窯だより バックナンバー 2008年 1〜4月


桜の樹の下には屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。

梶井基次郎 の 短編 「桜の樹の下には」 は こう はじまる。

3ページたらずで 描かれた 梶井の 桜 が、僕の 脳髄に 焼き付いたのは いつの ことだろう。

お前、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像して見るがいい。

街に 桜の話が 消えるころ、 山中の 仕事場の 桜は 満開を 迎える。   静かだ。

よく廻った独楽が完全な静止に澄むように、(中略) 不思議な、生き生きとした、美しさだ。

こう 梶井は 綴る。

僕は今、 ゆっくりと そして 絶え間なく降る 花びらに 見蕩れながら、 思うのだ。

ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!

2008.4.15.

「桜の樹の下には」梶井基次郎


「土と炎の芸術 ”世界の土器”」展 を 町田市立博物館へ 見に行った。

昨年、瀬戸の 愛知県陶磁資料館で スタートした 巡回だが、先月の 「縄文」展 と 云い このところ 土器 を見る機会が多い。

現在 日本の縄文土器が 世界最古とされ、その後 世界各地で さまざまな 土器が 作られるようになる。

この展覧会には、日本、中国、東南アジア、南アジア、西アジア、南アメリカ の 土器が並んでいた。

見て廻るうち、 土器は 僕たちが 今 作っている陶磁器の ルーツなのに、

ある 大きな 違いが 感じられてきて、それは 世界中の土器に 共通していた。

・ ・ それは、 「 いのり 」。 装飾、模様、形態 から 強烈に 発する 「 いのり 」。

用途を 持つものも、持たぬものも、 たじろぐ ような 「 いのり 」 の 塊だ。

・ ・ 僕は、展示された 土器に、 土を積む手を、装飾する手を、模様を描く手 を 目で 追いながら、

その、 工人 の 姿 を 探していた。

そう云えば、このまえの 「 縄文 」展にあった 足形付土器 と 手形付土器。

7,8センチの 小さな 手と足 は あきらかに、乳児。

やわらかい土 を 押し当て 形取りして 焼成された その土器には、

穴 が あけられていて ヒモを 通し 首に下げられるように なっていた。

・ ・ 燃えるように うねり、力強く 烈しい 造形に 代表される、 縄文土器。

その つくり手 が、 女性 だと したら ・ ・ 。

そんな ことを 考えながら、 博物館 からの 坂を 下りていった。

2008.4.3.


                   

         大阪に 急の用事ができ 3日ほど滞在。

ちょうど ご案内いただいていた 丹波の 兵庫陶芸美術館で 開催される 「縄文」展 (3/15〜6/1)の、

    開会式・内覧会に 出席することが できた。  丹波を 訪ねたのは 30年ぶり、 

   この美術館が できたのは 3年前だが、丹波も ずいぶん変ったようだった。

山深い 猪 と 栗 の里 と云うには 開けた感じで、今では 神戸、大阪も 通勤圏らしい。

そうしたなかで 蛇窯 が まえと変らず、そのままの 佇まいで そこにあったことは 本当に ほっと した。

そして 今でも 火が 入っていることが うれしかった。

丹波焼 のイメージは やっぱり 蛇窯、 山を這って登る 50mの 薪窯だ。

細く 低く とにかく長い、数メートル置きに出し入れ口が脹らみ、

窯横からマキを くべるために穿った 八つ目うなぎ のような 連続する穴。

他に類を見ぬ その窯姿は、見た者の 眼に焼きつく。

明治に 築かれた 2本の 蛇窯が いまだ 健在と 知っただけで、

帰り の 車窓の景色は 春めき、心 は 軽かった。

2008.3.16


昨年 いろいろと 仕事を手伝ってくれた 美大生の お二人が出品している 卒業制作展に 行った。

工芸学科・陶芸が 専攻。 まえに グループ展、個展で 見せてもらっていた作品の 発展形で、4年間を 締めくくる 力作だった。

そして その作品の エネルギーは、表参道 「スパイラルガーデン」という 大舞台に 堂々と 輝き、とても気持ちよかった。

他の学生も 総じて レベルは高い。 見ごたえがあり 若く熱いスピリット、ヒリヒリする繊細さが 紡ぐ世界に 圧倒された。

熟視すれば やはり それぞれ 思考と制作の間の 空回りの音も聞こえてくるが、 おもえば それでこそ 創作 とも いえるのだ。

そう そう、 忘れていた あの感覚、  勉強 させられました。

卒業 おめでとう。

2008.2.26 


どの世界も そうで しょうが、やきもの の世界にも 魔物が いるようです。

以前、 つねづね お世話いただいている 先生に お会いした時、

すこし 疲れた ようすで、 こう 話されたのです。

「 最近 貫入が出なくなってしまってね、釉の材料も 調合も まえから使ってる 

そのままなのに、まるで 別ものなんだよ。 何ひとつ 変えてないのに ねぇ。」

美しく 品格ある うわぐすり の ヒビ模様 つまり 貫入、 と 玉のごとき 釉色 が 真骨頂の 大家だけに、

 その 心境を お察し しながらも、 ちょっと こわい話だと 思いました。  その時は。

しかし あるんですね そういうことが、

今、僕 の 取り組んでいる 径2尺の大鉢、 作った すべてが 素焼で 底が割れてしまうのです。

別に 新しい作 でもなく、土は まえから同じで 一度に 入手したものだし、

 つくり方も、乾かし方も、焚き方も ・ ・ ・

さぁて、  どう  したものか。

2008.2.18


このまえ の日よう、三浦半島の葉山に行った。

いつもは お世辞にも きれいとは言えない 湘南の海も、冬のこの時期だけは、本当に 青く澄んでいる。

快晴の下、茅ヶ崎への納品がてら 海岸道路を走った行き先は、山口蓬春 記念館

まえから 神奈川県立近代美術館 葉山の すぐうらにあるのは知っていたのだが、今まで 寄れずじまいだった。

でも、今日は ここ。 だって 「 山口蓬春 と 古陶磁  日本画家が愛した静謐な美の世界 」 展。

蓬春が 蒐集し、モティーフだった陶磁器たちの 里帰りだ。

重美指定もあり、現在の所蔵が 京都国立博物館、大阪市立東洋陶磁美術館、出光美術館 などなど。

絵画を楽しみ、古陶磁を楽しむ、そして 記念館から見える海 、一色海岸の景色。 贅沢な 一日だった。

2008.2.1


きのう 17日の朝、下北沢の ギャラリーで始まる 「陶美アカデミーVol.1作陶展」 のため、50cmもある 大皿を かかえ 電車に乗った。

秦野では すいていた車両も 相模川を 渡るころになると、だいぶん 混雑してきて、

となりに座った 学生さんは 読みにくそうに 文庫を ひらいている。

ゴメンね と思いながら 見るでもなく 本に目が いくと 対談の本で、キーン「・・・・」 司馬「・・・・」 と。 え ?

たぶん ドナルド・キーン と 司馬遼太郎 だ。 こんな本が あったのか ・ ・ 。

司馬は あまりに有名であるが、その著書の中の「街道をゆく」は 40冊を超え、

それぞれの地の 歴史、文化、人々を 独自の視点で切り込みながら、明快で奥深い。

とくに 中国、韓国は、陶磁を学ぶ 僕にとって 司馬の史観が どんなに 参考に なったことか。

キーンは ニューヨーク生まれの 現在86歳。 若くから 日本文学を 学び、

大戦後は 1年の半々を 日本と米国に在し、 日本文学、日本文化の研究と その海外への紹介に尽力、

源氏物語 から 三島文学までを 世界に 広めた人だ。

キーンの 青い眼が観る 日本文化、他の 東洋の国々との比較は 独特で 新鮮 である、

美術館からの依頼での、講演や パネルディスカッションが多いのも 肯ける。

おー、 司馬 と キーン、 この二人の 対談。  読むっきゃないっスよ。

作陶展のオープニング を終え、 夕方 新宿 ジュンク堂へ。 店内検索PC に 「司馬 キーン 対談」を 入力。

ありました、 ありました、 中公文庫 「日本人と日本文化」。 昭和47年、 司馬49歳 キーン50歳 の 対談であった。

司馬は 平成8年2月 73歳で他界している。

2008.1.18.


寒中お見舞い 申し上げます

お正月は いかが お過ごしでしたでしょうか。

こちら 神奈川は まぶしいほどの青天つづきで、庭から見る相模湾が キラキラ光ります。

で、おかげさまで すっかり仕事が はかどりました???

仕事? えぇ ・ ・、 12月に 注文ファックスを 見落としまして。

年末、ギャラリーから 「克童さん、おナベ できました〜?」

「??? えっ ?」 ってな わけです。 ま、仕事があるってのは ありがたいことです。

だって 年末ジャンボは 10枚買って やっぱし300円だったし、

ちなみに ぼくは 300円以上 当ったことが ありましぇ〜ん。

いとこの同僚に 1億円を2度も当てた奴がいるのに、 ずるいぞっ!不公平だっ!

と、年頭から 愚痴っちゃいけません。

みなさん 今年も どうぞ よろしくおねがいいたします

2008.1.6.    


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                                              2007年 9〜12 月 


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