期特別公開や特別拝観が目白押しで、6日間でも足りないくらいなのである。

今回は高野山にも 足を延ばし、奈良はレンタル電動アシストサイクルで鬼のように走り回った。

京都では寺社のほかに 春期展開催中の美術館、博物館、資料館にもと、

かなり欲張りなスケジュールだったが 天気予報が見事に外れる天候に恵まれ、ラッキーな旅であった。

”鴨川をどり”は、春に京都へ行くと4月なら 祇園甲部歌舞練場の”都をどり”と、宮川町歌舞練場の”京おどり”、

5月は この”鴨川をどり”の華やかな飾り門と紅白提灯が京都風情を盛り上げていて、

一度は観賞したいと思いながら当日券は入手不可、前売りで満席なのだった。

で、今年は早々に座席券をゲットしておいたわけである。

そして ついに、美しく楽しい華舞台、艶麗京文化の踊絵巻を堪能したのであった。

2016.6.1


先日 終了した 町田市立博物館『中国陶磁うつくし』展のイベントで、「女性研究者が語る、中国陶磁うつくし」という座談講演があった。

講師3名と司会進行役の4女子は、現在の中国陶磁研究の最前線で論を張るプラチナ・キャストたち、

聴衆も美術館学芸員や陶磁編集者が多く見られ、講演後の展覧会場でまで尽きぬ話しに盛り上がった。

展示照明を消して大窓から入る自然光による青磁色の確認など粋な計らいもあって、話題は上写真左端の「青磁鳳凰耳瓶」(せいじほうおうみみへい)の生産年代へと。

この手の青磁を日本では”砧青磁(きぬたせいじ)”と呼び、中国・龍泉窯の南宋13世紀の産とされ、その潤沢な青色を珍重してきた。

鳳凰の耳が付いた花生は日本に国宝、重文を含む6点が伝来するが、意外にも中国では遺例が少なく、遺跡からの出土も2,3例しかない。

そしてその遺跡自体の年代観も研究者たちの意見が分かれ、シンポジウムも開かれたが決着が付かぬまま今日に至っているのだ。

青磁鳳凰耳瓶は 果たして本当に 龍泉窯の作なのか、南宋の産なのか・・・。

帰宅後、何か手掛かりがないものかと本棚を漁っていたら、1959年の龍泉窯の発掘調査で出土した中に「鳳凰耳瓶」が1点含まれ、

その報告書である『龍泉青瓷研究』が、30年も経った1989年に中国で刊行されていることを知った。

さっそく ネットで「東京国立博物館・資料館」の図書検索をしたら見事ヒット、有るではないか!他の用事に絡めて上野まで出張った。

そして、つぶさにチェック。 すると こうであった。

出土したのは 南宋代の龍泉大窯窯址からで、発掘した窯と瓶、共に写真と実測図が掲載されている、確かに”鳳凰耳”だ、だが どこか雰囲気が違う。

嘴部分は欠損なのであろうが、頭頂部の羽毛の形は 管見で知る限りのどの耳とも似通っていない、胴径と首径のバランスも なにか変だ。

はて?と、実測図の下部に縮尺スケールがあることに気付き、計算してみると 高さが17㎝程である。

現存する鳳凰耳瓶は皆 30㎝前後であるから、つまりは約半分の高さしかないのだ。

台北故宮の所蔵品が高さ25,5㎝と 唯一小振りだが、それに比しても格段に小さい。

さて、南宋龍泉窯址出土のミニ瓶と 現存フルサイズ瓶との関係は どう考えればいいのか、

形態からすれば無関係ではないだろう、しかし釉調から探ろうとも 白黒写真のため 判断不能。

あぁ・・、また 新たな謎が生まれたのであった。

2016.5.17


毎春 横浜みなとみらいホールで開かれる室内楽演奏会『プリマヴェーラ・コンサート』に招かれ、春の宵のひとときを ご一緒させていただいた。

ビオラ、チェロ、ピアノによるトリオで、今回は古典派のモーツァルトで始まり、 ロマン派のブラームス、

そして 近代フランス器楽発展の旗手 サン・サーンス と続き、締めはモダン・タンゴのピアソラ。

音楽史の大河の流れに添う構成で 聴き手の心を 昂揚させる。

ピアソラのハイスピードで情熱的な ラストフレーズの、最後の一音、そして 静寂!

ぼくは 思わず、「ブラボーッ!」 と 叫んだのだった。

満場の拍手、鳴りやまぬ拍手。   ・・・ そして、アンコールが憎かった。

時代を 一気に遡って、バロック、バッハの「G線上のアリア」。

この 優雅きわまる旋律に 昂奮は解かれ、春の宵の優しい幸福感に抱かれ ホールをあとにしたのであった。

ところで 余談をひとつ。 僕の このコンサートに行く時の密かな楽しみが 横浜散歩。

今年は横浜駅から ベイクォーターウォークを歩き 「シーバス」に乗船、

横浜の街を海から眺める プチ船旅を楽しんだあと 山下公園に上陸して、中華街の「関帝廟」と「媽祖廟」を拝観した。

そうして 19:00開演のまえの 早めの夕食をどうしようかと思って、浮かんだのが 中華ではなく カレー、

友人たちが 口をそろえて、ぜひとも、ぜったい行くべし、と推す 白楽のカレー屋だった。

ネットで見ると 超怪しげな、その パキスタン・カレーの店 「サリサリカリー」、 ここでHPのキャッチコピーの一部を紹介します。

”一部の人に理解される”  ”千年前から変わらぬレシピ”  ”水を一切使わない 味付け塩のみ”

”皿の上に母がいる”  ”あなたが来ないと潰れちゃう店”  などなど。 

どうです、行きたくなるでしょう?  ぜひとも 一度、 だって、あなたが来な・・・・、 ひ ひ ひ ・・

え? 味? 美味しいよ~

2016.5.1 



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