窯だより バックナンバー 2018年 5~8


             

我が家では今年は新盆があり、先日お寺からお盆についての冊子を頂いたのだが、

不思議な縁というか50年前に出会った詩の一節と再会した。

そして、僕は随分な思いちがいをしていたことに気付いたのだった。

それは 小説家で詩人の”高見 順”の「帰る旅」という詩。

当時、高校1年の僕はフォークソング・ブームのなか、フォークシンガー高石ともやの本を面白く読んでいて、

高石は ピート・シーガーの「花はどこへ行った」、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を評する文をこう始めていたのだった。

「 ”帰れるから旅は楽しい”と言ったのは高見順だった、だが 帰れぬ旅というものが・・・」

こんな感じだったと記憶するが、その”帰れるから旅は楽しい”という ほんの1行足らずに、

僕は なるほどそうだなぁ と 妙に心に残ったのだった。

この1行が 詩なのか 小説なのか、それすら知らず。

そして50年、この度お寺から貰った冊子をパラパラめくっていたら そのあとに続く詩の1節が載っていて、

これが 高見順が死を前にして書いた詩ということを知った。

旅は人生として、帰る場所は土、死して自然の一部に還る旅、残り僅かの人生を歌っている。

食道ガンで死が目前に迫るなかで書いた悲壮な作品だったのである。

最後の2行は辛い、

「  私も こういう詩を書いて / はかない旅を楽しみたいのである 」

「帰る旅」は、詩集『死の淵より』に収録され昭和38年、高見順56歳のとき出版された。

2018.8.15


         

今、上野の”東京国立博物館”で、特別展『縄文-1万年の美の鼓動』が開催中だ。

7月3日から始まっていて9月2日までだから ちょうど会期半ばだが、

この暑さの中、なかなか どうも行くタイミングが掴めないでいる。

「縄文土器」の展覧会は 2008年の”兵庫陶芸美術館”の

特別展『縄文-いにしえの造形と意匠』以来で、10年ぶりである。

兵庫の縄文展は当時の館長で、昨年89歳で亡くなられた 日本の美術史家、乾 由明氏の監修だったが、

今展は 東京国立博物館・考古室長によるもの。

同じ ”縄文の美” で構成される展覧であるが、

”美術史”と”考古”という切り口の違いは どう出るのだろうか。

そして、10年の間に 縄文の国宝が2点から4点増えて、現在は国宝指定6件。

これらが一堂に会するというのも、なんたって さすが東博さん。

ぜったい見逃すことのないよう、要注意なのである。

2018.8.1 


うだるような暑さの中、木陰で ほっと一息。 

気付くと、そこに”ムラサキシキブ”が可憐に咲いていた。

秋に美しい紫色の実をつけることから、平安時代の女流作家・紫式部の名を借りて命名された花である。

枝の元から順に淡紫色の小花を集めて咲いてゆく。

今、もう大半は花を枯らして小さな緑色の実となり、秋の準備を始めているようだった。

ムラサキシキブかぁ・・・、 ふと 「源氏物語」が脳裏をよぎる。

かつて 物語の読後、文中に出てくる ゆかりの地を巡ったり、

式部が生まれた所で 物語を執筆した”廬山寺”や、北大路堀川の墓所を訪ねたりしたものだった。

懐かしいなぁ・・・。 そうだ、ただ 紫式部が「源氏物語」の着想を得て 構想を練ったという、

大津の”石山寺”だけが なぜか縁なく、行きそびれたままだったっけ。

よし、今年は秋に上洛の予定があるから そのときは きっと訪れよう、と 花を見ながらそう思った。

2018.7.18


         

前回お伝えした「癇癖談」の文庫本に、じつは嬉しいオマケがあったのだった。

この文庫には全部で4編の古典作品が収められ、上田秋成が2編に 建部綾足の1篇が続き、

そして最後の1篇は江戸時代後期の国学者・本居宣長の『宇比山踏 ういやまぶみ』だったのである。

これは宣長の下で国学を学ぶ門人たちに請われて執筆した、初学者の手引書である。

さて、なぜ嬉しいオマケかというと、もう30年も前のこと、あの文芸評論家・小林秀雄が

1970年代末に名著「本居宣長」を出版した際に行なった講演会テープを聴き感銘を受けたのだが、

その中で この「宇比山踏」が語られていたのだった。

この著作は単に学問の方法論というだけでなく、本居宣長の思想を知る貴重な資料とされているもの。

題の「宇比山踏 ういやまぶみ」は ”初山踏み” で、修験者が初めて 大峰・葛城山に登ることを意味し、

本の最後を宣長は自作の歌で締め括っている。

「 いかならむ うひ山ぶみの あさごろも 浅きすそ野の しるべばかりも 」

” どうであろうか 初めて山に登る 麻衣姿の初心の行者へ 山裾の入口に 道標を書いてはみたが ”

という歌だ。学問初学の案内を書いたけれども どうであろうか、

果たしてこれでいいのだろうか、と自問しているのである。

思いがけず 読むことが叶った「宇比山踏」、書かれていたのは、

仏学、儒学の渡来以前の 日本の”道”を学問する方法を説いたものだが、

”道”を知ることの大切さは、僕の道、やきものの道にも通ずるように思えた。

ところで、しかし、肝心な 小林秀雄の「本居宣長」はというと、僕は 情けないことに、

 当時 読み出しながら、さほど読み進まぬうちに挫折、そのままになっているのである。

2018.7.1


ちょっと前のことではあるが、車を運転中に聞いていた放送大学FMの古典授業で、

江戸後期の仮名草子『癇癖談 くせものがたり』 が題材とされていて、これがとても面白かった。

奇妙なタイトルだが、これは「伊勢物語」の書名・形式・文体を模倣して書いた作品だからで、

つまり”癖物語”、作者は あの怪異小説「雨月物語」の上田秋成である。

但し伊勢物語の体裁は模倣すれど、内容は当時の江戸の世相や人心を

風刺・批評したウイットに富んだ二十四の小話という構成。

講義を聞き、読みたくなって あちこち書店を探したが今や絶版で何処も無く、

ようやく文庫訳本の古書をアマゾンから入手できた。

ところで、この古典授業では以前にも似たような仮名草子『仁勢物語 にせものがたり』 講義があったが、

こちらは江戸前期の作者未詳の滑稽本で、完全な「伊勢物語」のパロディー版、つまり”贋物語”、

「むかし男」を 「をかし男」に変えるなどしながら伊勢物語の本文をもじった戯文である。

これはこれで相当に面白かったのだが、ネットで探したらかなり高価で こっちは諦めた。

2018.6.15


         

銀座一丁目で可笑しなスポットを見つけちゃいました。

年1回くらいは通る所なのに今まで気付かなかったのが不思議、何時からあるんだろう?

名称「アンティークモール銀座」、通りに面した大きなウインドウには、

" Japanese Art Antique Souvenir Shop "

” 日本骨董和紀念品商店 ”

と書かれ、ビルの1Fと地下1Fに200店以上の骨董品店があるらしい。

むむむっ!!、200っ??、そんなにっ??、うそっ!!

吸い込まれるように入店。

まずは1F、10数あまりの店舗オープンブースとガラスケースが幾つか。

レパートリーを異にする骨董が並びます。

でも、全200店あるとなるとですよ、地下は果たして如何ような世界??

恐る恐る階段を下りると・・、現れたのは視野を埋め尽くすガラスケースの群れ!

そうです、ガラスケース内の1段だけの出店もアリなのでした。

で、200店、なんだぁ~~。 しかも、良いモノ、珍しいモノ、怪しいモノ、なんでも御座れ。

いやはや、これは凄い。

つい次の用事を忘れるほど時間を費やしてしまったのです。

京橋・日本橋エリアの古美術店とは違う、こんなディープな骨董世界が銀座にあったとは・・・

2018.6.4


フェイスブックに大阪東洋陶磁美術館の研究者から、陶磁史界におけるビッグニュースが投稿された。

陶磁器の王道”青磁”、そのルーツである中国浙江省「越窯青磁」窯址での新発見だ。

越窯は1世紀初めから千年以上に渡り、各時代の王朝の庇護を受けて優れた青磁を生産したが、

なかでも唐時代には青磁の美の頂点を極め、『秘色・ひしょく』と称されたのである。

当時の詩文に多く詠まれ、

”峰々の木々の翠をすべて奪い取ってきたかのような美しさ”

「千峰翠色」と形容されている。

”秘色”は主に宮廷への献上のほか、世界各地に輸出、

日本にも渡来し「源氏物語」などの平安文学に散見できる。

しかし、そのように文献上に登場する”秘色青磁”とは如何なるものなのか?

それは、ベールに包まれたままであった。

1930年代に浙江省慈溪市の上林湖一帯で200ヶ所以上の青磁窯址が発見され、

幾度も発掘調査が行われてきたが、じつに釉色は様々で、

どれをもって秘色とするか、秘色という括りを見いだす手掛かりの無いままであった。

僕も15年まえに上林湖を訪ね船で回ったが岸辺は至る所陶片だらけで、

その窯址の多さに呆れたものだった。

だが、ついに、ついに出たのである。

焼成する窯に作品を積める時に使う容器、窯道具の「サヤ鉢」に

『秘色椀』 と刻字されたモノが発見されたのだ!!

つまり、このサヤ鉢の中に秘色青磁の椀を入れ、ここの窯で焼いていたという証拠物件が。

正に”新発見”、ビッグニュースだ。

あぁ、これから この窯址の綿密な発掘調査が進む時、

私たちは 唐の詩人や紫式部の見た「秘色」を知る日がやって来るのである。

2018.5.15


先日、毎年春に横浜で開催される室内楽演奏会「プリマヴェーラ コンサート」を鑑賞した。

ピアノとヴァイオリン、チェロによる ピアノ三重奏で、もう20年近いお付き合いになる。

はじめ”大倉山記念館”のクラシカルなホールでの、それはとても雰囲気のある音楽会だったが、

2005年からは会場を”みなとみらいホール”に移し、

本来の演奏を鑑賞するという点では音響的に各段と良くなっている。

いつも 3つの楽曲でのプログラムで、それにアンコール曲と

好きな曲、有名な曲、初めて聞く曲など、いろいろと楽しませて頂いている。

そんな中、今年もイギリスの作曲家”ブリッジ”(1879~1941)の

ピアノ三重奏曲ハ短調「ファンタジー」が演奏され、僕には初めて聞く曲であった。

ふつう 3楽章で構成されることが多いが、この三重奏曲は単一楽章で、

アンダンテ、スケルツォ、アンダンテ、コーダ、と流れる中、

随所で一時的転調が駆使され変化に富んだ素敵な曲だった。

それは、ドラマチックというよりは スリリング。

じつに サスペンスフルな音楽の世界に酔いしれたのであった。

2018.5.4



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