窯だより バックナンバー 2017年 9~12


平成29年も残すところ僅か2日となりました。

今年は年明け早々の登り窯の窯出しから始まり、3月の大阪高島屋の個展、

所属する日本工芸会の支部展、部会展を挟んで、11月に日本橋三越の個展と、

まずは充実した1年でしたが、この頃 とにかく1年が あっという間と感じられてなりません。

歳を重ねるごとに 1年が短くなるとは、よく耳にします。

その所以について、かつてはフランスの心理学者ジャネの

”時間の心理的長さは 年齢の逆数に比例する” という、「ジャネの法則」が有力でしたが、

最近では ”脳の海馬への記憶の固定にかかるプロセスに関係する” と されるようです。

ま、この話は いずれ又として、さておき 私事ではありますが 年の瀬も押し詰まる中、辛い別れが有りました。

つきましては 新年の御挨拶は差し控えさせていただきます。

皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

2017.12.29


アマゾンでデジタル顕微鏡「Dino-Lite」を購入、なんたって これが超スグレ物なのです。

何を見るかって? 陶磁器の釉面を200倍で観察するのであります。

そこは釉薬材料情報の宝箱でして、具体的には釉中に群がる気泡と結晶の状態を確認するのです。

これが以前の研究書や図録には時折り載っていましたが、科学分析データの方が優先されるようになり「化学組成表」が主役に。

そして最近では「微量元素分析座標」の世界、何%から今や何PPMへ。 着いて行けません。

そういうデータ表や三元座標図って 研究者たちへの貢献度は甚大でしょうが、

僕たち作り手には猫に小判、視覚的情報を渇望するばかりだったのです。

あの 見るものを魅了する古陶磁の釉肌は どう成り立っているのだろう・・・、

あの 潤いある しっとり感は どこから現れるのだろう・・・、???・・。

じつは、科学分析では すべて ”珪酸、SiO2、二酸化ケイ素”に 括られてしまうものたちも、

使用された長石質土石が生み出す釉中の気泡の密度や大小、

熔けずに残った珪石の多角形結晶などが造る”万華鏡ワールド”にこそ美の秘密があるようです。

かつては貴重な資料の一部分を粉砕研磨したのち顕微鏡撮影するという方法で、

とても一般には手が出ませんでしたが、ついにデジタル時代。

PC画面で観察、計測、データ化、保存と 自分流に使えるのは夢のよう、

釉薬づくりに楽しみがまた ひとつ増えたわけなのであります。

2017.12.27


このまえ、京橋の”LIXILギャラリー”へ知合いの作陶展を見に行った時のこと、

観覧後2F会場からの帰りに1Fエントランスに降りた際、そこに置かれた一冊の本に目を奪われた。それは 『染付古便器の粋』。

じつは このギャラリー、今は LIXIL だが 以前の名は”INAX ガレリアセラミカ”、

つまり 衛生陶器イナックス が運営するアートスペースで、関連図書を揃えた書店も併設し、その宣伝見本だった。

「染付古便器」は その昔、富豪の家の便所に使われた超豪華な工芸品、いや、芸術品とも言えるもので、

藍色の絵模様を 細密に コバルト顔料で下絵付けし、釉薬を掛け焼成した 大便器と小便器のこと。

この本は、江戸時代まで木製であったものを 陶磁器で作られるようになった明治期に、

欧州の万国博覧会へ出品する大きな壺や皿鉢などの製陶技術を 存分に発揮して造られた、超絶便器コレクション図録だったのである。

ページを捲るたびに ついつい唸ってしまう・・、うぅ~、む~、おぉ~、なんで ここまで・・・。

そして、便器のみでなく その設置風景もいくつかの写真紹介がされていて、読み進むうち、あることが見えてきた。

この手の便器を備える邸は 複数の便所を設備し、そのうち 客用を最上としている。

そして それは  便器だけでなく、使われている 柱、壁、床、窓の造りまで 全てにおいて。

なるほど そうか、このトイレは 「おもてなし」の究極の世界なのだ。

”もてなす”と くれば、それは飲食による接待、御馳走が頭に浮かぶところだが、

しかし 人間たるもの 摂取と排泄は表裏一体のワンセット。

最高の飲食には、極上の排便を、というわけだ。

ん~、いやはや、恐れ入りました。

2017.12.1


日本橋三越本店での『中島克童 陶展』が11月7日、皆様のお蔭をもちまして盛会のうちに終了いたしました。

会期中は天候に恵まれ、”文化の日”を含む連休もあって沢山の方々にお越しいただき、

作品を前にしての楽しいお話しが出来ましたこと感謝至極です、有り難うございました。

そして もう一つ 楽しかったことといえば、今展のDMに載せた「窯変青磁兜鉢」が、

アイルランドから来日旅行中だった御夫婦と共に海を渡りました。

海外からのお客様には いつも言葉に困るのですが、

たまたま来場していた英語が堪能な高校時代のクラスメイトが通訳に入ってくれて、歓談が叶ったのでした。

お話しによると、その御夫婦のお宅からは海が一望できるそうで、

その海を背景とする窓辺に作品を置いて楽しみたいとのこと。

アイルランドの海岸は、常に風が吹きすさぶ 寂寥たる景観が広がるそうで、その光景を思い浮かべた時、

僕は 今回の鉛板上の作品展示と 窓辺に置かれた鉢のイメージが、シンクロナイズしたのでした。

2017.11.15


いよいよ、日本橋三越本店での『中島克童 陶展』も目前となり、明日には運送業者が作品集荷に来窯します。

展示プランに合わせた梱包も ぎりぎり間に合い、今は台風22号の進路予報に気を揉むばかりです。

ところで、今展の作品展示は 2年前に浮かんだ ある構想から始まりました。

それは、2015年秋に横須賀の”カスヤの森現代美術館”での作陶展の折、

会場から近い”神奈川県立近代美術館 葉山館”で開催されていた「若林奮・飛葉と振動」展。

会場で釘付けにされたのは、壁面に鉛の薄板が貼られただけの作品でした。

鈍色の内に 微かな輝きを秘める鉛シートは重厚でいて奥深く、

音も 光も 時をも 何もかも吸収して、そこに在ったのです。

その時 僕は、鉛板の上に陶磁器 を置いてみたい と 思いました。 ”鉛と陶の対話”です。

『中島克童 陶展』 は、11月1日(水)~7日(火)、

是非とも ご来場くださりますよう 宜しくお願いいたします。

2017.10.29


         

さて、やっと東京での個展のお知らせです。

前々より 予定のページ に 会期・会場 程度の内容を載せていましたが、

日本橋三越本店での『中島克童 陶展』まで いよいよ半月となり、ご案内等が出来上がりつつあります。

会期は11月1日(水)~7日(火)、東京では 4年ぶりの個展です。

オリンピックではあるまいし、思いもよらず随分と間があいてしまったものですが、

久し振りに お会いする方たちとの お話しなどを思うと、胸が弾む心境でもあります。

上に ご案内DMの小っちゃな画像がありますが、

”予定のページ” に もっと見やすい大っきな画像にてUPいたしましたので、ぜひご覧ください。

刷り上がったDMは、今週半ばに発送予定です。そして 会期中は全日程在廊いたします。

何卒ご高覧賜りますよう、宜しくお願いいたします。

2017.10.15


夏の始め頃から、青空文庫で 中里介山の「大菩薩峠」を読んでいる。

もうすっかり秋になってしまったが、まだまだ中途で先は長いのである。

小説の展開は じつに面白くてワクワクしながらの読書だが、

僕が遅読とは言え とにかく とんでもない大長編の時代小説なのである。

それは この作品が1913年(大正2)から1941年(昭和16)まで28年に渡り新聞連載されながら、

あろうことか、作者死亡により未完に終わったという曰く付きの全41巻からなる大河作品なのだ。

しかし、何ゆえ 僕がこの本に手を付けたかというと 友人からのメールで、

「大菩薩峠」の主人公が ドストエフスキー「罪と罰」のラスコーリニコフみたいだと評する人がいて、

介山もロシア文学の衝撃を体感した明治人でなかろうか。仏教の因果の世界に深い闇を感ずる。

という 興味深いひと言からだった。

ふぅん・・・、と 青空文庫で開いてみると、中里介山は冒頭序文に、

この作品は”大乗小説”であり、仏教思想に基づいて 人間の業を描く、と宣言しているのだ。

これに そそられたわけである。 果たして、そうなのか・・・?

しかし、先にも書いたが 僕の遅読、いつ読了できるやら。

あぁ、でも こういうこともあるのだ。

むかし、物理学者で随筆家の”寺田寅彦”の作品に感動した読者が、 直々に その思いを伝えたところ、

寺田は御礼を表したあと、その著作を読むのに どれ程の日時を要したかを尋ねた。

読者が4日と答えると、寺田は憮然として、私は あれを著すのに 何年も掛けたのだ、と言ったそうだ。

ま、それからすれば 僕の遅読も 介山先生の28年を鑑みれば、まんざら 失礼にあたらないだろう。

2017.10.3


じつは前回の続きであるが、入手した磚仏を前にしての坐禅を始めてみると、

つい その造形の魅力に引き込まれて、無念無想は何処へやら、と相成ってしまった。

この仏陀を中心とする世界は いったい何を意味するのであろう?、気になって仕方がないのだ。

そんなことで あのあと国会図書館へ2度も足を運んでしまった。

館内図書検索と閲覧をくりかえし やっと辿り着いた あの磚仏の出自、それは こうであった。

タイ中部のロッブリー出土ということではあるが、この造形はミャンマーのパガン時代(11~13世紀)代表的なもので、

中央に「蝕地印」のブッダ坐像を大きく表し、その左右は上下三段に分けて計六区画を設け、

向かって左下の「誕生」から右上「三道宝階降下」、そして頂部に「涅槃」という七体配置構成で、

下から仏陀を支える二躯は「地天」という女神像。

仏陀の一生を一体造形した「仏伝七相」なるものとのことだった。

なるほど、そうだったのかぁ。 と、思いつつ・・・、

この図書に もう一つ 教えられたことがあったのです。 巻末、総論冒頭の一文、

「宗教美術の魅力はその背景にある歴史の重みを実感することであり、人知を超えた造形の美に惹かれることである。

人々が英知を傾けた遺跡や優れた彫像に出会った時、我々は信心の有無を越えた名状しがたい感動にとらわれる。」

ん~、同感、僕にとって この磚仏には、信心というフィルターは皆無なのである。

坐禅も 写経も、自らとの対峙を主眼としていることに あらためて気付かされた。

2017.9.16


降水日が20日以上も続いた異常気象からやっと抜け出た先週は、真夏の太陽を浴びながら南伊豆で過ごした。

もっぱら伊豆へはサーフトリップなのだが、オマケのようなもう一つの楽しみがあって、

それは下田にあるアジア雑貨店”EN”を覗くことである。

店主のハマちゃんは年3回ほどタイを主に買付けに渡航、

学生時代の専攻は哲学という変り者で、そのせいか中々面白いものを見付けてくるトレジャーハンターだ。

そして 今回 僕がゲットしたのが、タイ中部のロッブリーで出土した13世紀頃の磚仏(せんぶつ)高さ12㎝である。

磚仏とは、粘土を型につめて形を浮き出させ、それを焼成した やきもののレリーフ仏像。

当時のロッブリーはクメールの一王国であったため、ヒンドゥー教から仏教へと変化した経緯によるものか、

中央は仏陀座像だが 周りを取り巻く像はカルラ像のようであったり、舞踏女神像のようだったりと、かなりユニークである。

さて、この入手の目的? 

それは この磚仏を前に置いてね、坐禅を組もうと思ってるわけなんですぅ、へへ・・。

2017.9.4



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