窯だより バックナンバー 2017年 1~4


face book  にて写真を主体に近況徒然を気まぐれ発信中。


箱根に泊まって温泉に浸かり 芦ノ湖で釣りを楽しむのが我が家の春の恒例行事、

そして毎回 プラスαのプランをひとつ盛り込むのが通例である。

今年は 837年まえ 治承四年、源頼朝が平家打倒のため挙兵した最初の合戦「石橋山の戦い」の古戦場からスタートして、

大敗を喫したのち脱出をはかった逃避行ルートを辿って箱根へ入った。

頼朝側に駆けつけるはずの援軍が到着するまえに始まってしまったこの戦は、源氏3百余騎に対し敵方は10倍の3千余騎、当然の敗戦。

小田原西の石橋山から山中を命からがら15km落ち延び「箱根権現」、今の箱根神社に。

しかし、そこにも 追手近しと早々にあとにして 真鶴から海路脱出を図り再び下山、途中 湯河原山中の洞窟 「しとどの窟屋」に身を潜めた。

ここは、日本画家・前田青邨の代表作 『洞窟の頼朝』(重文)の題材でもある。

そうして 5日間の逃避行ののち 真鶴より小舟に乗って相模湾を渡り 安房へ上陸、相模国に戻って体勢を整え、時代を変える戦いへと展開するのであった。

ところで、「石橋山古戦場」には 先陣として奮戦しながらも討死し、その勇敢な闘いぶりに平家側からも敬われた

佐奈田与一を祀る「佐奈田霊社」が残り、多くの史跡を見ることができる。

それにしても、「しとどの窟屋」は 古より修験道の場であり、地蔵の並ぶ急坂の杣道を歩くこと20数分、

昼なお暗く 霊気の際立つ ちょっと怖いところであった。

え? あ、 釣果ですか? ん~、聞かんといてくださいよ・・、そう 今回も No fish で~す。

2017.4.17


  

  

ご報告が遅くなりましたが、3月21日に髙島屋大阪店での「中島克童 作陶展」が無事終了いたしました。

お陰様で会期中は通して盛況でしたが、ある日とても面白いことがありました。

髙島屋の開店は午前10時ですが、僕は丹沢の田舎暮らしが身に付いて朝6時すぎには目が覚めてしまい、

朝食後は手持ち無沙汰、よって ぶらりと散歩に出るのでした。

朝からやっているのは黒門市場商店街ぐらいで、店先を覗きながら通りぬけると大抵は寺社へと足を向ける毎日です。

谷崎潤一郎の「春琴抄」、織田作之助の「木の都」の小説に登場する『生國魂神社』は、

黒門市場から国立文楽劇場のまえを過ぎて坂を上ったすぐそこで、格好の散歩コースです。

そんな中、せっかく難波に宿泊しているのだから「源氏物語」でもお馴染みの『住吉大社』にも詣でてみようと、南海電車に数分ゆられました。

美しい”反橋”を渡り、”第一社殿”から”第四社殿”までお参りしてから裏手にある”楠桾社”へ回ると、

なんと沢山の可愛い招き猫が並んでいます。

その愛らしさに 思わず一対のミニ招き猫を求めて戻り、髙島屋に入りました。

美術部スタッフにお披露目するや、それでは古帛紗に乗せて応接テーブルに飾りましょうと相成りました。

それからです、ウソのような 皆が驚く事態の始まりでした、千客万来とは こういう事を言うのかって世界。

これには髙島屋美術部も、「私らも”すみよっさん”にお参り行かなあきまへんなぁ」と、一段と声が明るくなります。

いやいや、まったくです、ホンマほんま。

ですから、会期終了まえには ちゃんとお礼参りに行き、倍返しのお賽銭を投げ 深々と頭を垂れ、

ちゃっかり 次回展の成功まで祈願したのは言うまでもありません。

あぁ、めでたしめでたし。

2017.3.31

個展紹介は 髙島屋ブログ ”It Art ~大阪タカシマヤ Blog~” にて


さて、いざ”大阪春の陣”、行ってまいります。

DMをお送りした関東圏の方たちからは個展成功を祈念くださるお手紙やメールを頂き、もう気合十分の旅立ちです。

して、大阪入りの前に まずは上洛、京都・嵐電エリアへ一泊。

高校修学旅行の時に一目惚れして以来 いまだ思いこがれる、太秦「広隆寺」の弥勒菩薩半跏思惟像さまにお会いして心を静め、

「車折神社」で商売繁盛を、境内にある技芸の神様「芸能神社」にもお参りするという、念を入れた計画で挑むのであります。

てなこって、ほな、行ってきまっせぇ~。

大阪の皆はん、待っとってやぁ~。

2017.3.12


2月も今日で終わり いよいよ3月、髙島屋大阪店での個展まで半月となりました。

このまえよりDMの様子を”予定のページ” にてお知らせしておりますので、

開催日時などチェックして下さった方もいらっしゃると思いますが、それとは別に今回展は高島屋美術部の粋な計らいがあって、

2月26日から6階画廊スペースのガラスケースを使い、10作品ほどの”プレ紹介”が行われているのでございます。

ですから、個展日程の前なら 関西に行くんだけどなぁ、なんて方がおられましたらですね、

もう、ぜひぜひ 髙島屋大阪店6階 美術フロアまで足をお運びくださいませませ。

んなところで現在、私めはメインの展示作品の調整にシッチャカメッチャカ、

あぁ~あれ忘れてたぁ・・・、おぉ~これどうしよぉぉ・・・、と、奮闘努力の日々を送っている克童であります。

2017.2.28


 

1年前、3月の”窯だより”に 静岡県伊豆の国市花坂で、奈良時代の須恵器窯「花坂島橋古窯跡群」を探しながら、

結局のところ見付からなかったことを書いた。

じつは あの後、事前の取材不足を悔やんで国会図書館へ発掘調査報告書を閲覧・複写しに何度か行くうち、

灯台下暗し、前回の「ロウバイまつり」を紹介した松田町で須恵器ではないが奈良時代に、

寺院用の瓦を生産した古代の陶窯址「からさわ古窯跡群」の研究論文に出会った。

この窯は昭和43年(1968)、東名高速道路を建設する際に3基発見、翌年 神奈川県文化財保護課によって発掘調査がおこなわれた。

そして、それから16年後の昭和60年(1985)に、東名高速道路拡幅工事事前調査として再び発掘調査を実施、

窯跡をもう1基と作業場と考えられる広場2面が出土、残存状態が良好な第3号窯が近隣の”最明寺史跡公園”に移築保存された。

窯の規模は、長さ7m 幅2m 傾斜40度の登り窯で、1度に瓦200枚程を焼成できたようだ。

さて、この研究論文は昭和61年(1986)発行の青山学院大学文学部「紀要」の中にあった、

『神奈川県からさわ古窯跡群出土の瓦をめぐる若干の問題について (清水信行)』。

そこには 古窯址の所在位置の地図、地形の特徴、標高などを細かく記述してあった。

ムゥゥ、こうなると、いつもながらの沸き上がってくる古窯址探索熱!!

だが、草木茂る季節は探索不可、じっと我慢、我慢。

ついに 先日、山の冬枯れ時期を狙い 敢行したのだった。

地元 警察署、現地ミカン農家の人への聞き込み捜査を含めて2日を掛け、

首にカメラと双眼鏡、左手にコンパス、右手に地形図を持って、山中彷徨。

枯れ葉に滑り、アナグマの糞を踏み・・・、そして、とうとう 分かったこととは?

第1、2号窯は 東名高速側道ノリ斜面の下に、

第3、4号窯は窯跡名の由来である小沢”唐沢”の砂防工事の土中に埋まっていることであった。

やっぱ、30年も経ってちゃ無理かぁ・・、残念無念・・。

でも、そこからの富士山の眺めは、絶景かな 絶景かなぁ~、

あぁ 遠い昔、奈良時代の陶工たちが 窯を焚きながら見た富士も こうだったのであろうか、と 思いを致した。

2017.2.17


うちの窯場から尾根1本越した となり村、松田町・寄やどりきへロウバイの お花見に行った。

直線距離だと2キロたらずで、かつては山女魚を釣りに長閑な里川を歩いたものだが、

上流域に大きなオートキャンプ場が出来てからは すっかりご無沙汰だった。

ところが先日、仕事場で点けていたラジオで”寄 ロウバイまつり”の話題を聞いて驚き、

そしたら そのあとも 新聞、テレビでも紹介されていて 又々びっくり。

だって、敷地面積13000㎡以上、ロウバイの本数は2万本を超える 日本最大級のロウバイ園だという!

凄いっ、2万本?、寄が?、いつから?、ホントに?

で、お花見に行ってまいりました。

入園料は大人300円、寄特産の売店や食べ物屋さんも出てて、ん~ なるほど これは ”ロウバイまつり” だ。

もらったパンフレットに こうありました、

「寄ロウバイ園は平成18年に荒廃農地を整備し 地元中学卒業生が250本の苗木を植樹したのに始まり、10年かけて2万本を超えました。」

ふ~ん、そうだったのか・・。 そして、ちゃんと” ロウバイ”の説明も、

「ロウバイは、ロウバイ科ロウバイ属の落葉広葉低木です。早春のまだ寒さ厳しい1月から2月にかけて黄色い花を

葉の出る前の枝に多数つけます。花が開くと、あたりは一面、甘い香りに包まれます。

滑らかで半透明の小さなロウバイの花は、蝋細工の梅のように見えたため蝋梅(ロウバイ)と名付けられました。」

いや~、そのとうり。 花は まるで蝋細工、じつに可憐、そんでもって 山全体が甘く香って 黄色に染まっていたのであった。

帰りぎわ、来年には花を付けそうな 大きめの苗木を1本 買い求めた。

2017.2.2


新たな年を迎え早や半月、猛烈な寒波に見舞われている日本列島ですが如何お過ごしでしょうか。

今年の克童窯の正月休みは例年になく品行方正に3元日で早々にお屠蘇気分を切り上げ、

暮に焚いた登り窯の窯出しを4日の日に執り行ったのでした。

え?、4日の仕事始めは普通だ?、まぁまぁ、それはそれとして・・・。

その甲斐あってか、窯神様からのお年玉でしょうか、かつてない妖しくも美しい窯変青磁が出たのであります。

そりゃぁもう感激ものの、です。

3月の作陶展を控えハラハラドキドキの窯開けでしたが、ひとまずは胸を撫で下ろした次第です。

さてさて、そんな幸先いいスタートを切ったかに見える克童窯の平成29年でありますが、

果たして残り11ヶ月半は如何に如何に。

3月の大阪髙島屋、11月の日本橋三越本店、と二つの重要イベントを抱える本年、

皆様のご協力をもって乗り越えて行かんとフンドシを締め直す克童でした。

あ、ウソです、フンドシじゃなくてパンツでした。 ん?パンツって締め直せないじゃん、( ^ω^)・・・

2017.1.16


明けまして おめでとうございます 

平成29年 元旦



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