窯だより バックナンバー 2018年 9~12


 

今年も残すところ僅かとなりました、2018年ラストの窯だよりです。

といって 年を締めくくるような便りも思い浮かばないので、最近知った散歩道での どうでもいい話を一つ。

5年程まえから健康のために始めた裏山散歩のコースに小さな祠があって、中に お地蔵さまらしき石の仏が祀られています。

”らしき”というのは赤い前掛けを付けているからで、すぐ横の山小屋の名は「観音茶屋」だから本当は馬頭観音か何かで、

上部の欠損してるところに誰かが丸石を乗せて地蔵らしき姿に仕立てたようなのである。

まぁ それ以上の詮索もせぬまま5年のあいだ散歩途中に手を合わせていました。

けれど、先日 光線の具合で像の足元に邪鬼みたいな彫刻があることに気付いたのです。

?? 邪鬼を踏むというと・・・?

石段を登って、ちょいと失礼をば、と前掛けを捲らせていただくと、なんと現れたのは 庚申さまでした!

庚申(こうしん)は干支の一つで「かのえさる」、中国・道教を源とする禁忌で 60日毎に廻ってくる庚申の夜、

庚申さまを祀って一晩中起きている「庚申待」という習俗があるのです。

日本には平安時代に伝わり、江戸時代に盛行したそうです。

人の腹中には「三尸・さんし」なる3匹の虫が棲んでいて、隠している過失を知っているそうな。

そして庚申の夜、主人の睡眠中に天に昇り、閻魔大王にその罪悪を密告するという恐ろしい虫で、

その晩は眠ったら大変と皆んなして庚申さまの前で徹夜する儀式を執り行ったとのこと。

なるほど、と なると、ひょっとしたら この祠の庚申さまも、江戸時代、そのような・・・。

などと考えながら 僕の平成30年も終わろうとしているのであります。

皆様、本年中は誠にいろいろ、本当にありがとうございました。

どうぞ 良い年をお迎えください。

 

2018.12.29


   

読書家の友人から超素敵な書籍を頂いた。

本好きならではの苦難ともいえる、書棚整理に伴う涙の準愛蔵書放出の恩恵である。

今までにも何冊かそうして僕の手元に到来しているが、今回のは飛切りだった。

それは、”日本近代文学館”刊行の「名著初版本複刻珠玉選」の内、谷崎潤一郎『刺青/春琴抄』だ。

複刻制作の基本理念を一貫して「原本の元の姿を再現して伝える」とする姿勢は、単なるコピーとは明らかに異なる。

『刺青』は明治四十四年十二月 籾山書店刊、名装幀家・橋口五葉の「蝴蝶本」を忠実再現している。

そして何より凄いのが『春琴抄』で、昭和八年十二月 創元社刊。

「刺青」から23年、文壇の大家となっての出版は その装幀に贅を尽くし、表紙は漆塗りを施した特殊なもの。

黒漆塗り本と朱漆塗り本の二種があり、朱漆本はたった数十部発行の珍本、この複刻本にはこれを採用。

表題は金蒔絵技法で施し、背文字・見返し・本扉をはじめ目次から奧付まで紙質をも全て再現というこだわりである。

あぁ~、これはもう恍惚の世界。既読作品でさえ読み心地が全く違うのである。

料理でも、器が異なれば味も違うというもの。

最近、「スマホで”青空文庫”読書」が多くなりつつある僕は、自戒の念に苛まれたのであった。

尚、この複刻書籍には谷崎潤一郎が愛用して常に机上に置き、原稿用紙を押さえていた文鎮の複製まで付録。

現在、僕は仕事を終えると、まず石鹸で手を洗い、正座して本を開き、

その文鎮で頁を押さえ、一つ深呼吸してから文字を追うのを楽しみにしているのである。

   

2018.12.14


 

大阪万博の2025年開催が決定された。

それとは まったく関係無いのだが、先日なぜか二十歳ごろよく聴いていた

JAZZサックス奏者 アーチ―・シェップが思い出され、

懐かしいアメリカBYGレーベルのレコードを取り出したのである。

さて、プレーヤーに乗せるべく ジャケットから盤を引き抜くと、!、

アレレ? これって ”ビリケン” さん? あの大阪・新世界”通天閣”の・・、ビリケンじゃ~ん!

え~っ、なんで~?、ビリケンって昔からそんな有名なの?グローバリストじゃん!と、一人はしゃいだのであった。

ついては、ビリケン凄いっ、通天閣すごいっ、大阪ってスゴイッ、と自分的に盛り上がってしまったのだ。

が、しかし、冷静になって考えてみると、??、んなわけ無いよなぁ、と。

そう、調べて分かりました。

そもそも”ビリケン”は、1908年アメリカの女性美術家「フローレンス・プリッツ」が夢で見た神を像にしたもので、

その後、シカゴの企業 ビリケンカンパニーが『ビリケン像』にして制作販売、

「幸福の神様」として世界中に知れ渡ったものなのだそうだ。

当然、日本にも伝わり、1912年(大正元年)に大阪・新世界ルナパーク遊園地に置かれ、

商家や花街の人たちに縁起物として流行するも、そののち閉鎖。

一時、行方不明となったが紆余曲折の末1919年、通天閣に設置されたそうである。

ん~、なるほどぉ、やっぱ大阪生まれじゃなかったのねぇ、ビリケンさん。

そうと分かると、なんかちょっぴり、さみしい気がしたのだった。

 

2018.12.1


   

まったくエライこっちゃですわ。

この「中島克童ホームページ」、始めてから15年ちかくなるんですが、ずっと「ヤフー・ジオシティーズ」を利用してきました。

それが先日、ヤフーから”重要なお知らせ”なるメールが届きましてね、

開けてみると、な、なんと「Yohoo!ジオシティーズ・サービス終了のお知らせ」。んな、アホなぁ・・・。

「サービス終了の理由は一言では説明できません。・・中略・・なにとぞご理解をいただけますと幸いです。」

と、かなりの長文のお詫びのあと、終了スケジュールとサーバー移行先の紹介が数社あげられてます。

いや~、まいりましたっす。この手の知識にうとい僕には、ハードル高すぎです。

とにかくサーバー移行の方法の初歩の初歩をネットで調べてプリントしたら、なんと80枚にも!

その難解なる内容に悪戦苦闘の日々が続きました。

今後、絶対必要な編集ソフト、サーバー移行に伴うURLの変換ソフトを探し、

料金が安くてサポート体制がしっかりしているレンタルサーバー屋さんを選び・・・。

まぁ、やっとこさ、こうして新サーバーから引き続き「中島克童ホームページ」を発信できる運びとなりました。

新URLは『 http://katsudo-n.sakura.ne.jp 』です。

ジオシティーズの転送設定で来年9月末までは旧URLでもアクセス可能ですが、お手隙きの折にでも変更くださいませ。

2018.11.15


              

京都・大阪・和歌山へと個展打合せと作品納品を軸に5日ほど旅行した。

京都は紫式部ゆかりの「石山寺」と、「重森三玲 庭園美術館」に。

大阪は岸和田城の これも重森三玲作庭の「八陣の庭」などを歩いた。

でも、何と言っても今回の関西行きでは、和歌山 御坊に用があったからこそ

叶った『明恵上人』の修行地を訪ね得たことだ。

平安末に紀州で生れた明恵は幼くして両親を亡くし、9歳で 京都高雄 神護寺に入山。

釈迦を親のごとく思慕し、ただひたすらに仏の道を究める修行を積み、

34歳の時に後鳥羽上皇より 栂尾 高山寺を賜った。

しかし その間 25年あまりをずっと京都三尾に過ごしたのではなく、

最も厳しく激しい修行は故郷紀州の山中で行われた。

雑念を払わんと 自らの耳を切り落としたのも、眼前に 文殊菩薩 出現の体験も、

又、白上の峰から眺める洋上に天竺インドを思い馳せ、”入唐渡天”を夢見、

のちに 能「春日竜神」の題材となる逸話も この地でのことだった。

紀伊への その日は大阪を朝早くに出発、心地よい秋晴れのもと、

湯浅で明恵の足跡を存分に辿り、所用の御坊へと向かったのだった。

さてさて、御坊での用向きはというと、

江戸時代から続く最古の醤油蔵「堀河屋 野村」当主夫妻から1年半まえに頂いた宿題、

「”徑山寺味噌”が映える青磁の器」 をお届けすること。

ちなみに、堀河屋 野村 さんの「三ツ星醤油」は、

1985年発売の『美味しんぼ・第3巻』の第5話「醤油の神秘」で知ってから、

我が家の食に欠かせぬものとなっている。

とにかく美味なのだ、これ以上の”おしょうゆ”に出会ったことは無いのである。

         

2018.11.1


                   

先日、陶磁系とは まったく無関係な、しかしながら それよりもっと重要な用向きで 韓国ソウルに4日間滞在した。

と言いながら、韓国在となれば やはり じっとしてられないのが、やきもの屋の悲しい性でございます。

ある午後、半日の隙間を見付けるやいなや、即 レッツゴー!

タクシーに乗り込み、ソウル江南区の「湖林博物館 新沙分館」へ。

漢江ハンガンを渡り、個性的な建築デザインの館の入口に着いた、が!

え?展示変え休館中!! うおぉ~~。

ならばぁ~っと、また タクシーに。

滞在先の明洞を挟んで 反対方向へ同距離をひた走る、

西大門区の「梨花女子大学博物館」へと折り返したのでありました。

着。よしよし、開館中 ♡

ただ、お目当ての 10C末 ”淳化四年”銘の高麗青磁最初期の壺は、

残念ながら現在は保存の関係で見られないところにあり、来月から展示とのこと。

まぁまぁ、なれど、韓国陶磁史を超一級作品により時系列で俯瞰できる展示内容は、圧巻。

さすが、名門 リカちゃん大学、エライッ!!

もう、もう、感激したのでございました。

         

2018.10.15


         

『ルパン』 から ハガキが届いた。

ルパンと言っても ”ルパン三世” でも ”怪盗ルパン” でもありません、

「銀座・ルパン」、Bar Lupin、銀座の老舗文壇バーからです。

太宰治ファンだったら もうお馴染みかも。

そうでなくても、太宰がバーのカウンターで壁に寄りかかって座り、

横の椅子に足を投げ出して乗せた、無頼ポーズの写真が撮られた店。

そう、見覚えがあるのでは? あのポートレート。

銀座5丁目の みゆき通りから路地をちょっと入った地下に、

昔のまま 昭和の佇まいを残す ルパン。

カウンターに腰掛けただけで、痺れるような陶酔の時間が始まる。

さて、ハガキは「ルパン開店九〇周年の内祝い」への お誘いでした。

90年前、昭和3年の10月3日、

当時 京橋區南鍋町と言ったこの地に開業し、満90歳になるそうな。

あぁ、久しぶりに、あの 薄暗い狭く折れ曲がった階段を降りて、

素敵なバーテンダー 開さんの話しにグラスを傾ける、

そんな 贅沢な一杯をいただきに 銀座に出掛けることにしよう。

                   

2018.10.2


                   

”東京国立博物館”で開催中の『海の道・ジャランジャラン』展に行った。

「ジャランジャラン」とはインドネシア語で「散歩」を意味する。

今展はインドネシア海域で栄えた豊かな文化を幅広く”東洋館”を会場に紹介、

その多様な文化遺産の中を ジャランジャラン しよう、という展覧会である。

そして じつは今回、東博へ行ったタイミングは、

会期中 2日だけ上演される、ユネスコの無形文化遺産に登録されたインドネシアの伝統芸能、

影絵芝居『ワヤン・クリ』を鑑賞できる日にとの思いからだった。

影絵芝居とは、羊や牛などの動物の皮に彩色した人形を用いて、

背後からの光源により白布のスクリーンに映し出す、それは それは 美しい影絵人形劇。

千年を遡る歴史を持ち、世界20ヵ国に存在したとされるが、現在において二大影絵芝居となると、

中国の「皮影戯 ピーインツー」 と インドネシアの「ワヤン・クリ」である。

その一方の「皮影戯」は、3年まえに中国・西安で観ることが叶っている。

しかし、「ワヤン・クリ」は30年まえにインドネシアを旅したとき、

当時は バロンやケチャ等の舞踊は それなりの劇場があって旅行者にも公開されていたが、

「ワヤン・クリ」は 祭や儀礼の際に上演されるものだった。

行われる時間帯も、夜の8時から朝の4時までと、とても観光の対象でなかったのである。

その後は 海外公演活動もあったらしいが僕には縁無く、そのまま30年の時が過ぎていた。

今回の東博での「ワヤン・クリ」、荘厳優美なる”表慶館”を会場に、

現地での上演に倣って ガムランの生演奏、そして鑑賞する際は表裏、

スクリーンの影側と人形遣い側の 両方から観て楽しめる設定がなされ、

コンサートホールでは味わえない 臨場感溢れる”影絵芝居”に、酔いしれたのだった。

2018.9.16


         

おや? 克童窯のカンバンが下ろされています。 ん? そして何やら大勢の人たちが・・・。

さて、この”窯だより”を永くお読みの方は、もう察しが付いたことと思われますが、

そうです、久々に克童窯でTVドラマのロケが行なわれました。

そして、今回は殺人事件サスペンスドラマではありません、

変わり者の大学講師の日常を描く、人間味あふれる コミカル・ハートフルドラマなのです。

タイトルは 『僕らは奇跡でできている』、

10月スタートのカンテレ・フジテレビ系、毎週火曜21時の新ドラマでございます。

なんと、主演は今を時めく「高橋一生」さん!、

その一生さん演ずる大学講師の祖父、おじいちゃんが陶芸家ということで、

舞踏家の「田中 泯」さんが演じます。

で、陶芸工房のうちで撮影となった次第、クランクインも当方で行われました。

第1回放映は 10月9日、『僕らは奇跡でできている』、乞うご期待なのであります。

2018.9.1



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