窯だより バックナンバー 2020年 1~4



  

新型コロナ禍で、展覧会、シンポジウム、研究報告会など悉く中止の陶磁界だが、

このほど中国山西省から古窯跡新発見というちょっと明るいニュースが届いた。

『北宋の柿色彩磁器見つかる・呂梁市の古窯跡で初の発掘調査』

”中国山西省考古研究所”の発表で発掘地点は、

山西省 呂梁市 興県 魏家灘鎮 西磁窯溝村 の北の渓谷。

これまで山西省の古窯跡は省北部と中南部の数ヶ所が知られてはいたが、

呂梁区域での発見は貴重で中国全体の陶磁史を考えても、

中原地域(黄河中下流域)から北方地域への製陶技術伝播の空白を埋める重要な資料となるのだ。

発掘調査では、窯炉、作業場、沈殿池などの遺構が見つかり、稼動時代は北宋から金代初期、11世紀。

上の画像からは磁州窯系の技法が窺えるが、他に類例の見ない

独特な赤褐色の彩色で正に”柿色”の絵付けが施してある。

筆遣いは闊達にして滑らか、民間文化の感覚が生き生きと表現されている。

そして、共に出土したものには黒釉や粗製白磁も含まれるそうで、

隣接する陝西省の耀州窯、河北省の定窯との関係も気になるところだ。

今は新型コロナウイルス発生国という負い目にイメージを落としている中国だが、

一日も早く世界的終息を迎えたのち、

この発掘調査報告を聴講できる日が来ることを希望するばかりである。

  

2020.4.14



    

5月に日本橋三越本店で開催される「伝統工芸陶芸部会展」の準備のため、

先週半ば、久しぶりに山を下り東京へ出た。

出たというより千葉での仕事に通過したのだが、

この前の窯だよりに書いた有楽町以来で、一ヶ月ぶりの都心だった。

全国の日本工芸会の陶芸作家たちから送られた200点あまりの作品を、

開梱、受付、撮影する作業であるが、

毎年のこの時期に行なわれ、かれこれ20年担当している。

家を早朝に出発して私鉄、地下鉄、JRを乗り継ぎ3時間の道のり、

東京までは出勤ラッシュでその先は春休みのディズニーランド客に

これまた大混雑というハードなアクセス。

大概たどり着くだけでヘトヘトなのが恒例である。

ところが、今年は様子が違っていた、

八丁堀駅で待つ京葉線がホームに入ってきて、その光景にビックリ、ガラガラである! 

ん~? まぁ、これは嬉しいハプニングと、どっかと腰を下ろしたのであった。

そして、途中駅「舞浜」に電車は滑り込む・・・、あっ!そうか・・

ディズニーランドが休園中なのか・・・

いつもは人で溢れるホームと入園アプローチに、

人っ子一人いない風景は一種異様なムードを醸して、

新型コロナの不気味さに背筋が寒くなる思いがしたのだった。

   

2020.4.1




   

前回の余談ですが、”BAR TIMES STORE”へ行くのに通った「数寄屋橋公園」の話しを少々。

全国レベルで超有名な”数寄屋橋”という地名のことです。

昔ここは江戸城の外堀でしたが昭和33年の高速道路建設で埋め立てられ橋も消滅、

碑のみ公園入口に残り「数寄屋橋交差点」の名のもと

銀座の恋の名所として不動の地位を築いています。

しかし、そもそも”数寄屋”は茶室の建築様式、ではいったいどのような橋だったのだろう?

と、以前より思っていたわけで、このたび改めて調べてみました。

すると橋名の由来に意外な人物が現れました、それは「織田有楽」斎です。

織田信長の弟で武将ではありますが、茶人として高名な”有楽 うらく”。

今の重要美術品指定の井戸茶碗「有楽」を所持、

国宝指定の茶室「如庵」を造った茶道有楽流の祖です。

だがその半生は織田家一大事の「本能寺の変」に何故か生き延びたあと秀吉に仕えて、

「関ヶ原の戦」では徳川方に属した、謎めいたところがある人物です。

その有楽が江戸で徳川家康から拝領した邸と数寄屋造りの茶室が有ったのが

現在の数寄屋橋公園の場所だったのでした。

つまり、橋のたもとに数寄屋造りの茶室が有ってこそ付いた

橋名であり地名にもなっていたのです。

そして驚くことに、駅名「有楽町ゆうらくちょう」も

”有楽うらくの町”からとのことに尚更ビックリ、

あのエリアでの絶対的存在を感じざるを得ません。

有楽は「大阪冬の陣」では大阪城に入り淀殿と家康の間を斡旋、

戦後は夏の陣に参せず出家して京都に隠棲し茶の湯に生涯を送ったそうです。

しっかしまぁ、西銀座チャンスセンターの宝くじ購入に

並ぶ行列から眺めていた数寄屋橋公園に、こんな歴史があったとはねぇ・・・。

ところで余談の余談ですが、公園の時計台モニュメントは岡本太郎の作で、

大阪万博の「太陽の塔」より古いそうですよぉ。

   

2020.3.16




 

コロナウイルス禍で美術館が閉館される前の週に2つの展覧会を回った。

日頃きれいな空気の山中で暮らす免疫力0肺はコロナの恰好な餌食であろうと、

マスク、アルコールスプレ-で徹底ガード。昼食も人の多い所はアカンと、おにぎりを持参。

幸い始めの美術館が有楽町だったので、お弁当は皇居前広場にてピクニック気分を楽しんだのだった。

ついでに幼いころ親に連れられて来た以来で記憶に消えかかっている「二重橋」も見学したりして。

さて、2つ目の美術館は夕方からの内覧会だったので、かなりのフリータイム発生。

それなれば帰宅後の体内消毒用アルコールを仕入れておくべしと、

駅前のビック酒販で強力ジン&ベルモットを求め、

次なるは数寄屋橋公園うらのバー用品プロショップ「BAR TIMES STORE」で

カクテルグラスを調達するという手際の良さ!

ガッチリ守備を固めたのは我ながら上出来だったのである。

さてさて、青山での内覧会は超過密空間、あちこちでマスクなし御挨拶!かなり危険な状況であった。

しかし、想定対策作戦の家に戻ってから行なった「マティーニ消毒」が

効を奏したようで未だ体調に変化は見られないのである。

そして、潜伏期間を考慮して毎夜の体内アルコール消毒を努力している次第である。

 

2020.3.2



 

新型肺炎の報道ですっかり影を潜めてしまったが、

昨年末にニュースやネットで関心を集めたオリオン座消滅の話題はどうなっているのだろう。

と、仕事を終えて陶房から家への道を下りながら、夜空を仰ぎ見るのが習慣となってしまった。

オリオン座は小学生の頃に北斗七星とともに最初に知り覚える天体の正にスーパースター。

馴染み深さは断トツで、その星座の消滅は衝撃的大事件である。

ま、消滅とはいえど、オリオン座の外殻を成す四角形左上の「ペテルギウス」のことだが、

やはり首星、α星を無くしては星座として不味かろう。

報道によるとペテルギウスは、この数か月間で急激に明るさを失っているそうで、

天文学者らは超新星爆発を起こす前触れというのだ、

なにか尋常でない事態が起きようとしていると。

「超新星」とは「新しく生まれた星」でなく、「新たに見えた星」で、

突如として輝きだして一夜にして10等級以上も明るくなり半月ぐらい続く、爆発消滅の現象である。

昼日中も青空に光るほど明るいらしい。

もし、そうなら、私たちは宇宙的大事件の歴史的目撃者となるのだ、凄いことではないか。

滅多にないこの現象の記録文献は極めて少ないそうで、世界に7件ほど。

ところがなんと、そのうち3件が藤原定家の「明月記」の中にあるというから驚きだ。

言わずと知れた平安末から鎌倉初期の歌人で「百人一首」の撰者、

その定家が50年以上にわたり綴り続けた日記が「明月記」である。

そこには他にも多くの天文現象が載っていて、

望遠鏡のない時代に残した世界に誇る天体記録は天文学者たちを驚嘆させた。

歌人の眼と心の奥深さに畏れ入るばかりだ。

果たして私たちはオリオン座消滅の立会人になれるのであろうか。

ペテルギウスの地球からの距離は700光年、

今から700年まえに起きた天文ショーの観客となって。



2020.2.15



お知らせ



いよいよ昨年9月に克童窯でロケが行われたテレビ東京金曜TVドラマ

『駐在刑事seeson2』 第4話「小さな目撃者を守れ!」

2月14日(金)夜8時から放送されます。

「克童窯」の名称のまま登場、ドラマでは奥多摩の設定です。

乞う御期待なのです。



   

根津美術館から次回展内覧会のご案内をいただいた、いつも御高配を賜り誠に恐縮の至りである。

さて、今度の特別展はとタイトルを見ると『虎屋のおひなさま』!むぅぅ、「おひなさま」かぁ。

確かに雛飾りは人形も道具も「細密工芸」として品格と歴史を有する世界ではあるが。

今ひとつの気分でチラシを裏返すと、2階展示室で同時開催される

『宮廷の雅・古筆切と和歌』展に藤原公任筆「尾形切」の写真!

おぉ、ここで俄ぜん行く気モードに切り換わったのだった。

「藤原公任ふじわらのきんとう」は平安中期の歌人、

昨秋に京都国立博物館で開催され話題を呼んだ「佐竹本三十六歌仙絵」展、

その歌人36名「三十六歌仙」の撰者である。

同展には公任筆の色紙も1点出ていたが、

心地よい字句のリズムにすっかり魅了されたことが記憶に新しい。

公任は”筆”も”歌”もリズムなんだなぁと、そのとき思ったものだ。

とはいえ、くずし字は読み切れぬし、歌は百人一首にある有名な

「名こその滝」くらいの知識からであるけれど。

『 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なお聞こえけれ 』

京都・大覚寺が嵯峨天皇の離宮だったころに大沢池に落ちていた

小滝は今はもう涸れてしまったが・・・、という抒情的な調べは美しく、

口ずさんで味わうと「た」と「な」の連続するリズムが余韻を持って心に響くのだ。

詠まれたその時代にも歌に誘われて「名こその滝」を訪れる人も数多いたようで、

女流歌人の赤染衛門が古を偲ばんとする名歌を残し、

またその赤染の歌に曳かれるように赴いた西行も名こその滝跡で歌を詠んだ。

下の写真は何年か前に行った時のものだけど、

石組みしか残らぬその場所には遠い過去より永遠に流れる滝の音が

聞こえるようで、暫し時を忘れ佇んだ。

根津美術館で再び藤原公任の古筆に会うのが待ち遠しい。

ちなみに「尾形切おがたぎれ」とは、この断簡の嘗ての所蔵が

尾形光琳の祖父、父と伝わったことからである。

   

2020.2.1



 

令和2年初めの連休、友人の作陶展に都心へ出たついで

東京国立博物館の『人、神、自然』展を観に行った。

この展覧は、中東カタール国の王族であるアール・サーニ殿下が収集した

美術品コレクションから、世界各地の古代文化が生み出した工芸品117件を厳選、

「人」「神」「自然」の3つのテーマに分けて陳列し、

古代の人々の世界観を探ってみようとする特別展である。

だいたい東博の展覧会は高人気で、いつも混雑してて閉口するが、

今回は少しレアな企画だし、小ぢんまりした「東洋館・第3室」での展示だから

連休だって空いている筈という思わくからだった。

ところがである、上野公園から向かう途中に遠く博物館を眺むれば、

なんと、人、人、人の長蛇の列が・・・!

えッ~! うッそ~! んなわけがァ~~!!

と、正面門にたどり着いて納得しました。

ちょうど本館では先達ての令和天皇「即位の礼」の舞台であった、

『高御座』と『御帳台』が一般公開されていたのだった。

そして、ほら、やっぱり東洋館は人少な、ゆったり鑑賞できたのでした。

え? で、展覧会のほう?

ん~、昨秋、電車内のポスターで知ったとき、

その異様な仮面たちの眼差しに魅かれて・・・、

期待してたんだけどなぁ・・・・・。

 

2020.1.15





義賊 鼠小僧次郎吉(1795-1832)、 でも生れ干支は「兎」!


明けましておめでとうございます

令和2年 元旦



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